第5話森に兆す黒き影
異変は、気づかぬうちに忍び寄っていた。
最初は、森の鳥の鳴き声だった。普段は朝に鳴く鳥たちが、夜の闇の中で不自然に鳴き声をあげ、村人たちの眠りを妨げるようになった。
「なんだか最近、夜がやけに騒がしいなあ」
「うちの鶏も暴れてしょうがないよ……」
村のあちこちでそんな声が上がる。
「アルス、最近森の方見た?」
ある日、父さんが真剣な顔で尋ねてきた。
「いや、特には……どうしたの?」
「森の北側に黒い霧が出てる。しかも、植物が枯れ始めてるらしい」
黒い霧? 植物が枯れる?
俺は嫌な胸騒ぎを覚えた。
「見に行ってくる」
その日の午後、ミカと一緒に森の北側へ足を運ぶことにした。森の中はいつもより静かだった。音がないというより、“音を吸い込まれている”ような、そんな気持ち悪さがあった。
「……あれ、アルス、見て」
ミカが指さした先、木々の間から淡く黒い霧が流れ出ていた。霧の境界線の草花は、まるで触れられただけで腐ったかのように茶色く変色していた。
俺はゆっくりと手をかざし、魔力を流す。
「『ライト』」
小さな光の玉が浮かび上がり、その輝きに霧がわずかに後退した。
「……魔力に反応してる?」
「うん、たぶん。これ、ただの霧じゃない」
俺はその場から霧の一部を持ち帰り、村長に報告した。
その翌日から、村では原因不明の病気が流行し始めた。
「頭が……重い……」
「目が……かすむ……」
特に高齢者と魔力の少ない子どもに症状が出た。だが、ミカや俺のように魔力が豊富な者には症状が出なかった。
「これって……魔力が関係してるのかも」
村長の家では会議が開かれた。
「このままでは村全体が危険だ。アルス君、君の魔法の力で何か対処はできないか?」
「……はい、試してみます」
俺は村の周囲に『ライト』や『ウォーター』を展開し、魔力を流し続けた。すると、霧は広がるのを一時的に止めたように見えた。
だが、状況は一変する。
森の奥から、異形の“目”が現れたのだ。
それはまるで夜空に浮かぶ星のように赤く光る一点で、俺の魔力に反応してじっとこちらを見つめていた。
「……アルス、今の、見たよね」
ミカの声が震えている。
「うん。あれは……ただの動物じゃない。たぶん……魔物だ」
「魔物って、そんなの今まで村に出たことないよ?」
「出てない。でも、あの黒い霧も、魔力に反応する感じも……全部、ただ事じゃない」
夜、俺はひとりで再び森の入り口へ足を運んだ。魔力を集中し、静かに呼吸を整える。
そのときだった。
「……お前、見つけた」
頭の中に直接響くような声。誰のものでもない、けれど確かに“意思”を持った存在の声だった。
「誰だ!」
返事はなかった。だが、森の中から巨大な気配が動いたのがわかった。
それは、俺の魔力を“追ってきている”。
――村が、危ない。
俺はすぐに村長のもとに向かい、すべてを報告した。
「魔物……。そうか。だが、我々には戦える者がいない」
「俺がやります」
静かに、けれど強くそう告げた。
「アルス、お前……」
「俺がやらなきゃ、誰がやるんだよ。俺の魔力に反応してるなら、俺が囮になってもいい」
ミカが泣きそうな顔で俺を見ていた。
「絶対、無事に戻ってきてよ……」
「約束する」
夜が明ける頃、俺は森の中へと一人、足を踏み入れた。
静寂と霧の中、どこまでも深い森の奥。
「行くぞ……俺が、守るんだ。この村を」
森の奥へ進むにつれて、霧はさらに濃く、視界を奪っていった。だが、俺の中にある魔力を放つことで、わずかながらも霧は道を開けた。まるで俺の魔力を感じ取った霧が、道を譲っているかのようだった。
「これは……歓迎されてるのか? いや、違う。観察されてる……」
空気は冷たく、肌にまとわりつくようだった。
「『ライト』」
光の玉を生み出し、周囲を照らす。すると、霧の向こうに何か動く影が見えた。
「……誰だ!」
光を強めると、そこにいたのは、真っ黒な毛並みに覆われ、鋭い赤い目を持つ四足の魔物だった。
――黒牙狼(こくがろう)。
前世の知識ではありえない存在。それでも直感でわかった。こいつは、人間の村を襲う存在だ。
「こい!」
魔力を体に集中し、一気に放出する。
「『ファイア』!」
火球が魔物に向かって飛ぶが、黒牙狼は素早くそれを回避し、木陰に消えた。
「ちっ、速い……!」
回避した地点に再び火を放ち、地面に炎を走らせる。
黒牙狼は咆哮を上げ、こちらに向かって突進してきた。
「『ウォーター』!」
水を地面に展開し、足元を滑らせることで勢いを殺し、体勢を崩した黒牙狼に接近する。
「魔力を使うだけじゃない。知恵と連携……それが戦いの鍵だ」
俺は『ライト』を爆発させるように目くらましとして使い、黒牙狼の動きを止めた。
「今だッ!」
最大限まで圧縮した『ファイア』を、相手の胸に叩き込む。
――轟音。
爆煙の中、黒牙狼は倒れていた。ゆっくりと、その赤い目が消えていく。
俺は膝をついた。全身から力が抜け、汗が滴り落ちる。
「終わった……のか?」
けれど、まだ終わっていなかった。
霧の中から、さらに巨大な“気配”が近づいてくる。
「な、なんだよ……まだいるのかよ……」
そのときだった。木々の間から、一人のフードを被った人物が現れた。
「よくやったな、少年」
「……誰?」
「私は、監視者だ。この森を見張っている者……そして、この異変の元を知る者だ」
男の手には、光る杖と、刻まれた紋章があった。
「この霧の正体……そして、お前の魔力。それは、偶然ではない」
新たな謎と導き手。アルスの冒険は、今、次なる扉を開こうとしていた。
「俺は……知りたい。俺の力の正体を」
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