第36話 広報媒体のその後
第1弾の広報媒体が予定通り流通を開始したのは、会議から約10日後のことだった。
進学説明会で配布される小冊子、塾の受付カウンターに並ぶパンフレット、書店のラックに差し込まれたフリーペーパー......いずれも三浦なおの姿を表紙や巻頭に据えた仕様で、清潔感と親しみやすさを意識したビジュアルだった。
「いい意味で“普通”の子が表紙に出てるって、現場からも好評みたいです」
営業二課の社員がそう言って笑ったのは、小春が校了サンプルを受け取りに行った日だった。
中庭で本を読むカット、塾の教室でペンを取るカット、自室風のセットでくつろぐカット......すべてに「三浦なお」の柔らかな雰囲気が滲んでいて、何も知らなければ、よくできた広告モデルの起用にしか見えない。
(これで、本当にこれで終わり)
小春はパンフレットを手に社へ戻るエレベーターの中で、そっと胸をなでおろしていた。あくまで「一度限りの協力」という建前。天音の身元を明かすことなく、慎重に作られた企画。あとは広告期間が終わるのを静かに待つだけ......そのはずだった。
だが数日後、社内のグループチャットが急に慌ただしくなった。
《SNS経由での問い合わせ急増中》
《写真の子について詳細希望、という問い合わせが複数》
《某進学ブログが取り上げた影響でバズってる模様》
「......ちょっと、これは......」
小春のデスクに駆け寄ってきたのは、営業の三好だった。手にスマホを持ったまま、息を切らしている。
「“あの子は誰?”ってタグが、Twitterでトレンド入りしてます。“三浦なお”の名前は出てないんですけど、写真付きでどんどん拡散されてて......」
「え......まさか、あれだけ“無個性”を意識して作ったのに......?」
三好は頷いた。
「逆に、それが“物語を感じる”ってことで人気を呼んでるらしいです。“この写真の子、物語の主人公っぽい”とか、“推せる!”って」
予想外の反響だった。もちろん、広告としては大成功といえるかもしれない。だが同時に、それは“あの少年”の匿名性が揺らぎかけていることを意味していた。
小春の脳裏に、あの会議室での佐倉の静かな言葉が蘇る。
《動画展開は、慎重に検討したほうがいい》
写真だけでも、これだけの広がりを見せるのなら......。
小春は、思わずスマホを握りしめた。事態は、もう“慎重”だけでは済まされないところに差しかかっていた。
第3会議室の空気は、少し重たかった。営業二課とクリエイティブ一課による定例の進行会議。けれど、今回の議題にはこれまでと違う“熱”があった。
プロジェクターに映し出されたのは、すでに頒布を終えた進学関連の媒体......塾パンフレットや進学情報誌、説明会用リーフレットに掲載されたモデルカットの数々だ。その中心に写るのは、「三浦なお」の名で活動した少年、結城天音の姿だった。
「まず、これまでの反響についてご報告します」
そう口を開いたのは営業二課の社員だった。すでに数度の会議で登場している若手社員で、小春とも何度か顔を合わせている人物だ。
「資料請求数は前回の1.4倍。ウェブ経由のエントリー数は過去半年の平均を上回っています。また、SNSを通じて、“三浦なお”くんに言及する投稿が複数見られました。特に、中高生......女子生徒を中心とした反応が目立ちます。友達との間で“誰?”“また出るの?”といった話題が広がっているようです」
その言葉に、会議室に軽くざわめきが広がった。だが驚きというより、静かな頷きが多かった。既に社員の間では、この反響の兆しは感覚的に共有されていたからだ。
「......あくまで、クライアント対応として申し上げますが」
営業社員は少し慎重に言葉を選びながら、追加した。
「前任のインフルエンサーが関わった不祥事について、被害を訴える生徒側が法的手続きを検討中とのことです。ただし、当社が当事者であるわけではなく、直接的な責任を問われることはない見通しです。とはいえ、彼の保護者が大口クライアントの幹部関係者という背景もあり......現在のところ、当該クライアントの側からも“派手な展開は避けたい”という意向が出ています」
それを受けて、佐倉が静かにうなずく。
「理解しています。クライアントの意向があるなら、こちらとしても素材の二次利用は避けるべきでしょう。なおくんの写真が持つ反響力は、こちらの予想を超えていましたが......今回限りの起用であるという前提は、崩すべきではないと私は思います」
小春もまた、隣で小さくうなずいた。自分のノートに、そっとメモを走らせながら。
写真は、ただの画像ではなく、“物語”として受け取られてしまう......それが、今回のような想定外の広がりを生むのだ。
「......とはいえ」
営業社員が口を開き、そこで少し声を落とした。
「正直、惜しい素材です。これだけ反響がある人物を、この一度きりで終わらせるのは......営業としては、もどかしい気持ちもあります。社内からも“何か次に繋げられないのか”という声は、実際に出ているのが現状です」
営業の机の上に置かれた資料には、再編集可能な写真のバリエーション案まで添えられていた。それが何より、現場の“未練”を物語っていた。
だが、その熱意に対して、営業部長は終始沈黙を貫いていた。顔を上げることなく、資料に目を通し続けている。感情も判断も、一切見せず。
......いかなる決断も、今は下すべきではない。そんな無言のメッセージが、そこにあった。
「......了解しました」
佐倉が静かに応じる。営業側はそれ以上は追及せず、議論はやがて本題から逸れることなく会議の終わりへと向かった。
小春は自分のノートを閉じながら、スクリーンに映る制服姿の少年にもう一度目をやった。その表情は、資料の中でも確かに“語って”いた。
(あれだけの反響があったのに......このまま何事もなかったように終わらせるのか)
しかしそれでも、自分たちは“守る側”でなければならない。そう心のどこかで、彼女は理解していた。
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