第10話「決戦前のささやかな宴」
鍋の湯気が、ふわりと昇った。
囲炉裏の火が、ぽつぽつと鳴いている。
土陰が味噌を溶かし、山菜をくぐらせ、
静かに鍋を回した。
「猪鍋か……また冬が来る」
火影が鼻を鳴らした。
「どうせ明日には焦げ臭ぇ空気に戻る。
今のうちに楽しもうや」
金影が器を手に、ぐいと酒を呷る。
「言葉はいらん。静かに食え」
月影が指を立てる。
木影は湯気の向こうで、何も言わず目を細めていた。
水影が笑う。
「和尚と和子は、まるで親子だな。言うこと聞かねえし」
笑いがこぼれたが、土陰は黙って、
和子の茶碗にそっともう一口、飯をよそった。
やがて鍋は空になった。誰も立ち上がらない。
火影だけが炉の隅で、酒の残りを探していた。
「……これが最後の飯になるかもしれんな」
誰かが言った。誰かが黙った。
壮元は湯をすすりながら、ぽつりと呟いた。
「いや、“最後の飯”なんぞ、ない。
生きて食えば、それはいつだって“最初の飯”じゃ」
和子はその言葉に、かすかに唇を動かした。
その表情を見て、土陰は、もう一口、
飯をよそっていた。
その夜、座敷に地図が広げられた。
月影が語る。
「敵は三百。津と松阪から二手に分かれ、
三日後、獣道と峠へ到達と見られる」
「……あの村を守る。村人に兵は出させぬが、
逃がす手は打て」
壮元が言うと、水影が頷く。
「川舟で女・子を北谷へ」
「火影、迎え撃つな。崖を崩せ」
「承知。木影と連携する」
金影が言う。
「竹で槍を仕込み、獣道に突き落とす。逃げ場は潰す」
「土陰は負傷者を。だが、いざとなれば打って出よ」
そして――
「俺も、やる」
和子の声が場を凍らせた。
「俺のせいで戦が始まった。
乙女一人を助けて、三百を呼び込んだ。
なら今度は、三百を一人で返す」
「命を懸けるか」
壮元の問いに、和子は頷いた。
月影がわずかに目を細めた。
「では、陽動を任す。影の先に立て。日の端として」
「……ここだな。旧神社の崖道。光で引き寄せる」
作戦が決まった。
水影は川を押さえ、土陰は村を守り、
火影と金影は、罠と爆薬を仕掛ける。
そして和子が、
戦の“最初の一手”を放つ――
だが、和尚は誰にも言わなかった。
「問題は……日影が、いつ戻るかだ」
(つづく)
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