第23話:「中心点の揺らぎ」
静寂だった。
ティファレトの光は今もなお、私の背を照らしていた。
それは祝福のようでもあり、重責のようでもあった。
私は光の中心にいた。
すべての旅路がここへ至るためにあった。
そう感じられるほどに、この場所は完成されていた。
だが——私は、奇妙な違和感を抱えていた。
足元が、わずかに軋む。
見えないはずの“地の揺れ”が、内側から伝わってくる。
それは、物理的な震えではなかった。
“確信の下に走る、不確かさ”だった。
私は気づいてしまっていた。
「中心にいる」というこの感覚が、
私を“どこにも行けない場所”へと閉じ込めているということに。
ティファレトは美しい。
だが、それゆえに“留まってしまいたくなる”。
私はすでに、ステンマやソフィア、スィネシス、
そしてエレオスとディナミスの教えを得てきた。
それらは私の内に根を張っていた。
そして、いまここでようやく、「私は私でいい」と思える場所に至ったはずだった。
なのに、胸の奥が静かにざわめいていた。
私は目を閉じた。
そのときだった。
光の中に、黒い染みが差した。
はじめはほんのかすかな影。
だが、それは光が強まるにつれて輪郭を帯びてきた。
私の足元に、もう一人の“私”が立っていた。
いや、立ってなどいなかった。
うずくまり、震え、光に目を背けるように、
その影は両腕で顔を覆っていた。
私は、一歩踏み出した。
だが足が重い。
動けない。
「見てはいけない」
そんな声が、自分の内側から響いてくる。
だが私は知っていた。
この影は、“私の正しさ”の裏で置き去りにしてきたものだった。
——私の弱さ。
——私の怯え。
——私の傲慢。
——私の“選ばれたいという欲”。
ティファレトの光を得たことで、私は“救われたように思っていた”。
だが、そうではなかった。
救われたと信じていた私は、
“救われていない私を見ないようにしていた”だけだったのだ。
私は、しゃがみ込んだ。
影の私に手を伸ばす。
だが、その指先は震えていた。
「私は……おまえに、何もできない」
そう呟いた瞬間、影の私が顔を上げた。
その目には、涙がたまっていた。
だがそれは、怒りや悲しみではなかった。
——諦めだった。
「もう、いいよ」
影はそう言った。
「おまえは、光のなかに行っていい。
私はここにいるから。
私は……“選ばれなかったほう”だから」
私は息を呑んだ。
その言葉が、刃となって胸を貫いた。
ティファレトの光が、私に与えていたのは「美しさ」だけではなかった。
それは、私を「選ばれた存在」へと変えた。
だが、選ばれるということは、
選ばれなかった“誰か”を生むということだった。
それは、自分の中の“分離”でもあった。
私はようやく、その事実と向き合った。
私は、自分を肯定することで、
「肯定できない自分」を抑圧していたのだ。
そのとき、光が揺れた。
中心の座が、わずかに傾いた。
その振動は小さい。
だが、それが意味するものは大きかった。
私は——崩れかけていた。
それは、傲慢でも弱さでもない。
ただ、“中心にいる”ということの本質だった。
それは、「常に揺らぎと隣り合わせにある」ということ。
私は、影の私に手を伸ばした。
「来てくれ。一緒に、中心に行こう」
影は首を振った。
「私は、行けない。
私は、光になれなかった側のあんただから」
その言葉が、私の手を止めさせた。
私は立ち尽くしていた。
目の前の影の私——それは、弱さではなかった。
負けではなかった。
失敗でもなかった。
それは、私がここに至るまでに“切り捨ててきたものすべて”だった。
愛されたかった。
でも愛されなかった。
理解されたかった。
でも届かなかった。
選ばれたかった。
でも選ばれなかった。
その想いは、私の中から消えてなどいなかった。
それらは、光の中心を目指すほどに、
私の背後で静かに、深く根を張っていた。
「どうすれば……おまえを連れていける?」
私は問いかけた。
だが、影の私は笑った。
その笑みはどこか、哀しげで、諦めを含んでいた。
「連れていく、っていう時点で違うんだよ」
私は言葉を失った。
影が続けた。
「私は“おまえの中の一部”じゃない。
私は“おまえそのもの”だったんだ」
それは真実だった。
私は、中心に座るために、
理想の“私”を組み立ててきた。
整った言葉を話し、誰にも傷つけられないように振る舞い、
正しさの殻に自分を閉じ込めてきた。
だが、その正しさを構成していた材料は、
この影の私が持っていた“痛み”だった。
光は、影によって強くなる。
私は、手を伸ばした。
今度は、震えなかった。
「行こう。もう“どちらか”なんて、やめよう」
影は、驚いた顔をした。
だが、少しずつ、その輪郭が溶け始めた。
影は、私の方へ歩いてきた。
そして、私の胸のなかに——すっと入り込んだ。
痛みはなかった。
だが、その瞬間、私は涙をこぼしていた。
自分でも気づかないうちに、
私は、長い間“自分を否定していた”のだ。
その否定を終わらせる瞬間だった。
私は、深く息を吸った。
空気が変わった。
光の中心が、さらに静けさを帯びていく。
その静けさのなかで、私は、
ようやく“真の意味で、中心に在る”ことができた気がした。
それは、正しさによる支配ではない。
統率による調和でもない。
それは、自己矛盾を抱えたまま、そこに在る勇気だった。
私は、立ち上がった。
地が鳴った。
ティファレトの輪が、少しだけ光を強めた。
だが、その光はもう眩しくなかった。
刺すことも、圧倒することもなかった。
それは、ただ静かに、私と共に在る“やわらかな核”となった。
遠くで、何かが呼んでいた。
次の道が、私を待っていた。
だが私は、すぐには動かなかった。
もう一度、胸に手を当てた。
そこには、“光と影が融け合った場所”があった。
私はようやく、自分のすべてに「ようこそ」と言えた気がした。
それは、旅のなかで最も大きな贈り物だった。
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