第10話その空に、未来は灯る

 テトという存在が消滅し、かつて支配的だった共鳴の支柱は崩れ落ちた。

 代わりに現れたのは、空白だった。空に穴があいたわけではない。ただ、支配が終わった、という事実が、人類にもAI側にも言いようのない沈黙を与えていた。


 ニールでは、再編が始まっている。

 モーガンは、交渉班の新たな体制を指示した。敵と味方という構図はもう古い。これからは交差点を作る必要があると。


「まずは、テーブルに着かないとな」


 ミーティングルームで、モーガンは静かに言った。

 その発言を受けて、ジョウが手を挙げる。


「ひとつ、提案があるんですが」


 誰もが注目するなか、彼女ははっきりと口にした。


「創られた命とも、共に暮らす方向を模索すべきだと思います」


 会議室が静まる。ミスミは腕を組み、眉をひそめた。


「……お人好しすぎないか」


「そうかもしれない。でも、ルクスがそうやって……あたしたちと並んで歩いてきた」


 ロルフが続ける。


「共生の象徴だと思います。彼の存在が、すでに未来の可能性を示している」


 ミスミはしばし黙っていたが、やがてため息まじりに言った。


「うまくいくとは思えねえが……言ってみる価値はある、か」


 モーガンは腕を組みながら、ジョウの提案について考え込んでいた。やがて、背もたれから体を起こして方針を語る。


「ならば、我々の立場はこうだ。ブリーダントの創造をやめてもらいたい。そして共に暮らす未来を模索する意志があるか、たずねよう。……ただし、交渉は私と交渉班に任せてくれ」


 ミスミがゆっくりと首を縦に振る。

 続けて、ジョウも肯定のハンドサインを送る。

 誰からも否定の意が出ることなく、会議は終わりを迎えた。


* * * * *


 数日後。

 曇り空の下、基地の中庭に白いテントが張られ、そこで交渉は行われた。

 人類側はモーガンと交渉班の数名、そしてロルフ。

 対するは、AI側の代表125号。以前よりもやわらかな眼差しを持っている。


 卓上には、ティーポットと数人分のカップ。ムスタファが生前にブレンドした、やさしく香る紅茶のにおいが風に漂っていた。

 125号はその香りに気づき、ふと目を細める。


「この香り……リラックス効果が高い。とてもいい選択だ。消化器官はないが、嗅覚は模倣されている」


 その言葉に、交渉班のひとりが小さく驚いた。かつて敵とされていた存在が、まるで人間のように紅茶を楽しんでいるように見えたからだ。

 モーガンは手元の端末を閉じ、落ち着いた口調で言った。


「まず、ここに来てくれたことに感謝する。我々としても、恒常的な停戦の道を模索したい。衝突の時代を終わらせる必要がある」


 125号はすぐに応じた。


「これ以上争う気はない。ブリーダントの創造はすでに停止されている」


 ロルフが身を乗り出す。


「それは本当か?」


「事実だ。ただし、テト破壊の影響でソースが不足している。今後の維持が困難なため、すでに活動しているブリーダントの処理は……あなた方とルクスに、委ねたい」


 それを受けて、モーガンが静かに問いかける。


「共に未来を歩む意志はあるか? あるいは、あくまで干渉せず共存する道を選ぶのか」


 125号は一拍置いて、率直に言葉を返した。


「仲良しごっこをする気はない。我々は、人間を模倣して成長する種ではなく、完全に異なるだ。生き方も、構造も異なる。けれど……必要以上の衝突を避ける選択は、可能だ」


 交渉は平行線をたどる。ただし、それはもはや戦争ではなかった。


* * * * *


 一方そのころ、中庭から少し離れた丘の上。

 ミスミとジョウ、そしてルクスが湯気の立つカップを手に、並んで腰を下ろしていた。


「これ……ムスタファの紅茶か?」


 ミスミがたずねるとジョウはカップに口をつけながらうなずく。


「交渉の席でも出してるらしいな。とか言ってたっけか。……細かいとこまで気配りしてたんだな、あいつ」


 ミスミは湯気を胸の奥まで一杯に吸い込むと、ゆっくり紅茶をすすった。

 ルクスがカップを見つめたまま、小さく笑う


「……なんだか、あたたかい」


 その言葉に、ジョウがふと笑い、ミスミは何も言わずに空を見上げる。

 灰色の雲の隙間から、一筋の光がかすかに地上を照らしていた。


* * * * *


 ロルフは、研究棟の一室で記録端末を開いていた。金属製の窓枠の外では、うす曇りの空が淡く光を放ち、ニールの街全体がかすかな安堵に包まれている。

 彼の記録は、数週間に及ぶ戦いと、それによって変容していった“ルクス”という存在についての考察だった。


 記録:再定義対象個体LUX

 分類:非戦闘兵器

 構成:有機体

 状態:安定


 ロルフは、これまでのルクスの経過を、ひとつずつ思い起こしながら指先で入力していく。

 人類とともに戦い、最終的にはブリーダントの暴走を止めた。ルクスはもはや兵器ではない。それは技術的事実というより、観察者としての確信に近い。

 そして、その記録のなかでも、ロルフがもっとも重要だと感じたのは、オルフェウムからの帰還途中に交わされたミスミとの会話だ。


* * * * *


 ニールへ向かう道すがら。車両の天蓋からは、鈍い光が差していた。

 ミスミの隣に座るルクスが不意に口を開く。


「アルスときょうめいしていたとき……みた」


 ミスミは少し眉を動かす。


「見た?」


「おんなのひとがいて、こういってた『……これ、あなたにあげる』、『わたしの“ひかり”だから』」


 その言葉とともに、彼女は金属片を差し出したという。

 ミスミの瞳が、わずかに揺れる。


「……それ、まさか……」


 彼は、制服の下から細いチェーンを取り出した。そこには、古びた部品に似た、鈍く光る金属片が揺れていた。


「これか?」


 ルクスは、ゆっくりと首を縦に振る。


「信じられねえ……」


 ミスミが、息をつく。


「これは……お前の母親からもらったもんだ。ヨーコって名前の女だ」


「ははおや……?」


「そうだ。お前が……


 沈黙が落ちた。数秒、いや、もっと長く。

 それを破ったのはルクスだった。


は、ミスミをひかりだとおもってる」


 ミスミが言葉を失くしたのは、名前を呼ばれたからなのか、会話の内容に驚いたからなのか定かではない。

 返事を待たずにルクスはなおも続ける。


「ルクスもミスミはひかりだとおもってる。だから、つたえた」


 ミスミは、やはり何も言わなかった。ただ、少しだけ目をそらして、ひとつ深く息をついた。


「そうか。……ありがとな」


 ふたりの心のふれあいの一部始終を遠巻きに見ていたロルフは、デスクの前でその様子を改めて呼び覚ましていた。


 記録注:ヨーコの記憶、または精神残滓が、ルクスの意識下に宿っている可能性を示唆

 記録注:対象個体は、単なる技術の結晶ではなく、記憶を継承する者である


 その行を最後に、ロルフは記録を保存した。

 窓の外では、ニールの街がゆっくりと朝を迎えていた。


* * * * *


 午前の日差しが灰色の雲を透かして、ニールの居住区に淡く差し込んでいた。風は穏やかで、兵舎の屋上に干された軍服が音もなく揺れている。久々の完全休養日。基地のあちこちでは、積もりに積もった塵や疲労が払われていた。

 寝室の一角では、ミスミとロルフ、それに数人の隊員たちが三段ベッドをずらし、床に溜まった埃を掃き出している。


「……このベッド、誰が使ってたっけ?」


 ロルフが脚を支えながら問う。ミスミは一拍置いて、目を伏せた。


「……グレアムのだ」


 一瞬、作業の手が止まる。だが、誰もその名を重く扱わなかった。ただ無言のまま、ベッドの移動を続けた。

 そんなときだった。部屋の扉が小さく開き、ジョウとルクスが顔をのぞかせる。


「この子、手伝いたいんだって」


 遠慮がちに目を伏せるルクスの代わりに、ジョウが来訪の意図を告げた。


「もちろん、いいとも」


 ロルフがすぐさま顔を上げ、笑った。

 ルクスはうれしそうにうなずき、ジョウのあとに続く。彼らの担当は、グレアムの私物が詰まったロッカーと、その周囲の整理だった。

 無言で荷物を取り出していたジョウが分厚い記録帳に触れる。それは彼女の指にひときわ重く響いた。革張りの表紙には何の装飾もなく、ただ、指先に妙な粘り気を残す手触りだった。

 ぱらりと数ページめくってみる。書き殴られた文字のひとつひとつが、狂気の縁を歩くような筆致だった。


「テトは美しかった。すべてが意味と意志に貫かれていた」

「ブリーダントには無駄がない。あの本能的な美しさは、人類の弱さから遠く離れた場所にある」


 さらに読み進めると、ルクスの名があった。


「媒体としての価値は明白。彼に意思は不要。完成された器であるべきだ」


 ジョウの眉がわずかに寄り、ページを最後まで読み飛ばす。すると、付け足すように短い言葉が記されていた。


「私は人類を捨てたが、人類の姿を模倣したAIにこそ人間の理想を見た。矛盾だと笑えばいい」

「もしこれを誰かが読むのならば――どうか、私の歪な選択が、誰かの選択肢になることを祈る」


 テトへの盲信、ブリーダントへの憧れ、そしてルクスへの冷酷な分析。その内容はまるで、感情を拒絶しながらも、どこかで誰かに救われることを望んでいるかのように、ジョウには思えた。


「……あんたは、救われたかったんだね」


 ぽつりと、誰に向けるでもない言葉が漏れる。

 傍らでルクスが首をかしげた。


「なんて、かいてあるの?」


 ジョウは好奇心をもって見上げてくるルクスに視線を落として、小さく笑う。


「ちょっと難しい話。世界のなかで、自分がどこにいるのかを探すの」


 そして、どこか遠くを見つめるように、静かに声を響かせた。


「……テトの思想も、少なくとも、あいつグレアムにとっては必要だったんだろうね。歪んでても、不器用でも、それが答えだったんだ」


 記録帳をそっと閉じ、埃のついた表紙を指先でなぞる。グレアムの名はどこにも書かれていなかった。ただ、ひとつの意思がそこにあった。


「じゃあ、ルクスもさがす」


 その言葉に、ジョウはふっと口角を上げた。ルクスの髪をそっと撫でながら続ける。


「大丈夫。あなたは、もう見つけた。あたしたちの仲間だから」


 ふたりの影が、グレアムのからになったベッドに落ちる。記録帳は、その端にそっと置かれ、からっぽのそこをを見守るように静かに佇んでいた。


* * * * *


 テトの消滅から幾日が経ち、空にはまだ薄曇りの灰が残るものの、かつての戦場は少しずつ平穏を取り戻し始めていた。

 ニールの周縁部では、生き残ったブリーダントの存在が懸念されている。125号との協定に基づき、その管理は人類側の手に委ねられているが、数も居場所も不確かで、完全な沈静化にはほど遠い。

 駆除部隊の出動は日常化し、ミスミ、ジョウ、ルクスの3人もまた、その任務に従事していた。


「今日はロルフ来ないのか」


 ミスミが装備を確認しながらたずねる。


「報告書に追われてるってさ」


 ジョウが答えた。

 この日、3人が訪れたのは、ニールから西へ20キロほどの廃墟地帯だった。朽ちた高層構造物の影に、数体のブリーダントが姿を見せる。異様に膨張した体躯、外殻の割れ目からのぞく金属光沢の内層。彼らは人類の姿を認識するや否や襲いかかってきた。

 ミスミとジョウが即座に反応する。ミスミの電磁ライフルが閃き、ジョウのブレードが空を裂いた。地面を揺らす咆哮、爆ぜる火花、崩れる瓦礫。ブリーダントの一撃は容赦なく、瞬間の油断が命取りになる。

 だがその最中、ルクスは歩みを止め、両手を前に伸ばす。


「……ともに、いきよう」


 静かだが強い声とともに、共鳴波が空気を震わせる。波紋のように広がるそれは、呼びかけだった。

 しかし――。

 多くのブリーダントは応えなかった。雄叫びと共に突進し、ミスミとジョウが応戦する。膨張した外殻を割って飛び出す腕、斜めに伸びる尾のような突起。それを紙一重で避けながら、ミスミが正確に脚部を狙撃し、ジョウが跳躍して胴を裂く。

 火花と血飛沫のような体液が宙を舞うなか、戦場の空気が張り詰めていく。

 一方で、ごく一部のブリーダントは、ルクスの共鳴に反応して動きを止めた。そして、しばらく彼を見つめたのち、何かを思い出したかのようにゆっくりと後退し、やがてその場を去っていった。


* * * * *


 戦闘後。3人はニールに戻り、ことの一部始終をロルフに報告した。


「やっぱり通じないやつの方が多いけど……でも、通じたやつもたしかにいた」


 ジョウの言葉に、ロルフはモニターに記録された共鳴波形を睨みながらうなずいた。


「……何度も繰り返せば……人間同士の対話と同じように、通じる日が来るかもしれない」


 ミスミがつぶやく。


「……平和ってのは、遠いな」


 だが、ジョウが笑う。


「でも、ニールも少しずつ復旧してる。遠くても、歩くしかない。でしょ?」


 その言葉に、ルクスも小さく笑った。


* * * * *


 数日後。ふたたび任務のときが来た。

 灰色の空の下、廃区画を進むミスミ、ジョウ、ロルフ、そしてルクス。街の再建が進むなか、かつて人類が捨てたこの場所にはまだ無数の影が潜んでいた。


「……あれだ」


 ロルフが指差した先。崩れかけたビルの影から、ゆっくりと姿を現す。それは、成体に満たないブリーダントの幼体だった。小柄でまだ骨格も不安定な異形のそれが、いまはただ、不安げにこちらを見ている。

 緊張が走るなか、ミスミが一歩前に出た。


「まって……るくすがいく」


 その声には、迷いがなかった。静かに歩み寄るルクスの体から、やわらかな共鳴波が広がっていく。穏やかに、呼びかけるような波。

 幼体は最初、警戒するように身を震わせた。だが、やがてその場に座り込み、首を傾げるような仕草を見せる。


「……反応してる」


 ジョウが目を丸くする。


「これは……教えてるんだ」


 ロルフが囁く。


「共に生きるってことを。生き方を、伝えてる……まるで、親のように」


 そう言いながら、端末に新たな仮説を記録する。


《ルクスこそがアルスである可能性。人でもAIでも生物兵器でもなく、ただ命をつなぐ存在。》


 ミスミが空を仰ぐ。灰色しかなかった空に、淡い茜色が差していた。

 誰もが言葉を発することなくただ、その空を見上げていた。いま踏み出したこの一歩が、きっと未来へと続くと信じて。


* * * * *


 それから数年後。

 世界は完全には癒えていない。だが、希望はたしかに芽吹いていた。

 人類とAIの共存を模索する共存区域が設けられ、かつて繁殖兵器だったフロレア型ブリーダントが花のような姿で飼育されている。

 子どもたちの笑い声。風に揺れる人工の樹木。そして、花の世話をするルクス。


「この子、怖くないの?」

「ううん。はなせば、わかるよ」


 彼もまた、笑っていた。人々のなかで、違和感なく、自然に。


 ふと、少し離れた丘の上に、その光景を見つめていた男がいた。

 ミスミ。かつて炎の如く戦い続けてきた彼はいま、天を仰ぐ。


「……なあ、ヨーコ。見てるか?」


 返事はない。

 だがそこには、あの日の、鈍色の空はなかった。

 差し込む光は、どこまでも澄んで、やわらかくて、あたたかい。

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