第39話 トラウマを飛び越えろ

 部活まで暇だからと桐崎がシレっと参加して十メートル感覚で三角形を作ってパス練習中だ。桐崎は今年からサッカー部に入ったらしいが、充分パスが上手い。足も速いしおそらくMFをやっているのだろうが、桐崎は運動量が無さそうだしボランチは無さそうだなとぼんやり思いつつパスを回す。


「蓮はこの間助っ人来てくれたし上手いのは分かってるんだけど、悠真もサッカー経験者なだけあるよなぁ」

「だよね〜。というか本気出したら僕より上手いよ」

「かーマジか! 復帰しろ!」

「嫌だ。そもそも今の俺が入っても戦力にならんぞ」


 俺の本職は元々ボランチがトップ下。運動量は元々人の何倍もあったし、守備も攻撃も好きだったから適正なポジションだ。高校に入ってからはDFの最終ラインで自由に動くリベロという最近は減ってきたポジションに入っていた。より攻撃に参加して、より守備に貢献できる最適ポジションが見つかって高揚していた時に、膝破壊が起きた。

 しかも治ったのにドリブル突破が出来なくなってしまい、リベロはおろかボランチもトップ下もできないプレーヤーになってしまった。トップという選択肢もあったのだが、やはりずっと敵の最終ラインに張り付いていなければならないのはどうにも性に合わないと思ってしまい結局部活ごとサッカーを辞めた。

 とどのつまりドリブル突破すらできない凡プレーヤーが試合になんて出れるわけが無いので、復帰したところで使い道が無いということだ。野球の代打専門のような役割があれば話は別だが、そんなものサッカーには無い。


「ほんっともったいねー……膝ってなんで怪我したんだ? 相手との交錯?」


 桐崎は至極当然な流れで、膝を怪我した理由を聞いてきた。俺はそれを聞かれて少し俯きつつ、答える。


「……味方に潰された」

「は……? え?」

「三年の先輩だった人にな。公式戦前の紅白戦で思いっきり削られた後に膝裏思いっきり踏まれて靭帯損傷。程度は割と浅めだったから早く治ったんだがな」


 思い出すのは去年の七月前半。一年でレギュラー内定を貰っていた俺。ただ華奈と付き合っていたこととそのレギュラー内定を好ましく思わない奴が複数サッカー部に存在していた。そしてその紅白戦でその集団にボールを持った瞬間チャージをかけられて、いつも通りドリブルで突破したら死角からいきなりスライディングで削られた。そこからさらに抜いたやつに膝裏から思い切り踏まれて終戦、という流れだ。

 とどのつまり華奈と付き合っていたことが薪に火を焚べてしまった最後の火種だったということだ。思い返して力感の無い笑いが溢れてしまう。


「なんだそれ……」

「まぁ、そゆことだ」

「んじゃあ俺からボール取られるなよ!」

「はぁ? なんだお前っチャージはっや!?」


 いきなりすごい形相で十メートルの差を一気にチャージして詰めてきた桐崎に反射的に身体でボールを守る。足で出来るだけ遠くに持って行って桐崎に取られないようにする。


「お前が膝壊されたのも腹立つけど! 白石さんと付き合ってたからって理由付けはもっと腹が立つ!」

「っ……事実だろ」

「事実だが! そうやってサッカーと白石さん、どっちも楽に諦めたかっただけだろ!」


 核心を突く言葉を纏わせて身体で押してくる桐崎。俺も負けじと押し返すが、動揺で膝が震える。


「好きなものと好きな人、諦められないよな! だからそうやって白石さんが絡んでいる理由を粗探ししないとダメなんだろ!」

「ぐ……」


 だんだん押されてきている。フィジカルで負けることなんてほぼ無いし、桐崎は身体は細身なのでそこまでフィジカルは強く無いはずだ。なのにここまで押してくるのは怒りの感情からなのか。


「お前、カッケェのになんでそんなダサいんだよ! 体育祭の時もプールの時とずっとカッケェって思ってたのに、白石さんが絡むと途端にダサく見えるのすげえな!」

「ダサくて悪かったな……俺は元からそうなんだよ。幻想抱かしてすまんな」

「うぇっ!? 股抜き!?」


 遠くにやって左の足裏で転がしていたボールをそのまま左足の踵でポンと若干強めに蹴ってガラ空きの股を抜く。こうすれば抜くことは可能なのは分かっているのだが、やはり上レベルになるとそう簡単に狙えないのだ。

 少し距離を取って一対一の構図にする。


「クソッ……俺なんて三十五回やって未だ未勝利なんだぞ……なのに悠真! お前は何回告白したんだよ!」

「ゼロだが……」

「そうだろ!? お前が自分で白石さんを引き寄せたんだろ! お前の色んなところに惹かれた白石さんが、サッカー出来なくなったくらいで嫌いになると思うか!?」

「嫌いとか好きとかの話じゃねえんだよ……俺も華奈じゃなにも釣り合ってねえんだよ! だから……」

「釣り合うとか釣り合わねえとかじゃねえだろ! 恋愛ってそんな難しいこと考えねえとダメなのかよ! 好きか嫌いかで充分だろうが! お前が白石さんを好きなのか嫌いなのかだけだ!」


 話が全く通じない。でも俺の言葉と桐崎の言葉、どちらが的を得ているかは一目瞭然だ。俺の理論はただの逃げの為の理論だ。そんなのもう分かっている。分かっているのに、この思考から抜け出せない。どうすれば良いのかもわからない。ずっとずっと、膝を怪我してから辛い底無しの穴に突き落とされている感覚がする。光っていたはずの太陽ももういない、完全な暗黒だ。


「悠真ぁ! 俺を抜いてみろよ!」

「はぁ?」

「膝とか知らねえ! お前が白石さんへの感情にしっかり向き合って、もう逃げないって誓えるならそのトラウマなんて木っ端微塵だ!」

「……」

「今対面してるのはお前の膝を壊したやつじゃ無い! ただの一人の初心者だ! 悪意も無いから怖がるな!」


 浅めに深呼吸をする。確かにそうだと思った。今俺の前に立っているのは桐崎であって、あの時膝を壊しにきた奴らでは無い。たった一人だから死角から攻撃されることもない。そう考えればなんだか膝が軽くなった気がする。

 ゆっくり近づいて足でボールを捌く。桐崎は反射で付いてきているので、小細工無しで一気に技術で抜く。現役の時ですらほぼやった事がないラボーナエラシコで突破する。桐崎の横をしっかり抜けた。今まで抜く前に膝が固まって動けなくなっていたのが嘘のように、スルッと抜け出せた。


「……抜けた」

「抜けたじゃん、悠真」

「……偶然かもな」

「かもね」


 近くで地べたに座っていた蓮が、いつものちゃらけた雰囲気から想像できないほど優しげな声色でそう呟いてきたから、俺も少しだけ楽な感じで答えた。


「さっき雄司が言ってた事、できそう?」

「華奈への感情にしっかり向き合う……な」


 後ろでまだフリーズしている桐崎を尻目に、俺の中の何かがカチッと切り替わったような感覚がした。

 ただ今は、そよ風のような少し強めの風が心地よかった。

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