第28話 結城天音

 佐倉は湯のみを静かに置き、姿勢を少し正して口を開いた。


「......実はね、少し急な話なんだけど、天音にお願いしたいことがあって」


 千佳は、穏やかに目を細める。柔らかい表情ながら、その瞳の奥には警戒ではなく、真剣に耳を傾けようという意志があった。


「仕事の関係、ですよね?」


「ああ。詳しく話すね。——うちの会社で作ってる教育関連のパンフレットがあって、もともと登場する予定だった高校生モデルが、いじめの加害で訴えられててさ。今はまだ表には出てないけど、相手は広告主の娘さんでね......当然、表沙汰にはできない」


「それは......デリケートな話ですね」


「うん。だから、“体調不良で降板”ってことにして、代役を立てる話になってる。でも、撮影はもう目前。時間がないし、顔出しするにも信頼できる人じゃないと困る。——それで、天音に白羽の矢を立てた」


 千佳は視線を伏せてしばし黙ったあと、ゆっくりと息をついた。


「......この子に、務まるかしら。急な話だし、まだ小学生よ?」


「うん、だから本人の意思をちゃんと尊重したい。でも、心配はいらない。撮影には俺も必ず立ち会うし、氏名や通ってる学校なんかの情報は一切出さない。仮のプロフィールも用意してる。天音の素性は完全に守るつもりだ」


「そこまで配慮してくれるなら......」


 千佳は少し笑って頷いたが、その声にはほんのわずか、慎重な距離感も混じっていた。


「......でも、この子が“佐倉さんに言われたら断れない”って子だって、あなたもわかってるでしょ?」


「わかってるよ。だからこそ、ちゃんと説明して、天音自身に決めてもらうつもり」


 そう言ったときには、すでに天音が静かにうなずいていた。


「ぼく、聞いてたよ。......そのパンフレットって、子どもが出るやつなんですよね? だから、この前みたいにコスプレメイクしてってわけにはいかなんだよね」


 この前とは、アニメ雑誌の数ページに掲載された写真撮影の際のことだ。佐倉が招かれた出版社の懇親会に甥として天音を連れて行ったことから、そんな話になってしまった。


「そう。進学や学習塾の紹介で、中学生が“楽しそうに学生生活を送る姿”を見せる、よくある内容だよ」


「仮の名前で出るなら......ぼくでよければ、協力します。ちゃんと、お仕事としてやります」


 その丁寧な口調に、佐倉は思わず微笑んだ。隣で聞いていた千佳も、ふっと肩の力を抜くように笑った。


「......ほんと、こういうとき落ち着いてるのよね、この子。......なんだか、こっちのほうが頼ってばかり」


 そう言ってから、少しだけ視線を下げる。


「......まあ、一人で育ててると、つい“しっかりしてくれたら助かる”って思っちゃうのよね。頼もしいって思う反面、ちょっとだけ申し訳ないような気もして」


 佐倉はその言葉に一瞬だけ視線を向けたが、何も言わず、ただ静かにうなずいた。軽い気遣いのような微笑みとともに、余計な詮索も慰めの言葉もなく、あたたかな沈黙でその思いに寄り添った。


「うん、感心するよ。ちゃんと段取りはこっちで組むから、天音は当日楽しんでくれたらそれでいい。大人が守るべきことは、俺たちが責任持つから」


「そこまで言ってくれるなら......信じる。任せるね、佐倉さん」


「ありがとう、千佳さん。負担にならないよう、全部段取りつけて連絡するよ」


 千佳はそれに軽く頷き、優しく息子を見つめた。


「天音、無理しないでね。......でも、やるなら楽しんできて」


「うん、わかった」


 母子のやりとりを見ながら、佐倉の胸には、ほんのりと安堵の灯がともっていた。


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28話後書き

作中で、天音くんに「スゴすぎ前橋ウィッチーズ!」のダンスを踊らせたい(錯乱中)。

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