その19 人が魔族に出来ること
魔王城へ帰った裕貴は、ミューとゼピュアと3人で食事を取る。その後風呂へ入った時は、サマーリア王国に居た時のような侍女に全部世話されるようなこともなく、1人でゆったりと入れて疲れを癒すことができた。
アーシィの小屋や竜の巣に居た時は濡れたタオルで体を程度しか出来ず、サマーリアの王宮では風呂に入れたもののずっと侍女に囲まれてまったく気が休まらなかった。そのため、ほんとうに久しぶりにゆっくりと風呂に入ることが出来、それだけでも裕貴にはありがたかった。
湯上りに部屋へ戻ると、アーシィがよく眠れるようにとハーブティーを淹れてくれる。紫のお茶だったが花のような優しい香りがした。
「今日はいかがでしたか?若い裕貴様には少々退屈だったかもしれませんが、少しでも気が紛れたのならば幸いです。」
「そんなことないですよ。とっても楽しかったです。いろいろと驚くこともありましたけど、人間と変わらないんだなって安心するところもあって……。僕、この国を好きになりました。」
裕貴がそう言って笑うと、ゼピュアも嬉しそうに頷く。
「それは何よりです。明日はどこへ行きましょうか。」
「それなんですけど、僕に何かお手伝い出来ることってありませんか?魔王城の仕事じゃなくてもいいので、この国の人に何かお返し出来たらなって。もちろんゼピュアさんにも。」
するとゼピュアは驚いたよう。
「まぁ。そんなに気を使っていただかなくてもいいんですよ?裕貴様はご自分の意思でこの世界にやって来たわけではありませんし、この国にとっては大切なお客様なのですから。」
「それはそうなんですけど、僕自身がお世話になりっぱなしだと気が引けるので。我儘を言ってしまって申し訳ないんですけれど、少しでも役に立てることはないかなと思って。」
苦笑する裕貴にゼピュアはしばし思案する。
「そうですねぇ……。なんでも我儘を言って下さいとは言いましたが、こういう我儘は予想外でしたわ。明日、魔王様に伺ってまいりますので、今日の所はゆっくりお休みくださいませ。」
「はい。無理をいってごめんなさい。」
ゼピュアは笑って首を振る。
「いいえ。誰かの役に立ちたいという裕貴様のお心遣いはとても尊いものですわ。どうか、胸を張って下さい。それと……、もし寝付けないようでしたら、私も一緒にベッドへ入りますので、遠慮なさらずに言ってくださいね。」
「は、はい。それは大丈夫……です。」
悪戯っぽく笑う彼女に、裕貴は顔を赤らめたのだった。
§
次の日。柔らかなベッドの中、甘い香りに包まれ、心地よいまどろみからゆっくりと目を覚ます裕貴。
そっと目を開けると、触れるほど近くに、青い肌ながら可愛らしい少女の顔があって驚いて跳び起きる。
「おはようございます、裕貴様。よく眠っておられましたね。ふふ、びっくりしました?」
「びびび、びっくりしました。おはようございます。」
悪戯が成功して楽し気に笑うゼピュア。昨日、おばあちゃんと言っていたわりに、こういうお茶目なところは見た目早々の少女っぽさを感じる。特徴的な外見に目が行きがちだが、性格もなかなか面白い人のようだ。
「それでは顔を洗って来て下さいませ。朝食に致しましょう。」
ベッドから出て行く彼女に頷き、裕貴も寝床から這い出した。
それから朝食を終え、身支度をすませると、また外へ出かけることになった裕貴。今日も馬車での移動だ。
ゼピュアが言うにはぜひ裕貴に仕事を手伝ってほしい人が居るとのこと。詳しい内容は聞いていないものの、こうして馬車に乗ってその人の元へと向っているのである。
大通りから外れた一画にあるレンガ造りの3階建ての建物が並ぶ住宅地。あまり高級そうには見えないが、首都の街中に住んでいるということは、庶民でもそれなりに良い方の暮らしをしているのではないだろうか。
裕貴たちが降りると、後で迎えに来るということで馬車は移動する。さすがに馬車を泊められるようなところは周囲になかったのだ。
ゼピュアがノックをする。
「ゼフィー様。魔王様の命により参りました。御在宅でしょうか?」
可愛らしくもよく通る声が響く。程なくしてバタバタと足音がしてドアが開く。
「お、お待たせしました。」
顔を出したのは黒い長い髪で、肌の白い女性。一番の特徴は背中から生えた一対の黒い鳥のような翼だ。
「お久しぶりですゼフィー様。こちらは異世界から来られた人間の裕貴様と、彼を守ってらっしゃるミュー様です。」
「あ、どうも。えっと、画家……絵描きのゼフィーと言います。」
「
ゼピュアの紹介でゼフィーと挨拶を交わす裕貴。ゼフィーは黒く長いスカートにゆったりとした上着で、上着の方は元の色が分からないくらい絵具で汚れていた。よく見れば髪もボサボサで顔にも絵具が付いている。
「その、汚いところですがどうぞ。」
彼女に促されドアを潜ると、そこは画家のアトリエであった。壁際には描きあがっているのか途中なのか、何枚ものキャンバスが立てかけてあり、机には所せましと画材がぶちまけられている。なんなら床にも画材は転がっていたし、壁や床もだいぶ汚れていた。
汚い所という社交辞令に対して、本当にここまで汚かったことは裕貴の経験では初めてだった。
「ええと、ここだと狭いんで奥へ。」
「あ、はい。」
彼女に付いて奥に行くと階段があり、それを登ると2階はベッドとサイドテーブル、小さなソファーが置いてある部屋で、完全に彼女の生活スペースといった趣だった。
「相変わらずですねゼフィー様。」
「すみません。どうしても絵を描くのを優先しちゃうと他の事は全く……。」
小さくため息をついたゼピュアに、ゼフィーはバツが悪そうに苦笑する。顔は美人なのにもったいないと裕貴は思ったが、口には出さない。
「だいたいご察し頂けたと思いますが、ゼフィー様は魔王城お抱えの画家のお1人です。魔王様は娯楽と、魔族の意識を改革するために芸術活動の推進もしておりまして、彼女のような実力のある方は生活を保証し活動の支援を行っているのです。後で美術館へもお連れしますね。」
にこやかに説明したゼピュアだが、ゼフィーは恥ずかしそうに笑っている。
「それはすごいですね。ではその、僕は何をお手伝いすれば良いのでしょうか?お掃除とか?」
「それは私がやっておきます。裕貴様には絵のモデルになって貰いたいのです。」
「絵のモデル?僕が?」
ゼピュアに言われ目が点になる裕貴。たしかに誰かの手伝いがしたいとは言ったが、予想外の頼まれ事だった。
「ええと、僕なんかがモデルでいいんでしょうか?」
「もちろんです!異世界の人間さんと、神獣?聖獣?さんを描けるなんてこの先あるかどうか分かりませんから!よ、よろしくお願いします。」
少し興奮気味に言った後、恥ずかしくなったのか声のトーンを落として頭を下げるゼフィー。
「分かりました。こちらこそ、よろしくお願いします。その、絵のモデルなんてなったことがないので、ご指導いただけると助かります。」
そう言って裕貴も頭を下げたのだった。
それから半日ほど。
ゼフィーの寝室でソファーに座った裕貴は後ろにミューを立たせたまま、ひたすらじっとしていることを強いられた。
キャンバスをイーゼルに掛け、裕貴の前に座ったゼフィーは、「身じろぎくらいは構わないけれどなるべく動かないで欲しい」と言い、その後は一心不乱に絵を描き始めた。時おり身体を傾けたり、黒い棒、おそらく筆記具を翳してみたりしつつ、裕貴の姿をキャンバスへスケッチしていく。
そんなゼフィーの真剣な姿に、裕貴はカッコいいと思いつつ、自分も何か打ち込める一芸でもあればと思案する。
ミューは器用なことに立ったまま寝ており。時おり目を覚ましては鳴き声を上げ、それからまたうとうととしているのを繰り返していた。これまでも裕貴の傍で大人しくしていることが多かったが、もしかしたらその時も寝ていたのかも知れない。
「そろそろお昼ですので、今日はこのくらいに致しましょう。」
ずいぶんと長い時間がかかったような気がするが、やっと開放されて裕貴は伸びをする。
「分かりました。じっと座ってるだけって結構大変ですね。」
「ふふ、そうでしょう。お食事を用意しましたのでゼフィー様もご一緒に。」
「えっ?いや、私は……。」
「ご一緒に。お願いしますね。」
「あっはい。」
筆記具を置こうとしないゼフィーに笑顔のまま詰め寄るゼピュア。ゼフィーは圧に負けて筆記具を置き立ち上がった。
ゼピュアに先導されて1階に降りると、見違えた光景が広がっていた。
キャンバスも画材もきっちり整理されてまとめられており、さすがに落ちなかったと思われる床や壁の色はそのままだが、ピカピカに磨き上げられていた。おかげで最初に入って来た時より部屋がずいぶんと広く感じる。
中央のテーブルにはすでに大きな皿にサンドイッチとティーカップが用意され、暖かいお茶が湯気を立てていた。
「さすが魔王城最強のメイド……。」
「えっ?最強?」
ぼそっとゼフィーが言ったのを隣に居た裕貴が思わず聞き返す。
「魔王様も頭が上がらないらしいよ。逆らわないほうがいい。」
「あ、はい。」
そっと耳打ちしてくるゼフィー。
「何か?」
『いえ。』
笑顔で振り向いたゼピュアに裕貴とゼフィーは別々の方向を向く。それからいつも通りにこやかなゼピュアに促され席についた2人は昼食をとったのだった。
§
昼食の後はゼフィーの元を離れ、魔王城近くの大きな建物へ行く。ちょうど闘技場の反対側で鉄柵に囲まれており、魔王城のように堅牢な作りではないものの、装飾の少ない質実剛健と言った外観。
建物の前には馬車を泊める場所と厩舎があり、いくつかの馬車に馬も何頭か繋がれている。もちろんどの馬も立派な体格で脚が8本ある。ゼピュアが言うにはスレイプニルという魔界では一般的な馬らしい。
馬車を降り建物の中へ入ると磨かれた木製のカウンターに、受付らしきデーモンの女性が立っている。ゼピュアがそこへ行き何かを伝えると、受付の女性が手元にあったベルを鳴らす。
さほど大きくない音色だが、ほどなくして奥から男性が出てくる。質の良さそうな飾り気のない服に、上から白い上着を着ており、肌が赤くて額に1本の角、メガネをした痩身の男性だった。
「お待ちしておりました。ウィンタンド技術開発局本部へようこそ。私は局長を務めておりますハヤテと申します。」
「ご無沙汰しております、ハヤテ局長。本日はよろしくお願いしますね。」
「は。ゼピュア様もお変わりなく。」
挨拶後深くお辞儀をするハヤテ。
「では改めまして、こちらが異世界から来られた人間の裕貴様。裕貴様を御守りしているミュー様です。」
「はじめまして。天利裕貴といいます。今日はよろしくお願いします。」
「ミュー。」
「これはご丁寧に。こちらこそよろしくお願いします。挨拶はこれくらにしましょう。応接室へご案内致します。」
裕貴のイメージでは赤鬼のような見た目のハヤテだが、物腰も柔らかく、怖い印象はなかった。彼の案内について応接室へ通される。
ソファーに座ると、猫の獣人といった感じの女性がお茶を出してくれた。
「さて、今回は裕貴様にお話を伺えると聞いて、朝から楽しみにしておりました。限られた時間ではありますが、お付き合いのほどよろしくお願いします。」
「は、はい。僕に分かることは少ないかもしれませんが、出来る限りお話しさせていただきます。」
ここへ来るまでの説明で、裕貴の元の世界の知識を知りたいと技術開発局に頼まれていたことは知っている。質問の内容はまだ分からなかったが、サマーリア王国でも魔導研究所のセイジから同様の事を頼まれたのを思い出す。
やはり自分たちにはない異世界のアイディアに興味を示す者は魔族の間にも居るらしい。この世界では過去に異世界人が活躍した話が記録として残されたり、魔界に至っては長命で直接本人に会った事もある人までいるので、より異世界への興味が強くなっているのかもしれなかった。
「さて、それでは改めて記録を取りながらお話を聞かせて頂きたいと思います。私としては裕貴様の世界で使われている技術や道具に大変興味を惹かれているのですが、裕貴様にお会いして話を聞きたい学者達の代表としていくつか質問を預かっておりますので、そちらを片付けてしまいましょう。」
「わかりました。」
ハヤテはテーブルに置かれていた木製のバインダーに挟まれた紙を持つと、材質の分からない白いペンを持って、慣れた様子で小さな黒い小皿、おそらくインクへペン先を浸した。
「まずは裕貴様の来られた国の名前はなんでしょう?」
「僕は日本という国からきました。」
「日本ですか。ほう、古の異世界人と同じ国から来られたのですね。」
頷いて書きつけたハヤテに裕貴が驚く。
「えっ?その異世界人の方も日本人だったんですか?」
「ええ。一般には異世界人と言われていますが、記録には日本人とあります。名前は……。」
「ハルアキ様です。私もお会いしたのは数度ですが、裕貴様のようにまだお若くも聡明な方でした。」
「あぁ、そうでした。ハルアキ様でしたね。すみません、何分歴史はあまり得意ではないもので。」
ゼピュアの補足にハヤテは苦笑して頷く。
「ハヤテ様のお名前もハルアキ様が昔名付けられた方の名前を真似されているのでしょう。魔界ではそう言ったハルアキ様由来の名前の方がそれなりにおります。」
「あぁ、そうだったんですね。サマーリア王国でも少し日本人っぽい名前の人が居るなとは思いましたけど納得しました。」
言われてみればハヤテもサマーリアの研究所所長のセイジも日本的な名前である。昔やってきた日本人が残した名前が今も使われているというなら納得だ。
「もしかしてそのハルアキさん由来の物って沢山あるんですか?」
「ええ。技術的なものより政治的な事に明るい方だったそうで、魔界の統治の基礎はハルアキ様から学んだものだと聞いております。ご本人は魔界や人間界で、魔力がなくとも使える魔法の技術を習得しておられたようですが。」
「そうですか。ええと、ハルアキさんがどんな服装だったかとかって分かります?」
「服装ですか?そう言えば服飾についても質問項目がありましたね。ハルアキ様の当時の服装の挿絵が資料にあります。……どうぞ。」
彼が持っていた資料をめくって探し、当該のページを裕貴に見せる。
「これがそうですか。うーん。なんか古典で見たような。奈良とか平安とかそのくらいの絵巻だったかなぁ。」
生憎裕貴も服装のイラストだけで日本の年代を特定できる知識はない。ただその服装は平安の絵巻物に描かれた男性貴族のものに近い気がする。そう考えると、この異世界人は少なくとも1000年近く前の人物ということになる。ということは魔王様やゼピュアの年齢は……。裕貴は頭を振って気にしないことにする。
「わかりました。ありがとうございます。たしかに僕の居た国のかなり昔の人みたいですね。僕の居た世界とこっちの世界で時間の流れが同じかは分かりませんが。」
「そうですか。いえ、それもまた貴重な証言となります。歴史の専門家達は喜ぶでしょうね。」
頷いて、ハヤテは次の質問をしてくる。
セイジと違って冷静に対応してくれているが、どの事柄についても、特に普段裕貴が使ていた道具類については細かく熱心に聞いてメモを取っていく。
そうして質疑応答を繰り返し、あっという間に夕方に。
「どうやらお時間のようですね。まだまだ聞きたいことは沢山あるのですが……、魔王様の準備が整うまでに、またお時間を取っていただけるでしょうか?」
「はい。ぜひまたお話しをさせてください。」
「ありがとうございます。心より感謝いたします。」
裕貴の言葉に嬉しそうに頭を下げるハヤテ。
その姿に、役に立って良かったと思う反面、「自分に何が出来るのか」という問いがまた心のなかで頭を擡げてくるのであった。
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