解放のとき

 少年が緊張した顔で出入り口を睨む。

 コツコツと硬質な足音が真っ直ぐ向かってきて扉の前で一度止まり、それから細い蝶番の鳴き声を伴って扉が開かれた。


「鶯。見つけたのね」


 細い明かりを背負って、桜義が姿を現す。

 その姿はまるで、彩雲を纏い天女が雲間から現れたかの如く。少年は、思わず息をするのも忘れて美貌の主に見入った。


「上は?」

「終わったわ。全てね」


 歌春に答えてから、桜義は捕らえられた被害者たちを見回した。聞いていた数と、檻にいる数。一つたりとも誤差はないようだ。


「胤国へ連れ去られた人はいなさそうね。皆、もうすぐ帰れるわ」


 桜義の言葉が、暗い船倉に染み込んで消える。

 被害者たちは暫くなにを言われたか理解できない顔をしていたが、そのうち一人がぽつりと「ほ、本当か……?」と零し、それから方々の檻から「本当に帰れるのか」「お前たちは何者なんだ」「上でなにがあったんだ」と声が上がった。

 それには答えず、桜義は少女の入っている檻を開けた。いつの間にくすねたのか、彼の手にはリングに通された数十本の鍵の束がある。


「藤、出なさい」

「うん……」


 身を屈めながら、少女が出てくる。足首が鎖で繋がっているせいで必然的に少年も一緒に檻から出てきたが、どうやら桜義が持っている鍵束に枷の鍵もあったようで、数日ぶりに二人は重い鉄の枷から解放された。

 少年は赤黒く腫れてすり切れた足首を擦り、溜息を一つ吐く。見た目以上に痛みがひどいのか、立つことも出来ていない。


「そろそろ到着しそうね」


 桜義が言うが早いか、船の上の方から騒がしい声が聞こえ始めた。声は海賊たちのような荒々しさこそないものの、大声を張り上げて指示を出している者とそれに応答している複数人の声が混じりあって、船倉まで響いてくる。

 十数分後、桜義が現れた扉から警護兵が飛び込んできた。そして上階へむけて声を張り上げつつ、檻に駆け寄っていく。声に呼ばれた数名の警護兵が合流してからは、桜義たちはただ片隅で彼らの仕事を見守るばかりであった。

 あれよあれよと檻に詰められていた『商品』たちが『人』へと戻されていく。暗くジメジメした船倉から外へと運び出されていく。

 道中の死体だけは何とか片付けたようで、多少の血痕こそ残っていたものの凄惨な肉の海を越えていく羽目にはならなかった。


「通報とご協力に感謝致します。あとは我々が引き継ぎますので」

「ええ。どうぞよしなに」


 桜義に向かって敬礼すると、警護兵たちは誘拐被害者たちを伴って帰っていった。残されたのは桜義と歌春、そして藤の少女と孤児の少年。

 少年は歌春に支えられて何とか立っている様子で、腫れているほうの足はつま先が地に接してはいるものの体重をかけることが出来ていない。


「取り敢えず宿に戻って、明日孤児院に相談しようか」

「そうね。一先ず旦那様のところへ藤を連れていきましょう」

「……わかった。じゃあ」


 そう言って歌春から少年が離れようとすると、歌春は「どうしたの?」と首を傾げ引き留めた。少年は驚いた顔で歌春を見返し、怪訝そうに眉を寄せる。


「どうしたって、お前らは宿に帰るんだろ? 俺はそんな金ねーし、その辺で適当に野宿するから」

「えっ、でも」

「別に今更逃げたりしねーよ。行き場もねーからな」

「そうじゃなくて。そんな怪我してるのに放り出したら僕が叱られちゃう。知らない人ばかりで落ち着かないのはわかるけど、一緒に来てくれないかな」


 説得する歌春の横で、藤が真剣な顔で頷いている。

 このまま無理にでも逃げ出そうものなら泣き出しかねない表情だ。

 少年は観念したように溜息をつくと、「わかった」と掠れた声で言った。

 抵抗されなくなった体を慎重に支えながら、歌春は少年と共に宿を目指す。傍らで心配そうな顔をしている藤も、身の丈が合わずに支えることが出来ない桜義も、誰もなにも言わずに少年の歩みに合わせている。

 時間をかけて宿に着いた一行は、そのまま雨竜たちが待つ部屋へと戻った。此処は人数ではなく部屋ごとに料金が決まっているため、何人連れ込もうと値段は変わらず一部屋分となっている。


「ただいま」

「おう、お帰り」


 顔を上げた雨竜が、僅かに目を瞠る。

 共に待っていた千鶴も、驚いた表情で少年を見た。千鶴の場合は、藤以外の人間がついてきていることへの驚きのほうが大きいようだが。


「おいおい、怪我してんのか? 取り敢えず其処に座って、ちっと見せてみな」


 一人で歩くことが出来ない少年は歌春の誘導に従うほかなく、宿に備え付けの低い座椅子に座らされた。


「鶴、すまねえが手ぬぐいを濡らしてきてくれるか」

「はい、ただいま」


 雨竜から手ぬぐいを受け取り、千鶴が水場へと向かう。すぐさま戻った千鶴が水で冷やされた手ぬぐいを少年の腫れた足首に当てると、少年は僅かに顔を歪めた。が、ズキズキ響く痛みと熱が和らぐのを感じ、ぎゅっと寄せられた眉がほどける。


「雨竜さん、その子は明日にも芒ヶ原孤児院に連れて行こうって、桜と話したんだ。どうやら帰る場所がないみたいだから」

「芒ヶ原ってェと、あれか。ま、あそこなら悪いようにはならねェか」

「あの……なんでそこまでしてくれんの? 怪我だって俺のことだって、あんたには何の関係もないのに……」


 当然のように今後の処遇を話す見知らぬ大人に、少年は不思議そうな顔で問う。

 歌春や桜義、檻で数日を共に過ごした藤はともかく、宿で待っていた雨竜にとって少年は突然舞い込んだ厄介ごとでしかないはず。

 そう思っている少年に、雨竜は事もなげに答えた。


「何故ってお前、怪我してる奴がいたら手当くらいするだろ?」


 その常識は、少年にとってあまりにも未知であった。

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