第2話 ジョーカーに勝てるカード
十年前、私と彼は高校二年生だった。同じクラスの私と彼が付き合い始めたことは、いつの間にかクラスの周知の事実となっていた。私はクラスの中で目立つような人間ではなく、彼は彼でどこか浮いた存在だった。からかわれることもなく、静かにその事実は浸透していた。
修学旅行中も、彼との親密な関係を周囲に見せびらかすことはなかった。彼と行動を共にするわけではなく、同じ班の友人と、ひたすら真面目に学を修める旅行をしていた。
修学旅行最後の夜、同じ班の友人に誘われて、男子部屋で語り合うことになっていた。それまで消灯時間には布団に入ることを守ってきた私は、ルールを破ることにも抵抗があったし、睡眠時間が削られることも嫌っていた。
消灯時間を過ぎて男子部屋を訪れるというのは、私には面倒なことに他ならなかった。一方で、このまま高校生らしい修学旅行の夜を過ごさないことに、どこか焦りや寂しさのような感情も抱いていた。
結局、私は同じ班の友人の誘いを受け入れていた。連れられて行った部屋には、思春期の男子特有の匂いが立ち込めていた。
その部屋で、彼は大人しくしていた。
彼もこの集まりに積極的に参加したい様子ではなかった。同じ部屋で周りが騒いでいる中、自分だけが眠ることはできない。それだけが、彼が語り合いに参加する理由のようだった。
暗い部屋に男女六人が集まったからといって、特別なことをするわけではなかった。自由行動の時間をどうやって過ごしたかとか、いつも通りの学校生活が始まるのが嫌だとか。話題のレパートリーは限られていた。
話が途切れることも多くなっていた。それを見かねた男子が、おもむろにトランプを取り出してからは、話が早かった。
トランプの時間が始まっていた。隠し持った携帯電話のライトで照らしながら、トランプに興じるのは、まるで闇賭博に手を染めているような背徳感があった。
非生産的だが、この時間は嫌いではなかった。古くから伝わるカードゲームは、現代においても絶対的な存在で、その代替品などなかった。
ババ抜きや七並べを終えて場も温まり、大富豪が始まっていた。トランプの中で最も好きなゲームだった。
シャッフルして配られた手札を数字の大きさの順に並び替えていた。このゲームを共に戦う自分の手札との顔合わせに緊張していた。
悪くない組み合わせだった。同じ数字のペアも多く、何よりもジョーカーが含まれていることが頼もしかった。
実際、ゲームは優勢に進んでいた。誰も上がっていない中、私のカードは残り二枚まで減っていた。その二枚とは、ジョーカーとハートの4だった。私が上がるのは目前だった。
作戦はこうだ。ジョーカーで一旦場を流して、真っさらな場にハートの4を叩きつける。疑いようのない勝ちパターンだった。
ひとつ前の順の男子が8切りし、場が一度流れた。頼むから、ペアではなく一枚でターンを始めてくれ。表情に出さないよう願っていた。場を流した男子は手札を眺めて、ひとしきり悩んだ末、六人の顔が取り囲んだ畳の上に、そっとカードを置いていた。
ダイヤの6だった。一枚だった。息を整えて、私は手札から一枚のカードを取り、ダイヤの6に大事そうに重ねた。
ダイヤの6に重ねたジョーカーは、不敵な笑みを浮かべているようだった。
静かな部屋にカードが擦れる音が響き、続いて誰かが唾を飲み込む音が聞こえていた。私が視線を上げると、携帯電話のかすかな光が、彼らの絶望的な表情を浮かび上がらせていた。これで終わりだ。私はにやける口元を抑えられなかった。
しかし、絶望的な表情の中に、笑みを浮かべる男子がいた。
彼だった。付き合って間もない彼の気味の悪い笑顔が浮かんでいた。私を軽蔑するような笑みだった。暗い瞳の奥で、心底私を蔑む彼の内心が見えるようだった。彼は手元に残る大量の手札から、一枚を取り出し、私のジョーカーの上に叩きつけていた。
スペードの3だった。そのカードは、大富豪で最も小さな数字、つまり最も弱いカードのはずだった。どんなカードにも勝てないカードを、我が物顔でジョーカーの上に置く彼を理解などできなかった。
にやけたまま私のことを凝視する彼を、私は睨み返していた。
「ジョーカーに3が勝てるわけないでしょ」
「え、スペ3返し、知らないの?」
ジョーカーに唯一勝てるカード。それがスペードの3だった。ジョーカーに勝てることを除いては、他の「3」と変わりはなかった。ジョーカーが単独で場に出された場合のみ、その隠された能力を発揮できた。彼は、スペードの3の特殊なルールを淡々と説明していた。
「知らないし、そんなルール適用するなら、最初に言うべきじゃない?」
大富豪には数多くのマイナールールが存在していた。スペードの3がジョーカーに勝てると言うルールなど、彼しか知らないに違いなかった。もしかしたら、彼がその場で作り出したルールかもしれない。
私の考えは間違っていた。その部屋にいた六人のうち、スペ3返しを知らないのは私だけだった。
彼以外の男子は、私を擁護していた。今回限りはスペ3返しルールを適用しないよう提案してくれたのだ。それでも、彼は意地を張った。周りの提案を無視して、彼はスペ3返しルールを押し切ったのだ。
ハートの4だけが手元に残った私は、大貧民となっていた。私は一度陥った貧困から抜け出せずに、その夜の大富豪を終えた。
部屋に戻ろうとする私に、背後から声をかけたのは彼だった。
「少し二人で話そうよ」
彼に従い、ホテルのロビーのカビ臭いソファに横並びに座っていた。夜更けのロビーには、見回りの教師も来るはずはなかった。
きっと、何も知らない誰かが私たちを見かけていたら、美しい青春の一ページに映るだろう。
しかし、私の中での彼に対する恋愛感情は冷め切っていた。スペ3返しがきっかけではあったが、彼のすべてが嫌になっていた。
彼が口を開く前に、私が口を開いていた。別れを切り出していたのだ。衝動的ではあったが、この先に後悔する未来などないと確信していた。
驚愕を隠せずにいた彼は、口をパクパク動かしてから、声を発していた。
「たしかに君と僕は、吊り合わないからね」
振られてもなお、彼は自分が優位な立場でありたかったのだ。その態度を目の当たりにして、振った自分が正しかったと確信していた。
「トランプの大富豪で、君を喩えたら、キングやエースにすぎないね。残念だけど、僕みたいなジョーカーとは張り合えないよ」
そう言うと、彼は笑みを浮かべていた。私が振ったはずなのに、すり替えようとする態度に吐き気を催し、返事もせずにその場を去っていた。
薄暗がりに浮かんだ彼のにやけた顔が、彼の真実の姿だった。自身を崇拝する彼の歪んだ内面を映し出したかのような表情だった。彼をジョーカーたらしめる表情だった。
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