その20 平穏の終わり

 裕貴は魔界に来てから数日、ゼフィーの絵のモデルやハヤテとの質疑応答を行いつつ、時たまゼピュアにいろいろな場所を案内してもらうという生活を送っていた。


 闘技場でミストラルとモンスーンの戦いぶりも見たし、美術館でゼフィーをはじめとする魔界の芸術家たちの作品も鑑賞した。それから演劇や音楽会を鑑賞したりとなかなか充実した日々である。

 そうしているうちにも、もし元の世界に戻ったら「自分に何が出来るのか」という問いが頭から離れない。


 ある時、魔王ゲイルからお茶でもしながら少し話がしたいと言われ、魔王城にある小さな庭のテーブルで会う事になった。


 せっかくだからと、ゼピュアのお茶の用意を手伝わせてもらったのだが。


「魔界に魔力はほとんどないんですね。精霊の気配がしません。」


 その裕貴の言葉に首を傾げるゼピュア。


「精霊ですか?魔界では聞いたことがありませんが。」

「地上……人間界ではあらゆる自然現象に存在していて、精霊に対価となるようなことをして力を借りる精霊魔法という魔法があったんです。僕も多少は使えたんですが、ここではそもそも精霊がいないみたいで使えなくって。」


 するとゼピュアは得心がいったという顔で頷く。


「裕貴様はそう言った魔法に興味がおありなのですね。少し手をお出し下さい。」

「手ですか?」


 裕貴は言われるままに手を出すと、ゼピュアはその手を握る。


「精霊ではありませんが瘴気にもそう言った存在は産まれます。目を閉じて私とつないだ手に集中してみてください。」

「は、はい。」


 言われた通りにすると、精霊のように自然に宿っているというより、物陰や暗がりに何かの気配がする。


「何か居るような?」

「ふふ、お分かりになりますか。それではこれを。」

「クッキーですか?」


 ゼピュアは手を放すと用意していたお茶菓子のクッキーを1つ裕貴の手に乗せる。


「そのクッキーを先ほど感じた気配の1つへ差し出すようイメージしてこう唱えて下さい。『小さき迫間のものよ。対価によりて我が元に来たり、我が命に従え。』」

「小さき迫間のものよ。対価によりて我が元に来たり、我が名に従え。」


 言われた通りにするとクッキーを中心に黒い影が広がり、クッキーがその影に呑まれると、代わりに小さな人が現れる。紫の短い髪に、瞳は白目がなく真っ黒で、肌の色は人間に近く、背中からトンボのような羽が生えている。大きさは裕貴の手のひらに乗るくらいで、服は着ていないが、乳首や生殖器らしきものは付いていなかった。


「わ!な、なんですこれ?」

「妖精ですわ。今のは妖精召喚の呪文です。さ、何か命令してみてくださいな。」

「え?それじゃあ……、お菓子をテーブルに運んで。」


 裕貴がそう言うと妖精はふわりと飛んで、カートに載せてあったケーキスタンド事の上を持つ。ふわりとケーキスタンドが浮くとテーブルの上に音もなく移動した。


「わぁ。ありがとう。」


 裕貴が礼を言うと、妖精はくるりと回転して消えた。


「妖精はどこにでもいますが、力も弱くたいしたことは出来ません。ちょっとした対価で手伝いくらいはさせられますが、気まぐれで言うことを聞かないこともありますね。」

「へぇ、面白いですね。」


 楽しそうな裕貴を見てゼピュアも微笑む。


「召喚魔法は簡単な儀式や呪文で様々な者の力を借りられますが、呼ぶ相手やさせる事に応じて対価は違います。あまりに強大な者へ大きな願い事をしたりすると、最悪命さえ奪われることもありますが、さすがにそんな召喚魔法は簡単には出来ませんので、ご安心ください。」

「そうなんですね。その、勝手に呼び出して怒ったりしないんですか?」


 不安げに言う裕貴にゼピュアは首を振る。


「いいえ。そもそも呼び出せるのは実体を持たない者たちで、あちらが拒めば召喚は失敗します。よほど気に入らなければ攻撃しに現れることも有りますけれど、同じ相手に何度も嫌な命令をするなどしなければありえませんわ。」

「精霊魔法と同じで相手にお願いするって感じなんですね。」

「そうなりますわね。」


 ゼピュアの説明に納得して頷く裕貴。


「ミューも誰かにお願いされて僕を守ってるのかな?」

「ミュ?」


 裕貴の言葉にミューは首を傾げる。この世界に来てからずっと傍にいるが、未だにミューが何であるのかはさっぱり分からない。ただ多少は意思の疎通が出来ているようだし、不思議な力で裕貴を手助けしてくれているのも事実だ。

 誰に聞いても調べてもよく分からないが、神の使いではないかというのが一番有力のようだ。もし帰還時に神に会うようなことがあれば、ミューを寄越してくれた礼を言おうと裕貴は思った。


 それからお茶の準備が整ったころ魔王ゲイルと側近のブリードがやってくる。魔王はゼピュアと同じく種族はデーモンで、聞いてみたところゼピュアと血縁関係はないらしい。ただゼピュアは先代の魔王から仕えている臣下なので、ゲイルの事は子供の頃から知っているらしい。

 狼頭のブリードは種族はワーウルフ。ゲイルが選んだ側近で、忠誠心が高く頭の回転も速い。見た目通り鼻が効くとかで、単純な匂いだけでなく危険や、相手が嘘をついているか、敵愾心があるかと言うのも多少分かるのだそうだ。


 魔王と裕貴が対面に座り、裕貴の隣にミューが座る。ゼピュアとブリードはそれぞれ後ろに控えて立った。


「しばらく会えずすまなかったな裕貴。その後不自由はないか?」

「いえ、不自由なく過ごさせてもらっております。本当にありがとうございます。」


 座ったまま礼をする裕貴にゲイルは頷く。


「まずは、ゼフィーとハヤテからずいぶん世話になったと報告を得ている。その件について礼を言わせてくれ。」

「そんな、僕から手伝わせてほしいとお願いしたわけですし。お役に立てたのならなによりです。」


 ゲイルは表情に乏しいが口調は穏やかだった。彼がお茶を口にしたのを見て、裕貴も一口お茶を飲む。隣ではミューが興味無さげにクッキーを齧っている。


「あまり遠出はせぬよう申しつけた故、首都とその周辺を見て周ったのだろう。何か気になったことはあったか?」

「そうですね……。まず最初に驚いたのは色んな種族の方がいらっしゃることでしょうか。人間界や僕のいた世界より、個性豊かなので。」

「そうか。まぁ人間たちよりは見た目の差が大きいからな。見慣れねば驚くか。体格の差も大きい故、施設や道具、服飾等の規格が統一できず難儀したものだ。今はそれぞれの開発をしている者が創意工夫で乗り越えたようで、その手の不満が上がってくることもなくなったな。」

「そうですか。それは何よりです。」


 裕貴は嬉しそうに頷く。ゼピュアから今の魔界へ至る事情はある程度聞いていたが、言うほど簡単なことではなかっただろう。古の異世界人がまだ居た時代からとなれば1000年近い時間をかけてやっと今の平和な魔界になったのだと考えれば感慨深い。


「何か気に入る物は見つかったか?」

「はい。美術館も演劇も音楽会もどれも素晴らしかったですが、一番驚いたのは闘技場ですね。戦いも武器だけじゃなくて魔法も使ったりすごく激しくて、観客の数もすごく多かったので。ただ、命を賭けた戦いではないと伺って、そこは安心しました。」


 思い出して苦笑しながら言う裕貴。約束通りミストラルとモンスーンが試合に出る日、闘技場へ鑑賞へ行ったのだが、明らかに殺し合いと呼べるような激しい戦いをしていて目を覆いそうになった。しかし、闘技場そのものに防護結界が施されていて、致命傷となる怪我を防いでいる上、試合後は治癒魔法で手足程度なら再生できると知って少し安心したのだ。立派に戦い抜いて観客へアピールする剣闘士の勇士は今も忘れられない。


「そうか。闘技場はいささか刺激が強かったかもしれんな。元々日常的に殺し合いをするような種族も居た故、平穏な日々を過ごさせるにはガス抜きも必要だったのだ。元は軍隊へ所属させて外敵との戦いを任せていたが、時が経てば戦闘になるような事も少なくなってな。それ故闘技場が必要になったのだ。今では戦いを楽しみたいものは剣闘士になり、安定した職を求める者が軍に入るようになった。とくに衛兵は業務が過酷な分給与が良い故、身体能力に自信があって安定した稼ぎが欲しい物に人気だな。」

「そうですか。僕の勝手なイメージですけれど、剣闘士の方って個人で戦うのが強くて、軍隊みたいな大人数で足並みをそろえるのは苦手そうな感じがしますね。」


 裕貴の言葉に頷くゲイルは少し嬉しそうに言う。


「そうだな。まぁ闘技場でも2~4名のグループ戦というのもあるが、集団戦闘の軍とはあまり相性はよくあるまい。加えて血の気が多すぎて街中で戦いになりそうな時、闘技場を使用して戦闘しても良いという法もある為、我の強い者が闘技場をよく使っているついでに剣闘士になるというのも昔は多かったからな。その頃に比べれば今の剣闘士はずいぶんとお行儀がよくなったものだよ。」

「そうですか。そんな風に魔界の問題を解決したなんてすごいですね。」


 ゲイルの話に感心したように頷く裕貴。


「裕貴よ、お前は案外為政者の才があるやもしれんな。」

「えっ?そ、そんなことはないと思います。その、人をまとめるのはあんまり得意じゃないですし。政治的なことも分からないですし、人を使うのもあんまり……。」


 そう言って首を振る裕貴に、ゲイルはふっと息を吐いて首を振る。


「そういったものは後から学んだり、得意な者に任せるものだ。大切な資質は周囲の事をよく見ること、周囲の物に信頼されることだ。いかに政治的な手腕があろうとも、周囲から信頼されぬ為政者では上手く回らぬものよ。その点で言えばお前は他者を惹きつける力というものがある。魔界の事をよく見ておるのが話から分かる。また、この短い間に魔王城や街に馴染んでいるからな。古の異世界人はたしかに頭の切れる男だったが、それよりも人を惹きつける魅力が有った。裕貴にも同じ気質を感じるのだがな。」


 そう言ったゲイルに、裕貴は驚いた顔をする。


「あ、ありがとうございます。そんな風に言われたのは初めてで……。僕、いつも人に助けてもらっていて、この世界に来てからも魔王様をはじめいろいろな人達に助けられてばかりで……。僕はなにもできないんじゃないかと、皆に迷惑掛けてばかりじゃないかと思っていたんです。けれどたしかに、人と仲良くなるのは少し得意な気もするので。それを活かして何か出来ないか、考えてみようと思います。」


 そう言って笑う裕貴に、ゲイルだけでなくゼピュアやブリード、心なしかミューも嬉しそうにしていたのだった。


§


 お茶会からさらに数日。裕貴は魔王城で働く物や、よく利用する店や施設のもの達ともすっかり打ち解けていた。ゼピュアから簡単な召喚魔法も習い、少しだけオヤツを持ち歩いて力を借り、仕事の手伝いをすることもあった。


 ゼフィーのもだいぶ出来上がり、モデルをする必要はなくなったのだが、時おりアトリエに言っては連れ出し昼食を一緒に取ったりした。その際はゼピュアが強制的に身だしなみを整えて、なかなか見違えた姿であったのだが、本人は面倒くさがっていた。


 ハヤテとの質疑応答も続いている。覚えている限りの歴史や世界情勢、他の国の事に、もちろん身の回りの道具や乗り物、学校で勉強した事に加え、いよいよ話すことがなくなってきて、どんな食べ物があったとか、漫画にアニメ、ゲームやスポーツ、音楽等もう思い出すことは片端から話ており、その全てが事細かに記録されていた。


 ついでに質疑応答に同席したいと代わる代わる歴史家をはじめとする各分野の学者や、果てはファッションデザイナーまでやって来て話を聞いていたのには驚いた。裕貴は自分のうろ覚えの知識が魔界のあらゆる分野に影響を与えてしまうのではないかと少し後悔してしまったくらいだ。


 そうして過ごしているある日、ゲイルから謁見の間に呼ばれた。


「裕貴よ。ずいぶんと待たせてしまったが神との交信の準備が整った。お前の心の準備が良ければすぐにでも神へ直接話をすることが出来よう。どうする?」


 玉座よりそう言ったゲイルに裕貴は頷く。ついに自分がこの世界へやってきた理由が分かる。なんならそのまま元の世界へ帰れるかもしれないのだ。


「はい!覚悟は出来ています。よろしくお願いします。」


 裕貴の言葉にゲイルは深く頷いた。


「それでは交信の間へ参ろう。」


 そう言ってゲイルが立ち上がった時、謁見の間に駆けこんで来た兵士が居る。


「魔王様。お客様が居る中、ご無礼をお許しください。すぐにご報告させていただきたいことが。」


 息を切らせながらそう言って跪く兵士。よほど急ぎの用らしい。


「許す。何があったか申せ。」

「は。人間界より来た6人組が裕貴様へ会いたいと申して居たのですがその……、剣闘士と口論になったようで、決闘をすると闘技場に。」

「なんだと。」

「えっ?6人?決闘って、どうしてそうなったんですか。」


 兵士の報告に思わず声を上げる裕貴。ゲイルは裕貴の方を向く。


「事情は分からんがすぐに向かった方が良かろう。交信は後回しで良いな?」

「はい、構いません。すぐ闘技場へ行きましょう。」


 ゲイルの言葉に頷き、裕貴たちは闘技場へ急いで向かうのだった。

 

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