第7話 孤立無援

 一瞬、私の時が止まったかのように感じました。

 

 お父様が何を言ったのか理解できない。目の前が真っ暗になりました。

 

 本当に声が出ているのかも自分では分かりません。


「物乞い風情が我が娘を名乗るとは無礼にも程がある!」

 

 そして、お父様は背を向けました。

 

 私は声が出せませんでした。

 

 ほ、本当に私のことが分からないのですか……。

 

 お父様は館に戻る足を途中で止めました。


「仮にも! 仮にもだが、もし貴様が申すようなことが誠のことであれば我が公爵家の信用は地に落ちる。断じて認めるわけにはいかん」

 

 何を、言っているのか。わからない。

 

 どういう……こと? そ、そんなはずが……。


「何をしているのです‼ 早くこの狼藉者を追い出すのです‼」

「……追い出した後は手出し無用だ。良いな」

 

 お、お父様は、……私を、私だと分かっていて。お見捨てに……。私よりも地位を家を……。

 

 気を取り直したエミザが意気揚々に近づいてきました。

 そして、囁くように告げてきました。


「ウフフ、驚きましたけどお父様は賢い御方です。今のあなたを助けても何の利もありませんもの。取捨選択ですわ。あなたの母と同じく切り捨てられたのよ」

「切り捨て……」

「だって、そうでしょ。あなたのお母様が死んでから私のお母様が嫁ぐまでの時間を考えてみなさい。まぁ、それだけではないのですけれど」

 

 エミザは薄笑いを浮かべました。


「これから死にゆくあなたには教えても何の問題もありませんわね。……あなたのお母様は急に体調を崩されたとか……どういうことでしょうね」

 

 母の病……まさか、まさか、まさか、まさか‼

 

 そのとき、私の腕を引っ張る侍女の姿が目に入りました。


「あ、あなたは……」

 

 名前も知らない見た目もこれといった特徴もない侍女。普段ならば何も思い当たることはないでしょう。

 

 ですが、記憶の端にその顔が浮かび上がりました。

 

 母の看病をしていた……侍女の一人。

 

 全てが合点いきました。

 

 そこまで、そこまでして、私たちの全てを……。

 

 本来であれば見方をしてくれるはずの父。もはや私に目を向けることはありません。現実から目を背け、地位を守るために全てを有耶無耶にしようとしている。


 弱く、情けなく、そして非常な父。そんな者が私の実父。

 ここは、狂ってる。人も土地も全て、狂ってる。狂ってしまった。

 

 私から全てを奪い、希望が何一つない。

 ここにあるのは絶望だけ‼

 

 そのとき、私の頭は憎悪に支配されました。何かが私の感情を高めて、爆発させてきます。許さない。許さない。許さない。許さない‼


「ウフフフフ、無礼者が。誰の許しを得て私に触れているのです?」

「は?」

 

 そのとき、私の手を触れていた侍女の鼻から血が垂れていました。


「え? は? え?」

 

 鼻だけに止まらず目から耳から血が沸き出し始め、そして足にも伝っています。穴という穴から血が噴き出しています。


「あなたは苦しませて喘がせて泣き叫ばせて殺せと。それぐらいしなければ気が収まりませんから。じっくりと味わってください。彼女の憎悪を」

「や、痛い痛い‼ やめ、やめて助けて……」

 

 そして、その侍女はその場に倒れてしまいました。

 

 ……え? 何、何が起きているの。今、誰が喋っているの? 私、じゃありません。誰が、誰が私の身体を……。


「あなたたちには感謝しています」

「うわああああああああ‼」

 

 近衛兵の一人が絶叫を上げながら突撃して私の身体に槍を突き立てました。


「や、やった……」

 

 ですが、私ではない私はその兵に向けて同様に笑みを零しました。


「まだ、私が話している途中ですよ」

 

 手を翳すとその近衛兵も先程の侍女と同じく血を拭きだして死んでしまいました。

 そして、身体に刺さった槍を抜いてその場に落とします。驚くことにその槍の切っ先は砕けていました。

 

 義母、義姉は何が何だか分からず呆けています。しかし、恐怖は感じているのか後退りをしていました。


「驚くことに彼女は廃人になっておかしくないほどの苦痛を味わいながらも僅かな希望を手放すことはありませんでした」

 

 そして、父に向かって指を差します。


「感謝しますわ。彼女の最後の希望をへし折ってくれて」

 

 父の顔は酷く青ざめていました。そして、その表情のまま、ポツリと呟きます。


「憎悪の……魔女。まさか……」

「おや、知っていましたか。ウフフフ、でしたらこれから起こることはお分かりですわね。……全てを滅ぼします。憎悪によって」

 

 駄目、駄目です。

 そんなこと……駄目です‼


「しかし、やけに身体が馴染みますわね。……確か、公爵家ですか。遠縁ながらも王家の血筋。それが私の身体に……ウフフフ、なんと皮肉な事でしょうか‼」

 

 だめ‼ そんなこと、私は望んでいない‼ やめて‼


「では始めましょうか。この身体の力を見たいですし、手始めに皆殺しです‼ ……なっ、ま、まだ、抵抗を? せっかく手伝ってあげましたのに……早く憎悪に身を任せれば……楽になるものを……。はっ! えっ……?」

 

 も、戻った? 


 言うことが聞かなかった手は動き、足も動く。

 

 そのとき、カチャッと硬い何かを踏んでしまいました。

 恐る恐る下を覗くと血塗れで倒れている近衛兵を踏みつけていました。


「ひっ……」

 

 慌てて足を離すとべちゃっと足裏に血がこべりつきました。


「こ、これを……わ、わたしが……うそ……いや‼」

 

 気が付くと踵を返して走り出していました。

 

 ……無我夢中で逃げ出したのです。

 ……全てから。


「何をしているのです‼ 早く追いなさい‼」

「待て‼」

「どうしてですか‼ あの狼藉者の始末付けねば‼」

「犬死にするだけだ‼ ……憎悪が復活した。それも、ロアが魅入られて……」

「ロアはもう死んでいます‼ ……構いません‼ 行け‼」


 後ろから義母と父のそんな話し合いが微かに聞こえてきました。

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