第21話

 調合所には、昼の陽射しをやわらかく薄めたような光が差し込んでいた。


 窓辺に吊るされた薬草の束がかすかに揺れ、

 乾いた香りが静かに室内を満たしている。


 ふたりは黙ったまま、それぞれの作業に集中していた。

 けれど、その静けさに気まずさはなかった。

 むしろ、それはどこか心地よく、やさしく満ちていた。


 ティナは刻んだ葉を丁寧に漉している。

 ユリウスは粉末にした根を、量り分けて瓶へと移しながら、

 ときおりその横顔を横目に捉えていた。


 渡すべき器を手に取り、ふと顔を上げたその瞬間――

 ティナの指先が、彼の指にそっと触れた。


 ほんの一瞬の出来事。

 けれど、そのわずかな温もりは、思いのほか長く心に残った。


 ティナは小さく瞬きをし、すぐに視線を落とす。

 ユリウスもまた、それを追うように目を逸らした。


 語るほどの意味もない、偶然。

 それでも、胸の奥に小さな波が生まれる。


 この日々は、どこか不思議な安らぎに満ちていた。

 刃を抜くこともなく、策を巡らせる必要もない。

 ただ薬を作り、人を癒すための時間が、静かに流れていく。


 日が傾き始め、空にやわらかな橙の気配が混じる頃。

 ユリウスは裏庭へ出て、薪をくべた。


 火はゆっくりと燃えはじめ、ぱちぱちと音を立てて赤く脈打つ。

 まるで静かな鼓動のように。


 台所の窓からは、ティナが鍋をかき混ぜる様子が見えた。

 湯気が立ちのぼり、香ばしい匂いが風に乗って漂ってくる。

 肉と野菜、それに香草の香り――どこか懐かしく、温かな匂い。


 ティナはふと顔を上げ、彼の方を見て、ほんの少し微笑んだ。


「もうすぐ、できるよ」


 その一言が、なぜか胸に深く沁みた。


 言葉で返すことができず、代わりに薪をもう一束、火へとくべる。

 木々のざわめきと、焚き火の音。

 言葉のいらない会話が、そこに確かに在った。


 やがて日は沈み、夜が静かに訪れる。


 灯されたランプの下、ふたりはそれぞれに本を広げていた。

 彼女は祖母の遺した薬学書を、

 ユリウスは王国時代の記録を読んでいる。


 過去と未来――その両方が、今、ひとつの卓の上に並んでいる。


 頁をめくる音が静かに重なり、穏やかな時間が流れていく。

 しばらくして、ティナが本から目を離さぬまま、ぽつりとつぶやいた。


「……この字、なんて読むの?」


 声は小さく、けれど静寂のなかに澄んで響いた。

 ユリウスは身を寄せ、本を覗き込みながら目を細める。


「“かんばせ”。顔立ち、という意味だ」


「あ……ありがとう」


 それだけのやりとり。

 けれど、なぜかその短いやさしさが、余韻となって残った。


 ティナはすぐに目を戻し、指で文字をなぞっている。

 まるで何かを記すように――

 あるいは、今日という一日をそっと心に刻むように。


 その一瞬の記憶が、胸の奥に静かに灯っていた。

 火を見つめるように。

 名もなき感情に、そっと指先を触れるように。


 夜は、やわらかに更けていく。

 灯りの下で、ふたりの影が、隣り合いながら静かに揺れていた。

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