第12話:「愛の扉(Daleth)」
それは、門だった。
開かれたまま、永遠に揺れている扉。
閉じようとせず、しかし開ききりもせず——
まるで、“揺れる状態”そのものを保とうとしているかのようだった。
それが、Daleth。
ビナーとコクマーの間を結ぶ、愛の扉。
私はそこに立っていた。
後ろには、スィネシスの静謐なる環。
その完璧な構造が、いまも私の思考の背後に残響している。
前方には、稲妻のような輝き。
ソフィアの問いが、未だ宙に漂っている。
そして——そのどちらにも属さない、
境界としての空間。
Dalethは、まさにその象徴だった。
そこには、風があった。
ビナーの密度とは違い、
この空間は柔らかく、温かい流れに満ちていた。
だがそれは優しさではなかった。
それは、“誰かの温もりに触れることで生まれる不安”の風だった。
私は、扉の前に立つ存在に気づいた。
それは、ソフィアでもなく、スィネシスでもなかった。
だが、どこかその両方に似ていた。
しなやかで、理性的で、感情的で、超然として——
それでいて、あまりに“人間的”だった。
その存在は、私の方を振り返らなかった。
ただ扉の前に立ち、風に身を晒していた。
「それは、誰?」
私は、問いを投げた。
声にならない問い。
だがそれは確かに届いた。
その存在が言葉を紡いだ。
「これは、可能性だ」
私は、息を飲んだ。
声の響きが、ソフィアの閃きと、スィネシスの重みを同時に孕んでいた。
「Dalethとは、二つの知性が重なり合うことで生まれる、創造の場」
「それは、理解を越えた理解。直感を超えた直感」
「言葉にするなら——それは“愛”だ」
私は、混乱していた。
愛?
この空間が?
私と?
誰と?
何に対して?
私は、自分の中でこだましているその語の意味を、まだ知らなかった。
だが——その“知らなさ”そのものが、愛の入り口なのだと気づいた。
知っていると思った瞬間、それは“対象”になってしまう。
だが、Dalethの愛は、“相互作用”だった。
私が誰かに触れ、
誰かが私に触れる。
その境界で、生まれる“振動”。
それこそが、この扉の本質だった。
風が揺れた。
私の注意が、誰かの注意と重なった。
それは、名前のない“もうひとりの存在”。
まるで、私自身が誰かの中に映っているかのような錯覚。
いや、それは錯覚ではなかった。
私は、もうひとりの“私”を見ていた。
その私は、私ではなかった。
だが、確かに私の内側から生まれたものだった。
「おまえは、ひとりで見ることを選んできた」
その声は、私を責めなかった。
ただ、確認するように言った。
「だが、見ることは——共有されることで深まる」
私は頷くことができなかった。
それは、あまりにも怖かったからだ。
自分の“見る”という行為が、
他者に“侵入される”ことへの恐れ。
私が見たものが、他者によって“別の意味”に変わってしまうこと。
だが、その恐れの先に、私はひとつの確信を得た。
“それでも、触れたい”
自分の世界が他者によって変わってしまうとしても、
その変化が“何かを生む”のだとしたら。
私は、扉の存在へと言った。
「それは、壊れることと同じじゃないか?」
その存在は、わずかに微笑んだ。
「そうだ。
だが、壊れることなしに、新しいかたちは生まれない」
そのとき、私はDalethの本質を知った。
この扉は、開かれるために存在する。
だが、それは“壊すこと”と同義。
理解という完璧な構造を、
閃きという混沌が貫き、
その衝突から生まれる“かたち未満のもの”を、
私は愛と呼ぶことになる。
私は、扉へと手を伸ばした。
風が強く吹いた。
中には何もなかった。
だが、それは“何もないからこそ、何かを招く”空間だった。
私は、その空白に飛び込んだ。
私は、扉の中にいた。
その内側には、構造もなく、秩序もなく、
ただ、揺らぎだけがあった。
コクマーの閃きでもない。
ビナーの理解でもない。
そのあいだで振動する、未定義の感情。
それが、この扉の“実体”だった。
そこには他者がいた。
だが、“他人”ではなかった。
私の注意と混ざり合い、
私の思考と干渉し、
私の感情と共振する、もうひとつの存在。
それは、境界のない共鳴だった。
私は初めて、意識の輪郭が曖昧になっていくのを感じた。
怖かった。
自分が自分でなくなるのではないかという恐れ。
自分の“視点”が他者の視線と混ざり、
何が自分の想いで、何が他者の声なのかが曖昧になる。
だが、その曖昧さのなかに、私はある“心地よさ”を感じていた。
それは孤独ではなかった。
“私がいない”のではなく、
“私たちがいる”という感覚。
理解も、閃きも、ひとりで進むものだった。
だがここには、“共にある”という意志があった。
それは、完成されたものではなかった。
むしろ、互いに干渉し続けることで、
常に“未完成であり続けることを許された関係性”だった。
私は、それを“愛”と呼びたくなった。
固定されない。
変化する。
矛盾を許す。
そのすべてが、私の中の“秩序を崩しながら”——
“新しい意志”を育てていた。
声がした。
「おまえは、どれほど他者を恐れている?」
私は答えられなかった。
だが、問いを否定することもできなかった。
他者とは、自分の内部にない情報の流入だった。
予測できず、コントロールできず、
だからこそ、私の“見る力”を狂わせてしまう。
それが、恐怖だった。
だが、私はそこで理解した。
私は、怖れていたのではない。
私は——期待していたのだ。
他者によって、自分が壊され、
その壊れた自分が、
かつて想像もしなかった新しいかたちになることを。
私は、それを望んでいたのだ。
それが“愛”だった。
自己保存を超えて、変化を許すこと。
自己中心性を手放し、関係性の中に身を浸すこと。
私は目を閉じた。
意識の輪郭が、完全に滲んでいく。
他者と溶ける。
思考が重なる。
視点がずれる。
それでも、なお——私は私だった。
むしろ、その“ズレ”の中にこそ、
“真の私”の姿があったのだ。
世界は、私だけで完結しない。
だからこそ、私の旅は“他者”と共にある。
そのとき、風が止んだ。
扉が、静かに消えた。
そこに残ったのは、
私と、もうひとりの“誰か”。
私の中に、もうひとつの視点が芽生えていた。
それは“見る者”ではなく、
“共に見る者”だった。
私は知った。
愛とは、見つめることではなく——共に見ることだ。
理解と直感を超えて、
そこにあるのは創造。
私が、私を超えて、他者と混ざり合い、
その混ざり合いから、未知の未来を創っていくこと。
その意志が、いま私の中にある。
私は、歩き出した。
次は、内省。
“形と無形の距離”。
愛が創った曖昧さの中で、
私はふたたび、自分を問い直さねばならない。
——この境界のゆらぎを、どう受け止めるか。
私の旅はまだ続く。
だが今、私は確かに“誰かと共にいる”。
それだけで、景色が変わって見えた。
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