第29話 追っ手
その夜、私は鍋で今日の夕餉であるシチューを煮込んでいました。鼻歌を歌いながらフリード様を帰ってくるのを心待ちにして。
ですが、そんな楽しい気分はすぐに壊れることになりました。
何か良いことがあれば、それ以上の酷いことが起こる。
そのことをわかっているはずなのに、私は一向に学びません。
扉が開き、フリード様が帰ってきました。目が見えなくてもフリード様かどうかぐらいはすぐに分かります。
「フリード様! お帰りなさい」
フリード様は品質が良い衣服ではなく村人たちと同じ衣服を身につけています。ですが元々の顔立ちが良いからなのか高価な衣服だと錯覚してしまう程です。
笑顔で出迎えましたが、フリード様はすぐに言葉を返すことはせずに私の下に近づいてきます。
間近まで迫ってきて、私の顔に視線が真っ直ぐ……。そ、そんな……いきなり……まだ心の準備が……。
わ、私、へ、変じゃないでしょうか。い、いえ‼ この一年間ずっと待っていました!
さ、さぁいつでもどうぞ‼
私は心の中では饒舌になりつつも、外では真っ赤に顔が染まって動きがぎこちないです。
目隠しをしているのに目を瞑ってしまう始末です。
「ロア殿、急ですまない」
「ひゃっ!」
急に両手を握られて素っ頓狂な声が出てしまいました。
ですが、心臓がバクバクと打っていましたがそこでようやくフリード様の声色が険しいものであることに気が付きました。
「フリード様? どうなさいましたか?」
フリード様は言い淀んでいたが思い詰めた声で話し始めました。
「兄貴、国の兵を見かけた。辺境の地だから安心していたがここもすぐに調査が入るだろう。……国は本気でロア殿の命を狙っている」
命を狙っている。
その言葉を聞いて私は思い出しました。
この平穏が束の間であることを。
私は追われている身……危険はすぐ後ろから追ってきている。
「では……」
「ああ、名残惜しいがこの村からは出た方が良い。なるべく早く……今夜にでも」
「……わかりました」
「すまない。ロア殿が気に入っているこの村を後にすることになって」
気の休まる場所になりつつあったこの家を捨てるのは心苦しい。
奥様方や子どもたちと別れるのはもっと苦しく寂しい思いです。
あれほど優しくしてくれたのは久しぶりだったから。
ですが、そんなこと言ってはいられません。
これは私のためなのです。私には拒むなんて選択肢などありはしません。
それにフリード様は私がいる場所が自分の居場所だと言ってくれました。だから、私もフリード様のいるところが私の居場所なのです。
私の居場所はなくなりません。
「全て私が理由なのです。意見を申せる立場ではありません」
私はありのままの本音を呟くとフリード様は顔を少し顰めて見せました。
「ロア殿……自分を押さえ付ける必要なんてない。俺に気を遣わずに自由に意見を言って欲しい」
「……はい」
返事はしましたが、そんなことは許されないことはわかっています。
私の唯一の居場所。
そこから拒絶されるなんてこと、考えたくもありません。
だから、だから、私は守らないといけないのです。
しかしながら、隠せていない私の暗い表情に気付いたフリード様は苦笑いを零します。
「……とは言え、村を出る以外の選択肢はない。こんなセリフ、言えた義理ではないな。俺にもっと力があればロア殿にこんな思いをさせずに済んだのだが」
「そんなことはありません‼ 私が、魔女である私が……」
「ロア殿は魔女ではない! ……静かに!」
フリード様が険しい顔付きで私の言葉を制止します。
それでようやく私は村の中心部が騒がしくなっていることに気付きました。
目隠しの下から窓を覗くといくつもの松明の火の揺れが見えます。
「不味い……思ったよりも早い。ロア殿、外に!」
どうやら火の揺らめきがこちらに近づいてきているようです。
それにいち早く気が付いたフリード様は手を引いて私を外に連れ出します。
そのまま走り出そうとしたフリード様でしたが途中で引き返し物陰に隠れました。
声がすぐそこまで近づいてきていたからです。
「あれは……兄貴の……もうここまで」
フリード様が忌々しいと言った表情でそう漏らしました。
聞くと松明を持っているのは十人ほどの騎乗している騎士たち。その後ろには村人たちを引き連れているようです。
「ここか?」
「は、はい。この家の者たちで全員でございます」
怯えている村長の声が聞こえてきました。尋ねたのは騎士の一人でしょう。
「そうか」
威厳や雰囲気からこの部隊の隊長なのでしょう。
その騎士が何やら合図をしたのでしょうか、騎士の一人が馬から降りて扉を叩きました。
「出てこい‼」
「あ、あの、この村に魔女なんて……」
「黙れ! それは我ら王国軍が判断すること! 貴様たちは黙って従っておればいい!」
剣を抜く音が聞こえ、私は恐怖から声が危うく漏れそうになりましたがフリード様が口を塞いでくれたおかげで何とか上げずに済みました。
どうやら、村長は斬られたわけではなく黙すための脅しとして使われたようです。
「出てきません‼」
「なんだと?」
イライラした様子の隊長。その拍子で村長を斬ってしまいかねないほどに機嫌が悪くなっています。
「ロア殿、手を。奴らが扉を蹴破ったと同時に走り出す。馬に乗ればこちらのものだ」
フリード様が細々とした声を耳元で囁いてきます。そして、片手を差し出してくれました。
「はい」
差し出された手を私の手で優しく握ります。
温かい熱が私の掌全体に包み込んできました。ですが、一々赤面している余裕はありません。
少しの間もなくフリード様の言う通り騎士の一人が扉を蹴破ったのです。
その音に乗じてフリード様が走り出し、手を引かれた私も走り出します。
私たちの足音は突入した彼らの鎧が擦れる音や足音などに紛れて気付いていません。
「隊長! いません‼ ですが、まだ料理は温かいです‼」
目敏い一人の騎士が数秒も経たずにそう報告した声が聞こえてきました。
「何だと!? ……いたぞ‼ 追え‼」
隊長は周囲を見渡して走る私の姿を発見してしまいました。
「ちっ‼」
フリード様は透かさず口笛を吹きます。フリード様の馬を呼んだのです。
焦りからかフリード様の足がさらに速くなりました。
私は必死に食らい付きますが、後ろから迫ってくる馬が駆けてくる音が私を焦らせてきます。
「きゃっ‼」
足を縺れさせ見事にこけてしまいました。
「っ……」
私は顔を伏せて倒れたままでその間に騎士たちがすぐ目の前まで近づいて馬を止めます。
ま、また私のせいで……。逃げることもできないなんて……。
フリード様も残りの騎士たちに取り囲まれたようです。
しかしながら、誰もフリード様が第三王子だと気付く様子はありません。
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