馬子にも衣装
雨竜と白雪は、宿を出て欧人街へ来ていた。
此処は港が近く異国の品や技術が多く輸入される街で、雨竜が住んでいた境町とは風情が全く異なっている。まず建物が石や煉瓦で作られており、中央通りには石畳が敷かれている。見上げるほど大きな時計塔には色つきギヤマン細工のモザイク絵窓が取り付けられていて、昼と夜とで異なる絵が浮かぶことで有名であった。
観光地としても開かれている欧人街には、様々な種族の人が行き交っている。犬の散歩をする洋装の夫人、人力車で観光をする若い男女、客引きになりすました黒狐の妖に、ゴミ捨て場から逃げ出してきた傘小僧など。其処へ、肌や髪の色が違うだけの欧人が混ざったところでどうということもなく。皆が当たり前に馴染んでいた。
「いきなり服買ってから向かうっつわれたときは何事かと思ったが、なるほどなァ」
周囲を見回し、雨竜は納得したように息を吐いた。
根ノ國の外にも開かれた港町には、色々な人がいる。が、観光市街でもある此処はそれなりの身形をした人間ばかりが行き交っている。漁港方面に行けば労働者らしい風体をした男女の姿もあるが、現在地には殆どいない。
如何に人種や種族に隔たりがないとはいえ、あまりに見窄らしい格好をしていては浮いて仕方がないと判断したのだろう。
いま雨竜は、古着ではあるものの元々着ていたすり切れた着物とは見違えるくらいまともな着物に袴を合わせ、履いたこともない足袋と下駄まで履いている。
これらはいつの間にやら神使から白雪が預かっていた、当座の調査資金から出してもらった。雨竜に預けたらまた賭博に消えると踏んだのだろう。当の雨竜も自制心を産道に落としてきた自覚があるため、白雪が財布の紐を握ることに異論はない。
彼のぼんやり具合だけは、少々心配ではあるが。
「んで、今度は何処にあるんだ?」
「あっち」
白雪が指した方向は、中心地から逸れた街の奥だった。
小一時間ほど歩いて辿り着いたのは広大な敷地を要する施療院だ。門柱には木製の看板がかけられており、其処には『菊川施療院』とある。外から見ただけでも病床がたくさんありそうなこと、公園のような遊具があること、建物を囲う塀が高く、更に鉄条網が上部についていることがわかる。
「遊具と鉄条網の組み合わせはどうなんだ? しかもこれ、どう見ても……」
塀の上を見上げながら、雨竜が眉を寄せる。
子供たちが多くいるから外部の侵入を防ぐために警備を厳重にしている。それならまだわかる。欧人街の施療院に長期入院が出来るような家の子は、だいたい親が金を持っているものだから。しかしこの鉄条網は、内側にも向いているのだ。この物騒な配置は中からの脱出を防ぐためのもので、主に刑務所などで使われている。
正面には鉄で出来た背の高い門がそびえており、気合いの入った泥棒でもそうそう乗り越えようという気にならない立派な作りだ。
「うりゅ、此処、入れない?」
「まあ、簡単には入れねェだろうな。余所者が見舞いだっつっても不審者と思われて通報されんのがオチだぜ」
中に入るでもなく門前でうろうろしていても、それはそれで通報されかねないと、雨竜は名残惜しげにしている白雪を引っ張って施療院から距離を取った。
しかし離れたはいいものの、これからどうするべきか全く浮かんでこない。
知り合いでもいれば見舞いのついでに中を探せるが、生憎雨竜には富裕層の子供の知人など一人もいない。医者や看護師は言うまでもない。
「おっと、そうだ。折角の観光地なんだし、鶴も出しとくか」
雨竜は映成札の箱に手を振れ、千鶴の名を呼んだ。
「お呼びでしょうか……?」
「特に用事ってわけでもねェんだが、箱ン中にずっといるのは退屈だろ。この辺りは境町と景色が全然違ェから、アンタも見てみるといい」
「あ……ありがとうございます。私、欧人街は初めてです」
突然呼び出されて困惑していた千鶴の表情が、明るくやわらかなものに変わった。煌めく瞳には好奇心が宿り、美しい街並みに声もなく感動しているのがわかる。
彼女の着物は三人の中で最も上等に見え、長く伸びた美しい黒髪や日焼けの痕跡も見当たらない白い肌などからも、誰よりもこの場に相応しく見える。見目だけならば道行く富裕層の婦人にも劣らぬ美しさだが、幼子のような――敢えて言葉を選ばずに言うならお上りさんのような――無邪気な表情が、彼女を観光客たらしめていた。
「本当に境町とは景色が違うのですね。石畳もガス灯も、初めて見ました」
「だな。あっちじゃまだ行灯油が現役だからなァ」
他愛ない話をしながら、街道をあてもなく歩く。
決まった行き先はないものの、長丁場になりそうな予感がした雨竜は、安めの宿がないか辺りを探していた。大通りに面した宿はどれも立派で敷居が高く、扉をくぐる気にすらなれない。
どうしたものかと近場の路地を覗いたときだった。若い女性が大荷物を抱えて一人歩いていたかと思えば、すれ違い様に輩のような男が肩をぶつけて女性を転ばせた。
「チッ! トロトロ歩いてんじゃねえよブス! 邪魔なんだよ!」
「きゃっ!」
更に腰を蹴りつけ、男はブツブツと文句を言いながら歩き去って行った。足取りと口調が覚束ないのは男のほうで、遠目にも酒気帯びだとわかる有様だ。
「この街にもああいうのはいるんだな……」
見てしまった手前、放っておくことも出来ず、雨竜は女性の元まで行って散乱した荷物を拾い集めた。白雪と千鶴も雨竜に倣って荷物を拾い、土埃を叩いたりしながら散らばったものを集めていく。
「アンタ、怪我はないか?」
「は、はい……ありがとうございます……っ」
女性は雨竜の手を借りながら立ち上がろうとしたが、蹴られたところが痛むらしく僅かに眉を寄せた。見れば手のひらにも擦り傷が出来ている。
「無理はしないほうがいい。ただでさえ大荷物抱えてんだ。白雪、全部集めたか?」
「うん、たぶん。ねえ、これで全部?」
白雪が集めた荷物を女性に見せると、女性は辺りを見回してから、荷物を一つ一つ確かめて頷いた。
「はい、確かに……お手を煩わせてすみません」
ふらつきながら荷物を受け取ろうとするが、横からそれを雨竜が取り上げた。
「待て待て。そんなフラフラでこんなもん抱えていったらまた転けちまうだろ」
「ですが、早く届けないと……」
拾い集めたときにわかったが、女性は大量の本と子供用のオモチャを持っていた。本は一冊だけなら大したことないものの、束になれば相応の重量になる。子供向けの小さな絵本とはいえ馬鹿には出来ない。更に嵩張るオモチャまで持っているのだから尚更である。
「もののついでだ、運んでやるよ。何処までだ?」
「えっ、そんな……其処までお世話になるわけには」
「俺はいいけどよ。アンタ、これを待ってるガキ共がいるんだろ? またぶちまけて目も当てられねえほどボロボロになっちまったら、哀しむのはアンタじゃなくガキ共なんじゃねえの?」
「それは…………」
女性は僅かに俯いて逡巡してから、顔を上げた。
「あの……私、菊川施療院に勤めている志津と申します」
「菊川施療院……」
為す術なく撤退した施療院にとんぼ返りすることになるとは思わなかったが、この期を逃す手はない。雨竜は素知らぬふりで、なるほどな、と呟く。
「だから絵本か」
「はい。うちで入院している子供たちにとって、絵本は数少ない娯楽ですから」
「だったら尚更、早く届けてやらねえとな。白雪、千鶴、この人を頼む」
二人は頷き、志津の傍についた。白雪が彼女を支え、千鶴が逆側で見守りつつ付き添って歩く格好となる。幸いにも歩けないほどではなさそうで、志津を気遣いながら路地を抜けていく。
その後ろ姿を物陰から睨むように見ている人影が複数あったことに気付いたのは、幸か不幸か雨竜だけだった。
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