第17話 許嫁との再会

 気が付くと私は腰をついていました。

 

 手は動き、肩には冷たく鈍い痛みが広がっています。

 

 慣れてしまった痛み、久しぶりに感じることができました。ですが、その痛みが戻ってこられたことを実感できます。


 しかし、安心したのも束の間、目の前には振り下ろされた剣が迫っていました。


「きゃああああああ‼」

 

 思わず目を閉じ、頭を抱えるようにその場に伏せます。

 

 自分でもみっともない姿だということは理解していますが反射には抗う隙もありません。

 

 待っていても剣が私に辿り着く気配はありませんでした。

 

 恐る恐る目を開けて見上げてみると先程の青年と目が合いました。その瞳は酷く動揺しているのか見開いています。


「ロア、殿?」

 

 やっと間近で見えた青年の姿は思わず見惚れてしまうほどでした。

 

 満身創痍ですが、弱々しい様は全く見せずに凜々しい顔付きのままです。

 

 ただ、何も言わず呆然と私を見詰め続けられると……少し照れてしまいます。

 

 幼い頃にお母様が読み聞かせてくれた物語に登場する王子様のようです。

 

 こんな御方が私を助けに……。ああ、頬が赤く染まっていないでしょうか。

 

 慌てて両手で口を覆って隠しますが、その青年は握っていた剣を落として走り出しました。

 

 私に向かってきています。

 

 何やら今すぐに泣き出しそうな表情ですが……。

 

 止まる気配はなく思わず身構えてしまいました。

 

 っ!? えっ? へっ!? なななななななな、なーーーーーーーー!?

 

 わ、私に抱きしめて……強く……息づかいが耳元に……。

 

 私があたふたして両手が迷子になってしまいます。

 

 御方は私の肩に埋めていた顔を引き戻して、私の目を真っ直ぐと見詰めてきます。

 

 こうして、れ、冷静にならないと……どうにかなってしまいそうです。

 だ、だって男性の方に抱きしめられるのも初めてですし、こ、こんな、ち、近くで見詰められるなんて……。


「あなたなら打ち勝つと信じていました」

 

 涙を零しながら笑顔を見せてくれる御方。

 

 思わずドキッとしてしまってもしょうがないことでしょう。

 

 ああ、そうですお名前を。


「し、失礼ですがお名前は」

「……ああ、そうでした。では、改めて、私はヘリベール王国第三王子のフェルフリード・ヘリベールと申します。どうか、フリードとお呼び下さい」

 

 フェルフリード様……フリード様。


 ……? 第三王子? 王子? お、王子!?


「も、申し訳ごじゃいません‼」

 

 私は咄嗟に頭を下げます。

 

 わ、私は……なんて失礼なことを……。

 それに……噛んで……恥ずかしい。


「あ、頭をお上げください。あなたとは元々許嫁の仲でした。それほど畏まることはありませんよ」

「許嫁? 許嫁!?」

 

 私が王子と!? もう何が何だか訳が分かりません。……いえ、確か先程、聞いた気が……。


 思い出そうとするも肝心なところが思い出せません。靄が掛かったように遮ってきます。

 

 それでもようやく一つは思い出せました。


「あっ、確かお母様と約束したと。……許嫁の件を決めたのはお父様ではないのですか」

「……はい。王都で開かれた立食パーティーの際にあなたのお母上に頼まれたのです。よろしければ将来に娘を貰って欲しいと。あなたしか任せられないと」

「それで、お受けしたのですか?」

 

 お母様が私のために見繕ってくれた人。

 

 それだけで心が温まりますが、なぜか心の奥に何かが抜けているような寂しい感覚を覚えました。

 

 それが何かはわかりません。

 

 モヤモヤとした何かが私の中で浮かんでいます。


「お恥ずかしながら当時の私は荒んでいたもので初めは断ったのですが、せめて会ってから決めて欲しいと。凄まじい押しでした。ロアーナ殿には幼い頃、僅かな間でしたが勉学の指導を受けていた恩がありますので無碍にすることはできませんでした」


 ふふ、確かにお母様はこれと決めたら止まることはありませんでした。

 

 待ってください。

 

 少し、すこーし、気になる言葉が混ざっていました。何ですか。この気持ちは……。


「断った、のですか?」

「ええ、初めはですよ。もちろん、後日、ヴィアモンテの公爵家に向かいました」

 

 焦ったように早口になるフリード様。

 

 それが面白くなり思わず笑みが浮かんでしまいます。


「ということは……私、フリード様とお会いに?」

「もちろんです」

「申し訳ありません。私、覚えていなくて」

「覚えてないのも無理はありません。あなたがまだ五つのときでしたから。なぜ、五つの娘を縁談に……と思いましたが、今考えるとロアーナ殿は自分の死が近いことを悟っていたのかもしれませんね」

 

 お母様が……。

 

 確かにお母様は病気と見せかけての毒殺でした。

 

 フリード様の言う通り魔の手が迫っていること察して……。

 

 今となっては答えを知る由はありません。

 

 私の顔が険しくなったのかフリード様は気まずそうに頭を下げました。


「……すみません」

「い、いえ、是非、続きをお聞かせください」

「では。……そのときもロアーナ殿やあなたのお父上にも説得をされました」

 

 お母様は私のためを思ってですが、お父様は王子との婚姻による家名の格上げしか考えていなかったのでしょう。

 

 ……二人の説得ですか。

 

 私は少し不安になり、恐る恐る尋ねてみます。


「と、ということは、フリード様はお母様とお父様の説得で許嫁になることをお決めになったのですか?」

 

 このとき、私の声は震えていました。

 

 なぜ、震えているのか。そもそもなぜこんな質問をしたのか。

 頭では理解できていませんでした。ただ、感情が暴走して身体を動かしたのです。

 

 すると、フリード様は笑みを浮かべました。


「いえ、逆に私が頼んだのです」

「えっ……」

「あなたの言葉は荒んでいた私の心を照らしてくれた。“前を見ないと危ないですよ”と。それだけ、たったそれだけの言葉にどれだけ私が救われたか」

 

 私はその自分の言葉のどこが良いのかわかりませんでした。

 

 そんな私に気が付いたのかフリード様は声に出して笑いました。


「確かに、あなたはただ下を向いて歩く私を気遣ってくれただけの何気ない一言だったかもしれません。ですが、あのときの私にとっては深く刺さりました。顔を上げたときに見えたあなたの笑顔は太陽かと見紛うほど眩しかったのです。その瞬間、この方しかいない。そう感じたのです」

 

 そのとき、フリード様は私の両肩を両手で優しく掴みました。


「は? へ?」

 

 優しくも力強い手に戸惑ってしまいます。

 左腕は重傷を負っているはずなのに痛みに耐えながら掴み続けて。


「ロア殿。あなたが大事なときに守れず、側にいられず申し訳ございません。ですが、もう一度機会を頂きたい。私は必ずあなたを守り続ける。断じて傷付けたりはしない」

 

 そして、大きく息を吸い込んで最後の一言を言ってくれました。


「改めて、私と許嫁、いや、婚約者となってください。ロアーナ殿からのお願いだからではなく……私はあなたを愛しています」

 

 …………これは夢なのですか。

 

 あれだけ、絶望しかなかったところにこんな大きな光が。夢なら今すぐに覚めてください。

 

 ……夢じゃ、ない?

 

 本当に?

 

 今までぽっかりと空いていた穴が塞がった感覚です。こんなに、こんなに温かいのですか。

 

 返事を、返事を言わないと……身体が震えます。

 

 たった一言。

 たった一言なのに、どうしてこんなに難しいのですか。

 

 私は大きく息を吸い込み、高鳴る鼓動を沈めます。

 

 そして、意を決して口を開きます。


「はい。喜んで」

 

 涙混じりの笑顔で……変ではないことを祈ります。

 すると、フリード様は大きく息を吐き出しました。


「よかったーー。……まさか、まさか生きて会えるなんて奇跡だ。あなたが行方不明になってから二年間。このような時が来るとは思いもしていませんでした」


 若干、口調が軽くなって、それほど緊張していたのでしょうか。

 何だか自分のことのように嬉しく感じてしまいます。

 

 そのとき、フリード様はその場に倒れてしまいました。


「フリード様‼」


 私は慌ててその身体を支えます。


「安堵したからか急に力が抜けてしまいました。申し訳ありませんが、少し休ませてください。……起きたらこれからのことを考えましょう。何とかして見せます」

「はい!」

 

 そして、フリード様はお休みになりました。

 

 ……二年?


「二年!?」

 

 身体の成長具合から五、六年は経っているかと思っていましたが……二年?


「ということは、私はまだ一二歳ですか。……この身体」

 

 恐らくはアグロボロネアに投与されたあの薬。あれの結果なのでしょう。

 

 深くは考えない方が良さそうです。

 いえ、ここはポジティブに考えましょう。

 

 この見た目のおかげでフリード様の隣に立ってもおかしくありません。

 

 隣……い、一旦落ち着きましょう。

 

 数回、深呼吸した後、倒れているフリード様に目を向けます。

 

 じーっと見詰め続けて閃きました。

 

 私は誰もいないことがわかっているのに周りを確認して頷きます。

 

 そして、フリード様の頭を私の膝の上に乗せました。


 何だか嬉しくなってしまいます。

 

 気持ちが抑えられず顔が溶けてしまいそうです。こんな、こんな幸せなことがあっていいのでしょうか。


 フリード様は、なくなった私の居場所を作ってくれた。

 

 この世界はしっかりと私に救いの手を与えてくれました。

 

 フリード様の頭を撫でてクスリと笑ってしまいます。

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