星詠みの巫女
唐突に響き渡る咆哮と共に、胸の内に恐怖が飛来した。
研究者の男は精神は蝕まれかけ、これが一部の上位の魔物が放つ魔力を帯びた咆哮だと気付くと、瞬時に全身に魔力を行き渡らせる。
「……何が起こっている?」
極度の緊張状態に――一瞬とは言え――陥ったことによって滲み出た汗を拭うと、遠見の魔術を使用する。
咆哮の場所を特定することは難しい。何せ魔力を沁み込ませた状態になると広い範囲に均一に響き渡る為、その発声源を特定するのは難しい。
しかし、予想はつく。咆哮の前、爆発のあった地点だ。
そこに目を向ける――彼の身体は震え始めた。
恐怖――ではない。その悍ましい見た目に見覚えはある。
驚愕――確かに驚きはした。あの悪龍がなぜこんな場所にいるのか。謎は尽きない。
体躯は違えども、嘗て目に焼き付いたあの姿と似通っている部分が多い。
しかし、嘗ての時ほどの恐怖は感じない。では何が
憤怒である。
「…………ふざけるな」
その呟きは押し殺した怒りの漏れ火であり、怨嗟であり、それ以外の感情を有していなかった。
「ふざけるなっ!!」
抑えきれない激情が感情の蓋を容易く破壊した。
「何年かけたと思っているっ! 誰にも理解されず、誰からも協力を得られず、漸く研究ができたと思えば、今度はこの有様!! ふざけるな。ふざけるなよ貴様ぁッッ!!」
誰もいない屋敷の中、絶叫が響き渡る。
自身が時間を掛け、労力をかけ、そうして育て上げた研究成果を目の前で無残に破壊される事への憤怒がそうさせたのだ。
硬く結ばれた拳からは血が流れ落ち、床に数滴落ちる。
とはいえ、どれだけ叫び、怒り狂おうともそれで現実が変わることは無い。
それを理解して、男は一度は噴出した感情を抑え込んだ。
現状の研究は全て台無しにされた。元凶を始末することも現実的ではない。そも、実力面で見ても恐らくは敵わないであろう。
ならば、また新たに研究を始めるより他は無い。一からの焼き直しだが、手元には資料は残っている。後は環境と必要な物を再度集め直せば良い。
冷静に頭の中で整理するとすぐに脱出するべく、緊急用の魔法陣に向かう――が、突如天井が崩れ落ち、魔法陣はその瓦礫の下敷きになった。
「ごめんねぇ。ちょっとおねぇさん、君とお話がしたいな―☆」
いいよね?
有無を言わせぬ圧を以て耳長亜人最古の魔術師が現れた。
「…貴様」
いくら世俗に疎い男であっても場違いな程に異国情緒溢れた衣装を着た目の前の人物を知っている。
エリー、否、星の魔女エリ・アクアマリナの名を彼らの間で知らぬ者はいない。
「傍観者を気取っていた三辰の巫女が世俗に干渉するとはな。気が変わったか?」
「そんなつもりは無いよっ☆ ただ『ヤクソク』を護っているダ・ケ☆」
ポーズを決めて片眼を閉じるエリ。しかし男は攻撃を仕掛ける気にはならない。
その周囲に魔術を仕込んでいることが分かっていたからだ。その一つ一つの威力もだが、数もまた常人が展開できる範疇をゆうに超えている。
「それで、正直に話をしてくれるとおねぇさん嬉しいなぁって」
再度星の魔女は問いかける。手に持ったステッキを手慰みに回しているように見せ、魔力を集中させながら。
それに対する男の返答はいたってシンプルだった。
「断る」
言い放ちながら魔術『
エリの周囲を土の檻が囲み、その檻の一本一本から鋭い針が突き出した。
常人ならば確実に命を落とすであろうそれをしかし、男は単なる足止めと目隠しにしかならないだろうと予測する。
あの星の魔女がこの程度で倒されるような実力ならば、三辰の巫女に選ばれていないだろうし、何よりもあの大戦を生き延び現在まで生きている訳が無い。
「う~ん、そっかぁ」
じゃあしょうがないよね。
瞬間、呆気ない程に崩れ落ちた『土塊の処女』から夜空を彩る星が溢れ出した。
星々は檻を飛び出すと、術者の敵を穿つべく男に殺到する。
それを間一髪で避けると、尚も追尾するそれらを遮るべく『
本来ならば、薄い外観とは裏腹に並の魔獣の突進を容易く受けきる硬さを誇る壁はしかし、星々の前では板木でできた壁にしか過ぎなかった。
「っ話に聞く以上の無法者め!」
男は3枚目の防壁に罅が入るのを確認すると城壁を再度3重に追加する。
それでも止まらず、4枚目、5枚目と貫通し、更に追加した2枚の内、1枚の半ばまで貫通して漸くその勢いを止めるに至った。
崩れ落ちた城壁と共に力を失った星々が地に堕ちる。
「止めれたんだ。すごいね」
感心するような魔女の言葉が耳に届く。幼子を褒めるような圧倒的な上位者のその姿に男の怒りが再燃した。
「どいつも私の崇高な実験を邪魔する愚か者共め! こんな理不尽で潰えるなど受け入れんぞ!!」
「これっぽっちで理不尽だなんて、大げさだと思うけどなぁ」
男の怒声を魔女は涼し気に受け流す。事実、彼女にとってこの程度の事象は些細な出来事でしかないのだ。
しかし、その態度は男の怒りに燃料を投下する結果しかもたらさなかった。
「あのルクレベの悲劇の再来がこれっぽっち!? これっぽっちだと!!」
再度吠える男の姿を星の魔女は醒めた感情で見ている。茶番染みた会話に飽きて来たのだ。本来の目的は 今も尚アムーレリア都市部で暴走を続けている男、ジョーの対処であり、目の前の男と問答をすることではない。
この程度の壁を理不尽と吠え、駄々をこねるような未熟な敵対者に掛ける情けは同種と言えども持ち合わせてはいない。
「うん、じゃあ、まあ。そう言う事で」
ステッキを振る。
魔力を失い、男の周囲に堕ちていた筈の星々が浮かび始め光を再度放ち始める。
「二度も同じ手は喰わん!!」
それに対抗するべく、先ほどと同じ8枚の城壁を展開する男に星の魔女は言う。
「残念だけど、ソレだけじゃ足りないかナ☆」
死刑宣告の様に魔術名を告げると、男の周囲に浮かんでいた星々が超新星爆発を起こした。
威力を極限まで抑えた筈のソレは爆風によって城壁はおろか屋敷を吹き飛ばし、高温は城壁によって守られていた筈の男を容易く焼き焦がした。
致命的な損傷によって、屋敷が崩壊する頃には既に星の魔女は次の目的地へ向かっていた。
異形が街を歩いている。
唯目的も無く、項垂れるゴブリンを踏み潰し、戯れに弄びながら、街の中を歩いてゆく。
「あちゃー…大分、呪いが侵食しちゃってるね」
背後からの声に振り返る。振り返るとそこには星の魔女が居た。
「おっ、剣は持ってるみたいだね。関心かんしん☆」
親友と相対するような気さくな様子で話しかけ、そのまま近づいていく。
異形は星の魔女を掴もうと腕を伸ばす。しかし、魔女はひらりとかわし、さらに近づく。
振り払うべく腕を振るうもまたもや避けられ、魔女は異形の肩に着地する。
「君にはそろそろ元の姿に戻って貰わないとおねぇさん困っちゃうから、ね?」
ト、と魔女の手が頭に乗せられる。
「だから――アナタにはちょっと眠って貰うね」
異形の身体が何かに押し付けられるように地面にめり込んだ。
どれだけの怪力を以てしても自身の身体はおろか、指一本すら持ち上げることが出来ない。
口を開き炎を吐き出そうにも、開く事すらままならない。
睨むことしかできない異形を前に、星の魔女は異形の手にある大剣を取り上げる。
屈強な男ですら持ち上げる事の敵わないソレをまるで小枝を持ち上げるかのように宙に掲げ、三辰の巫女は祝詞を奏上する。
『星詠みの巫女の名の元此処に命ず』
それは資格を持つものにのみ許された言語。
太陽、月、星。何れの力を用いて行われる太古の術。
『夜闇の安寧、瞬く星々。痛む者に癒しを、苛まれる者に浄化を与えん』
大剣に含まれたイシルディンが祝詞に反応し光を放つ。
星々から流れ落ちた魔力がイシルディンに沁み込み、その切っ先を異形に向けるとその先から雫が落ちた。
『星夜の雫』
雫が異形の肌に吸い込まれると、その身体を覆っていた革鎧は元の姿に戻り、鱗は剥がれ塵となって風の中に消えていく。
その姿が次第に彼女がよく知る男の姿に戻ると、大剣を再び彼の手元に戻しステッキを空高く掲げ―――
「そりゃっ☆」
意識の無い男の頭上に勢い良く叩き付けた。
小気味よい音と主に男のうめき声が街中に響き渡った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます