第4話 リーサル・ウェポン
俺が連れてこられたのは会議室という名の法廷だった。
弧を描くような格式ばった長い机に、威厳の立つ雰囲気の大人が五人ほど座っていた。
老婆、狐の耳を生やした男、若い女性、比較的優しい顔をした老人、中年の男性。
こんな並びだ。
そして机の後ろにはレックスとバルクが距離を保って立っており、おそらく二人よりもこの座っている五人の方が高い地位だと察せられる。さっきバルクが口にしていた「幹部」というやつなのだろう。
俺はその机に囲われるようにして立ち、一斉の冷ややかな視線を浴びている。
ついでに俺の後ろには、依然として鞘に手をかけたリゼルがいる。
いくら鈍い俺でも、この状況から自分の置かれている立場は想定できた。
ここは、裁きの場であり。
俺は罪人の扱いを受けている。
席に座る幹部の中で唯一若い美貌を持つ赤髪の女性が、口を開いた。
「逸脱者ノト・リンクス__
〈
間違いありませんね?」
半分ほど何を言っているのかわからなかった。
レックスから説明を受けた部分は理解できるが、何か知らない単語が出てきた。
「本質って__?」
「質問に答えなさい!」
バン!と、したたかな音が響く。俺からみて左端に座る老婆の幹部が机を叩きながら立ち、声を張り上げた。
少しばかり過剰なのではないかと顔を引き攣らせていると、その場にいるレックスを除いた全員が、同じくらいの怒気と警戒心を孕んだ目を向けているのが見えた。
状況に適った怒鳴りだったのかもしれない。
俺に質問する権利はないのだと、実感する。
「た……多分、間違いない」
そう答えると、赤髪の幹部は口元で息を吐き、冷静さを保つように目を閉じては、またゆっくり開いた。
「__では、次の質疑応答へ。
あなたは、運命を憎んでいますか?」
「……」
ここの人間は、俺の母が死ぬ運命だったことを一人残らず知っている。
そして、俺が百八十回のループを繰り返していたことも、多分知っている。
その上で、どうしてそんな質問ができる?
目の前でいくら同じ光景が繰り返されようと、あの絶望と怒りに編まれた自己嫌悪が消えることはなかった。
慣れることなど、決してなかった。
ふざけてんのか?
考えてみたらわかるものじゃないのか。
こんな不条理にたった一人の親を殺されて、それを笑って受け入れる度量があるのなら。
俺はループなんてしていない。
こいつらは、こいつらには、他人を思う感情ってものが__
「……!」
その時、幹部たちの裏に立つレックスが何か慌ただしくジェスチャーをしているのが、不明瞭になっていた視界に入りこんだ。
人差し指と中指で、自分の目を指すような手振りのあとに、手をグーパーと閉めて開いて。
『目』と『ライト』?
何をしているのか一瞬わからなかった。
だが目に感覚を集中した時、自身の瞳がすでにアップを終えたような熱を帯びてるのに気がついた。
また無意識に『時の眼』のスイッチが点いていたらしい。
あのジェスチャーは、「目光ってるぞ!しまえ!」の意だったのか!
「質問を、聞いていましたか?」
若い女性がかすかに震える声で聞いてくる。
どう答えるべきか。
レックスのアホらしいジェスチャーを見て、怒りは若干抑えられたように感じる。怒りに任せて身を投げるような発言を踏みとどまる余裕が生まれた。
そうだ、包み隠せ。きっとレックスもそれを望んで俺をネクサリウムに連れてきた。
ここで終わらないために、己を
「俺は、納得……しています」
「納得?」
「運命というシステムは、あまりに理にかなっている。
そこにいるレックスから受けた説明に、俺は感銘を受けました!
俺も全てを知ったわけではないですが、それでも、全ては世界の破滅や、無意味な争いを防ぐためなのでしょう!
定められたレールがあれば、事故は起こらない! 無数の命を救っているのですよね!
座す者という人? 神?
まぁどこのどなたかは存じませんが、なんという偉業をやってのけたのでしょう!
__いつか、直にお会いしたいものです!」
舌を噛みちぎるような気合いを入れて己の口を嘘に回し、最大限の賛辞を捲し立てた。
言っていて、自分を殴りつけたい嫌悪感に苛まれた。
俺は今、母親を殺した機構を、そう仕組んだ者を讃えているのだ。
母さんに顔向けできない、最低な息子だ。
俺の熱演に、幹部たちは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で、口を開けて硬直していた。
相当意外だったらしい。
「__あ、貴方がそういった感情を抱いているのは想定外でした」
「母親を殺された俺が、運命を仕組んだ者を憎んでいると思いました?」
「……地上で生きる者は往々にして運命を憎む傾向にありますから」
「あっはは! 憎むだなんてとんでもない! 俺は友達といえる友達も少なく、学校では孤立していまして、人が言うには、捻くれている……と。
だから、周囲と感じ方が違うのかもしれません。俺は、運命を尊重しています」
耐えろ。
堪えろ。
学校で孤立しているのも、友人が少ないことも本当だ。
巨大な事実に、ほんの少しの非情な嘘を織り交ぜただけ。
頬の裏を噛み切るように感情を殺して、俺は笑顔を浮かべながらネクサリウムに溶け込むためのノト・リンクスを演じた。
視線だけ、一瞬レックスに向けると、彼は小さくうなずいている。
このまま行け。そんな意思が伝わる。
アイツが、どんなことを考えているのはわからない。ただ感じるのは、計略。
俺をここに連れてきたこと。俺にだけわかるように、俺の死を避けさせようとしていること。
味方だとは思わない。ここにいる誰もが運命の僕で、きっとレックスも変わりない。
でも、多分アイツは俺を助ける。目が合った瞬間、そう確信した。
「運命を尊重……。
私たちは、あなたの力を警戒しています。
運命を捻じ曲げる、ほぼ無限に近い可能性が秘められたその『時の眼』を。
あなたがこれから先、運命に牙を向きその力を振るうというのなら、私たちはあなたをこの場で処刑します」
「……」
空気がピリつく。俺の眼のことについて、警戒するとともに恐れているとも受け取れる。
正直言って、この力がそれほど便利だと思ったことはない。百七十九の『ループ』を繰り返した果てにようやく、周囲の時間を遅くする、まだ使い方もままならない『鈍化』を得て。
そして、結局、母を救えなかった。
人に勝てても、境界が生まれるからだ。
それでもなお彼らが俺を殺したがるのは、俺の知らない力を彼らが知っているからなのかもしれない。
俺がそう思うのと同時に、赤髪の幹部は続けた。
「そしてもし、あなたが運命に服従すると誓うのなら__あなたには価値があるとも考えています」
「価値……」
「利用価値のことだ」
赤髪の幹部の隣、狐の耳を生やした男が、イラついたような口調でそう挟んだ。
顔立ちの整った狐の獣人。クリーム色の髪は左目を覆うほどに長く、後ろ毛も相応に長い、見る限り少なくとも肩甲骨よりは下まで垂れているだろう。そんな彼は垣間見える右目の瞳孔を細め、俺を睨みつけていた。
彼は……俺を殺したがっていそうだ。
「利用、というのは__?」
「逸脱者の出現とともに現れる、境界。
それは、予測不可能の壊滅から世界を守るための機構。けれど、境界の存在にも代償は存在する。
『因果の膿』と呼ばれる現象で、境界によって滞留する『時間負荷』が、やがてあらゆる生命体を模した形に具現化され、魔物のように境界の外を目指して彷徨い始める……。
__だから私たちは、早急に境界を消滅させなくてはならない」
赤髪の幹部が因果の膿について説明すると、狐耳の幹部が続ける。
「だが、境界の消滅は、逸脱者の死亡や消滅が絶対条件。殺すか、干渉区域からネクサリウムに連行するか。
無論、逸脱者も人間であり、その全てが運命を変えられると世界が危険信号を出すほどの力を持っている。
抵抗されることも多く、境界を消滅させるだけで百人以上こちらの兵が殺されることもしばしば……そこで、お前だ」
「俺が、逸脱者と戦えと……?」
「戦うよりももっと効率的なことがあるだろう__『因果の逆行』、タイムリープ。
それがあれば、運命が変えられる前に時間を戻し、境界そのものを『なかったことに』すらできるかもしれない。
さすれば、逸脱者の処刑や連行の必要はなく、我々の兵が命を賭すこともなくなる……というのが、我々幹部評議会の意見が割れた理由だ。
__利用価値の有無を見定めてから決断する必要がある」
ちょっと、難しい話をされている。
簡単に整理するなら、犯罪が起こったことを確認して、その犯人が行動を起こす前の時間まで戻る。
そうすれば、被害はなく犯行の事実すらも消える。
といった感じだろうか。
「お前の力が、本当にそれを可能とするものだと、証明できるか?」
「証明……ですか」
「お前のタイムリープ、そしてそれを際限なく繰り返すタイムループが、ネクサリウムに革新をもたらす武器になるのなら、お前の首の皮は繋がる。できないのなら__わかるな?」
「……」
「お前の得た力について、説明してみろ。本質の突然変異がもたらした、忌々しい力についてな」
皆が静かに視線をこちらに向ける。
さっきも言っていた本質って言葉がなんなのか、俺にはわからない。ネクサリウムの方がこの力についてよく知っているのではないかとも思うのだが、ひとまず実体験を話そう。
「正直に言うと、俺はこの力を使っているというより、力に振り回されているといった感じです。
時間の逆行は、よし使おう!と意気込めば使えるものではなく、いつも不安定なタイミングで訪れます。
一番多かったのは__目の前で母が死んだ瞬間。
怒りと、悲しみ、無力感。それらを感じた時。
この眼が焼けるように熱くなり、視界が光に包まれて、体の感覚が消失し__気がつけば時間が戻っている……そんな感じです」
説明すると、赤髪の女性が尋ねてくる。
「コントロールしているわけではない……なら『逆行』のトリガーは、感情の爆発といったところでしょうか?」
「……多分」
「フン……武器としては不安定だな」
正直に話しすぎただろうか。
利用価値を示すべきだったかもしれないが、ホラを吹いてじゃあやってみろなんて言われたら困る。
「タイムリープ、およびループで体にかかる負荷はあったか?」
「体はどれだけ傷ついても、開始時点の状態に戻っていました。眼を使うことで疲労などは、特になかったと思います」
その分、穴を埋めるように精神のダメージが凄まじいんだけどな。
「__時間を
__それは、有用だと言わざるを得ないな」
狐耳の幹部がつぶやいたその言葉に、悪寒が走った。俺のことを人間と換算していない考え方だ。
壊れない兵器として見られ始めている。
赤髪の幹部が狐耳の幹部のぼやきをよそに会話を続ける。
「境界が発生したのはあなたがループを初めて百八十回目のことでしたが、なぜそのタイミングだったのかあなたは自覚していますか?」
「……その一つ前で突然得た周囲の時間を遅らせる『鈍化』の力が、母親を救えてしまうからですよね」
「そうです、鈍化の力は人間を相手には圧倒的な有利性を誇りますから……。
今あなたの目に宿る『逆行』と『鈍化』の力がもし、運命の味方になるのなら__多くの筋書きを守り、境界をこの世から一つ残らず根絶することも夢ではありません。
__今より、あなたの処分を決める投票を再度行いたいと思います」
……俺は、うまくやれただろうか。
幹部で言葉を発したのは赤髪と狐耳の幹部だけで、中年の男性と老婆、老人の三人は寡黙に話を聞いていただけだった。
難しい顔をして、若い二人に進行を任せきり。何も考えていないのか、深く考えすぎて喋らないのかどちらなのか知る由もないが__
狐耳の方は威圧的な態度を変えることなく、吟味するように考えている。
赤髪の女性は、おそらく俺をネクサリウムで境界の発生を防ぐ武器として利用することに前向きだ。
票がどのように割れるのか全く予想がつかない。
死か、奴隷か__大差ないかもしれないが、座す者に会う可能性がある方に転がることを願う。
「ちょっとだけいいかな」
皆が投票を目前に背筋をただしていたところに、レックスが手を挙げて口を挟んだ。
赤髪の幹部が場の流れを見出す彼を軽く睨む。
「何? レックス」
レックスはゆっくりと歩き出し、俺の隣に立つと、並んで座る幹部たちを見て朗らかな笑顔を向けた。
決して純粋ではなく、策略に満ちた目の奥の光が、近くにいる俺にだけ視認できた。
「これは、ノト・リンクスの生死を決める投票であると同時に、ネクサリウムの未来を決める決断だ。
お偉いさんがたは長らく椅子に座っているから、前線に赴いて逸脱者達と戦う兵士たちのことを、すっかり忘れているかもしれないけれど。
ノト・リンクスの存在は、確実にネクサリウムにとって最大の武器になる。
時が経つにつれ増加傾向にある逸脱者と境界の発生。
僕らの手に負えなくなる日も遠くないだろう。
__今、殻を破らなければ世界は守れないと、僕は思う。
以上だ」
全くちょっとの発言ではなかったけれど、レックスは俺の株を上げるためにわざわざ前に立って弁舌を振るってくれた。
狐耳の幹部の表情は変わらないままだが、老婆の表情が少しこわばり、中年の男性の眉がぴくりと動いた。老人は依然として優しそうな顔を保っているが。
何かが変わったのは間違いない。
あとはもう、流れに身を任せるしかない。
「__では、投票を始めます。
【壊律】の
時間を操る力を持った逸脱者、ノト・リンクス。
彼の処刑を望むものは、挙手を__」
◆
俺は、地球を眺めていた。
黒く荘厳な雰囲気を纏う玉座の隣で、ネクサリウムが守る世界を見て、覚悟に似た不思議な高揚が胸の内に沸いている。
「ここにいたのか、探したよ」
レックスに声をかけられ、俺は振り向く。気分がいいわけではないが、正直悪くもなかった。
レックスが、喜ばしそうに笑みを浮かべながら言う。
「君のデスクに案内するよ」
「__あぁ」
俺は、死刑を免れ、ネクサリウムにおける
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