第5話 本質と逸脱

 本質ファタスとは。


 生命体そのものに宿る、運命の指針。

 その生命体を語る代名詞であり、潜在能力とも言い換えられる。


 簡単な例として、【努力】のファタスを有するものは、その生涯を研鑽や鍛錬に注ぎ込み。それを苦とも思わない。

 【勤勉】のファタスを有するものは、己の知的好奇心を活性化させることに秀でており、知見を更新することに余念がなかったりする。


 つまるところ、その人物・生命が「向いていること」を指すのが本質ファタスと言えるのだろう。


 本質には、とある特性がある。


 本質の覚醒。


 ネクサリウムでは、『逸脱』と呼ばれる、本質に動かされる者から、本質を操る者へと昇華する現象である。

 逸脱を経たものは、本質に適合した状態となり。逸脱者は、運命の外側に存在する者へと生まれ変わる。


 己の目的や思想からくる行動が、本質に沿ったものだった際。

 逸脱者は『運命律』という形而上学的けいじじょうがくてき次元から__のエネルギーを引き出せる。


「君が『時の眼』を得たのも、この『逸脱』を起こしたから。

 律から力を引き出し、それが君に適した形で宿ったってわけさ」


 レックスは黒板に長々とした文を書き連ねて、指を鳴らして結論づけた。


 今はネクサリウムの一員として、活動していくために必要な最低限の知識をレックスが教えてくれている。

 この本質と逸脱という要素が、ここで働く上でなによりも大事なことらしい。


「じゃあ、【努力】とか【根性】の本質を持つ人が逸脱を起こしたら、無限に努力できる人間になるってこと?」


 若干腑抜けた質問をしてみると、レックスは頷いた。


「あぁそうだね。無限の体力を得たり、不眠で活動できるようになったり、人間の限界点を超えた量の努力が可能になるんじゃないかな」

「冗談のつもりだったんだけど……ぶっ飛びすぎてないか?」

「いや実際、逸脱における力の覚醒は大概、『ぶっ飛んでる』と言わざるを得ないんだよ。

 君だってそうだろう、時間を弄れる力は、このネクサリウムでさえ持たない力だ。大いにぶっ飛んだ力だ」


 ネクサリウムさえ持たない、か。

 だから、俺は生き残れたのだろう。この組織が完全無欠になるためのピースとなりうる力を俺が偶然持っていたから。


「……あの赤髪の人が言ってた、俺の本質のこと。言われてもよくわからなかったんだけど」

「君の本質は、【壊律】。律を壊すと書いて壊律だ」

「でも、『突然変異』とも言われた。何が正解なんだ?」


 追及すると、レックスはチョークを置いて、オフィスの適当な椅子に座り、テキストにはない話を始めた。

 俺の身に起きた、異常について。


「……実を言うと、君の本質はもともと全く別のものだった。

 運命になんら影響を与えない、脆弱で、ただ生き様を示すだけのものに過ぎなかったんだ。

 君は母親を目の前で失う、哀れな少年になるはずだった。


 だが、調査部門によると、本来君が持っているはずの本質が、エマ・リンクスの死と、君の激情が発生したタイミングで書き換わっていたことが記録されていた。

 前例のない事象だったから、ひとまず様子見しようと僕が進言したんだ」


 本質が、書き換わる。そういうこともあるのか?


「それが、あの人の言う突然変異?」

 

「そうだ。新たに君に宿った、元来より強力で破壊的な本質が、その激情によって逸脱__多くの逸脱者を観測してきた我々の幹部一同でさえ慄くほどの力が君に宿ったってわけさ」


 俺の本質は、もともとあった物じゃなかった。

 誰かが書き換えたとしたら、もともとはどんなものだったのかが気になる__いや、知らない方がいいか。

 本来であれば、俺はこうしてネクサリウムの中に入り込むこともなかったんだろうし、母を失ったあと何も残らなくなった俺がどうやって生きるのかなど、知りたくない。


「それにしても、よく機転を効かせたな。君はもっと感情的に訴えるタイプかと思っていたよ」

「裁判の話か? 別に……生き残るために必要な行動をしただけだ」

「正直、僕はもっと早い段階で君の前に立って、君の代わりに弁論を立てるつもりだった。いかに価値のある存在が目の前にいるのかを、盲目的な幹部たちに伝える必要があったからね」


 俺はレックスに、あまり信用はされていないらしい。役に立つけど制御は必要な物としてみられている感じだ。


「君は犬みたいに従順な姿勢をずっと保つつもりじゃないんだろう。

 密かに牙を研いで、いずれはピカピカになって尖った牙を剥くつもりかい?」


「……」


 レックスは、俺のようにネクサリウムを密かに狙うものの対処もしたことがあるのだろうか。

 確信に至っていずとも、どこか鋭すぎる部分がある。

 俺の生死を判決する場でさえ、俺がネクサリウムに迎合する意思を汲み取っていたようだった。


 この男は恐ろしい。優しそうで、疲れ果てていそうで、その上隙だらけ。

 だが彼の言葉の全てに、何か得体の知れないものが巡っているように感じる。毒々しい何かが。


「俺が、ただ一人の人間に勝てずに母を守れなかった俺が。

 そんなことできると思うか?」

「__できるさ、いずれね」


 言い切るレックスに、眉を上げて問う。


「どうしてわかる?」

 

「君の精神は、母を救うためのループで加速度的に成長した。

 自分では気づいていないかもしれないけれど、もうただの十五歳の学生が至る精神状態じゃないんだよ。

 存在そのものが君の母の仇であるネクサリウム、それを賛美するような判断を取る子供がどこにいる?

 大人になったというより、十五歳の皮を被る怪物になったと言う方が的確だ」

 

「褒めてないだろ……」

 

「いや、讃えてるよ。君が登ろうとしている山は険しい。

 これから無数の困難と衝突するだろうからね。

 肉体が朽ち果て、精神は擦り切れ、やがて己の存在すら、信用できなくなる」


「__な、何物騒なことを」

 

「【座す者】にたちが辿る道さ。君も、その一人になる」


 この男は全てを見透かしている。椅子に楽な姿勢で座りながら、俺の抱える怒りと企みを語っている。その姿が、底なしに不気味だった。

 つまりは__


「……全部幹部らにも見透かされた上で、俺はネクサリウムに入れられたのか。

 座す者を殺せば運命をなくせると考えてる俺を、嘲笑って。

 ただの兵器として__」


「いいや、気づいているのは僕だけだ。もちろん誰にも告げ口するつもりはない。


 君は運命を守る『調律』の要であると同時に、

 運命を破壊する『壊律』の遣いだ。


 本質は君の望みに傾いてはいるが、君の存在自体がしているんだよ。

 運命という強大な敵を殺せる距離で刃を突き立てながら、それを睨みつけ、守るしかできないんだからね。

 実に面白い自己的なパラドックスだ……自分が二人いる気分だろう?


 僕はそんな君の行く末がどうしても見届けたくてたまらない」


 この男が、どんどん奇妙になっていく。話せば話すほど、レックスの底がわからなくなる。煽るような口調だが、変に人を懐柔させるのがうまい声色のせいで怒る気力すら削がれていく。


 愉悦、知的好奇心、ネクサリウムに従順なのか懐疑的なのか。

 会話の中から、なにも掴めない。


「……アンタは俺が【座す者】を狙ってるって知りながら放置しておくつもりか?」


「残念ながら放置とまではいかない。リゼルの監視の元、君は任務に赴くことになるだろう」


「リゼル__」


 確か、俺が生み出したあの境界の中で、俺の鼻を折った女性だ。

 超寡黙で、俺を常に睨んでいる騎士のような女性……正直言って怖い。


「君が行くことになる任務のほとんどは、『境界』を発生させた『逸脱者』の対処となる。戦闘が起こった時はリゼルや同行する兵に任せていい、君が死んでしまったら元も子もないからね。

 自慢の眼で時間を操って、相手を鈍化させたり、無限ループに閉じ込めたり、思う存分力を振るってくれ」

 

「無限ループがどうとかはできないけど……少し楽そうに聞こえる」


 そう言うと、レックスは少し苦い顔をした。


「……あまり期待はしない方がいい。

 相手は君のように運命を変えようとしているんだ、世界が『知覚』するほどのイレギュラーな力をその身に宿して、執着とも言える断固たる意思を持っている者も少なくない。母親を救おうと戦い続け、今もなお諦めていない君ならその恐ろしさがわかるんじゃないか?」

 

 半分茶化すような言い方でレックスはそう言った。

 つまりは、俺のように何かの運命を打ち破ろうとした人間と、俺は相対するということだ。

 母が死ぬ定めだと知らなかった時でさえ、俺は相手を殺してでも母を守ろうとした。痛みすら忘れたような狂気で、幾度となく見えない壁にぶつかるように、時を戻してやり直し続けていた。

 

 確かに、実体験を元にするなら、俺が出会う相手が正気じゃないのは確かだな……


「まぁ、ひとまず教えるべきことは教えたから、リゼルと会ってくるといい」

「……俺、あの人に嫌われてないか?」

「はっ、面白いことを言うね、ネクサリウムのほとんどの人間は逸脱者が嫌いだよ。心配するだけ無駄さ」


 余計不安だわ。


 デスクから立ち上がったレックスは俺の背中を叩き、結局リゼルの元に連れて行かれることとなった。



 ◆



「リゼルっちさぁ、なんか元気なくない?」

「__別に、いつもと変わらないわ。ただ少し……嫌な予感が」


 ネクサリウムの資料保管部の受付。そこで、リゼルと一人の女性が話していた。

 カウンターの内側にいる女性は身を乗り出しながらリゼルの顔色を覗き込んでおり、リゼルは少し恥ずかしそうに目を逸らしている。


「いたいた、ちょうどアーミアと話してるね。ついでに仲良くなってくるといい」

 

 カウンターの女性はアーミアというらしく、薄い桃色の髪と水色の目、メイクも整っていていわゆるギャルなのだと一見して察せられる。なんだかリゼルとは正反対のタイプのように見えるのだが。仲は良さそうだ。


「ほら、話してきな」


 レックスに背中を押される。


「え、こ、殺されない?」

「君次第だ」

「ちょっと!」


 意外にも腕っぷしの強いレックスに突き飛ばされるように、俺はリゼルとアーミアの前に立たされた。

 二人の視線が、一気に俺へと向く。

 一つは嫌悪、一つは興味。それぞれの視線に晒されると突然言葉が出なくなった。


「あの子誰? アタシ見たことないかも」

「……この男は、逸脱者よ」

「え、やばくない? 誰か呼ぶ?」

「いいや、奴は逸脱者でありながら、ネクサリウムの兵として存在許された者__私は許してない」


 どんどん話が進んでいく上に、言葉を交わす前に拒絶された。

 俺、この状況で喋っていいのだろうか。


「ちょ、リゼルっち。あの子固まっちゃったじゃん、ちょっと毒舌キャンセルして」

「フン……」


 アーミアにそう言われると、リゼルは不貞腐れたように目を逸らした。

 毒舌キャンセルというのは二人の間だけで通じる言葉なのだろうか。素直に黙るし、なんだかリゼルがギャルに飼い慣らされる大型犬に見えてきた。


「ど、どうも〜(ぺこぺこ)。

 これからリゼルさんと一緒に行動することが多くなると聞き、挨拶にと思いまして。

 よろしくお願いします!」


 腰を低く、それはもう地面に埋まるように低く話した。

 リゼルは俺よりも早く、俺を監視を義務付けられたと聞いているはずだから、驚きはしないと思うが__まぁ、予想通りの反応だった。


「くっ……貴様が少しでも怪しい挙動を起こしたときには、その首は地面に落ちていると思え」


 不服、憤怒、嫌悪の三拍子が煮詰まったような顔をして、彼女はそう言い切った。

 あ、仲良くはなれねーなと、その瞬間にようやく確信した。


「ちょぉ!? リゼルっち?!」

「貴様の存在が世界にとっての厄災だ、命があるだけでも僥倖だと肝に銘じろ」


 アーミアの静止をものともしないリゼルは俺への追撃を投げかけた。

 ここまで嫌われる謂れはない……こともないのだろうが、言い過ぎだろう。

 他の職員にもこんな罵詈雑言を吐かれながら過ごすのなら、ちょっと耐えられないかもしれない。


 いいや、負けるなノト・リンクス。

 こんな一般兵(推定)に好き放題言われて押し黙るようでは、将軍(座す者)を倒すなんて到底不可能だ。


「そうですね! 俺はネクサリウムのみなさんに感謝しています!

 時の眼の力を使えばこんな場所は愚か運命さえも捻り潰してしまうかもしれないのですから! 制御してくださり助かります〜!」

「貴様の本質は【皮肉】か?」

「リゼルさんの本質は【癇癪】なんじゃないですかですか〜? 

 お似合いです(笑)」

「お、お二人さん? ヒートアップしてない?」

「貴様__!」

「……!」


 負けるな。押し潰されるな__!

 ここで完敗を喫したら最後、俺はリゼルに抗えなくなる。

 せめて「こいつは抵抗してくるやつだ」とリゼルの意識に刻みつけておきたい!


 考えろ、何か相手をイラつかせる皮肉を__舐められないための格付けを!


「はい、そこまで」


 互いに口を開きかけた瞬間、間にぬるっと現れたレックスが言い合いを制した。


「!」

「?!」

「レックスさんじゃん、珍しい」

「仲間になる者同士の挨拶に僕が首を突っ込むのも違うかなと思ってね、まさかここまで相性が悪いとは」


 呆れた様子で額に手を当てるレックスを見て、我に帰った。

 当初の目的が挨拶であることを思い出しながら、でもつっかかってきたのは向こうじゃないか?と若干つっかえも残る。

 リゼルはリゼルで目を落としながらやや口を尖らせており、気まずそうだった。


「ともあれ、これから二人には常に同じ任務に赴いてもらう。上層部からのお達しだから僕に文句は言うなよ?

 連携が必要になることもあるだろうし、リゼルはノトに色々と教えることもある。

 円滑で快いコミュニケーションは必須だ、世界のためにもね。

 __二人とも、わかった?」


「……はい」


「うす……」 


「レックスさんすごっ、子犬と大型犬を大人しくさせちゃった」


 先の不安が色濃く残る中、リゼルとの挨拶が終えた俺は今後の行動予定を聞かされた。

 つまりは、時の眼が必要となる任務の話だ。

 ちょうど、レックスの身につけていた銀色の腕時計が光った。ただの時計だと思っていたが、魔道具だったのか。


「……連絡が入った。

 中央大陸北東にあるバーゼル王国で、『境界』の発生が確認された。

 魔族との争いが絶えない激戦区だ、現れた逸脱者の実力も相当なものだろう。

 そこで、新兵器の出番……だってさ」


「__もう駆り出されるのか」


「貴様は私の命令に従っていればいい……準備するぞ」


 無意識に声が震え、全身の毛がよだつような緊張に苛まれながら、任務概要を聞くと様子がキリッと一変したリゼルの背を追う。

 資料保管部を出ようとすると、レックスに呼び止められた。


「ノト!」


 振り返ると、レックスは拳を突き上げていた。


「幸運を祈ってる__【座す者】のために、エマ・リンクスのために」


 周囲には、忠誠心溢れる信奉的な部下のように聞こえるその言葉は、俺にだけ伝わる別の意味を含んでいた。

 【座す者】をために。

 母を殺す運命をために。


「行ってくる」


 俺の初陣が始まる。


 ____バーゼル王国激戦区・『境界』危険度:A。

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