2- 18 悪霊の悲しみ

 緊張感が漂う赤い回転灯、注意を引く交通整理の笛の音、騒めく人だかり······騒然とする交差点を視界に入れた結羽は思わず駆け出した。


「安堂さん? どうしたの?」


 突然走り出した結羽に驚いた美伽も慌てて駆け出したが、すぐに事故現場に何かあるのだろう、と感じた。田中と礼子の2人の霊も彼女たちの後を追いかけていく。


 数十メートル走った結羽は事故現場である交差点にたどり着くと足を止めた。


「あ!」


 結羽は驚きの声をあげて、事故現場を呆然と見つめながら立ち尽くした。

 交差点では白い自動車が電柱にめりこむように大破していた。

 エンジンは、むき出しになっており、運転席は原型を留めないほど破壊されている。この様子では、運転手は助からないだろう。自動車は相当なスピードで衝突したらしく、電柱が僅かに傾いている。

 交差点には数台のパトカーと救急車がいたが、すぐに救急車だけがサイレンを鳴らしながら走り去っていった。


「自業自得なのよ!」


 金属の塊のようにひしゃげた自動車の脇では、女性の霊が高らかな笑い声をあげている。

 それは、阿手川清美だった。


「まさか······」


 結羽は最悪の事態を想像した。そのときだった。結羽は、視界の外から霊の気配を感じた。それは、今まで一緒に歩いてきた田中や礼子ではない。明らかに別の霊だ。

 結羽は反射的にそちらに顔を向けた。上半身が血だらけの霊が阿手川清美に向かって力なく歩いている。そのあまりにも痛々しい姿に、結羽は思わず血だらけの霊から顔を背けた。

 血だらけの霊は頭や顔の右半分が潰れ、右腕は肘から下がちぎれてなくなっていた。血に染まったシャツの間からは内蔵や腸が飛び出そうとしている。


「清美······」


 血だらけの霊が阿手川清美の名前を呼んだ。阿手川清美は笑うのをやめると、血だらけの霊を見つめた。


「翔、あなたも、死んだのよ」


 阿手川清美は血だらけの霊を「翔」と呼んだ。その瞬間、結羽は、その血だらけの霊が誰なのかを察した。


 阿手川清美をベンツではねて死なせた元婚約者!


 結羽は何かに気づいたようにハッとした表情を浮かべると、阿手川清美に顔を向けた。


「やっぱり! それが目的だったんだわ!」


 結羽は阿手川清美の雰囲気が以前と変わっていることに気がついた。よく見ると、阿手川清美の霊体が黒い霧のようなものに包まれている。さらに、彼女の美しかった瞳は以前より細くなり、つり上がっていた。


「阿手川さん、悪霊になっちゃったんだね······」


 結羽の悲しげな呟きが阿手川清美に届いたのか、彼女は結羽に顔を向けた。


「あら、貴女はあのときの······確か、慰霊師だったわね」


「はい。慰霊師の安堂結羽です。阿手川さん、これはどういうことなんですか? まさか、元婚約者に······」


「そうよ。復讐したの」


 阿手川清美は結羽の言葉を遮るように答えた。阿手川清美の恨みに満ちた言葉が続く。


「私を捨てて他の女に走った男の運転を妨害して電柱に激突させてやったのよ!」


 阿手川清美はつり上がった目で再び高笑いを始めた。


「どうして······。じゃあ、どうして私に犯人の居所を調べてほしい、だなんて依頼したんですか?」


 結羽が阿手川清美を問いただした。そのとき、結羽は、歩道で独り言をいっている自分に周辺の人たちが不審な目を向けていることに気づいた。すぐに、結羽は首からぶら下げていたスマホを右耳にあてた。

 他人がいる場所で霊と話すときは、スマホで会話しているように装う、と決めていたからだった。


「貴女に依頼したのは、ただ私の無念さを知ってほしかったからよ。それに······」


「それに?」


「霊が視える貴女に、私の復讐を邪魔されたくなかったから」


「そんな······」


 結羽は右耳にスマホをあてたまま、うなだれた。


「でも、安心して。貴女への報酬は支払うから」


 阿手川清美が引きつった笑みを浮かべた。


「報酬なんて、どうでも良いんです!

 どうして、阿手川さんは元婚約者のベンツに体当たりして自殺したうえに、その方まで事故死させたんですか?」


 結羽は腹の底から怒りが込み上げてくるのを感じた。報酬なんかどうでも良かった。ただ、復讐のために人の命を奪ったことが許せなかった。


「心から愛していたからよ」


 阿手川清美はポツリと答えた。その表情は暗く、しかし、語気は強かった。阿手川清美は言葉を続けた。


「心から愛し、信じていた人に裏切られた気持ち、貴女には分からないでしょ。どれだけ辛くて悔しかったか! それに私、妊娠していたのよ······」


 阿手川清美の悲しげな告白に結羽は衝撃を受けて言葉を失った。そのあまりにも悲しい事実を耳にした結羽は、もうそれ以上なにも言えなかった。


「そ、それは、ほんと、本当か······?」


 今まで黙って阿手川清美と結羽の会話を聞いていた血まみれの霊が弱々しく喘ぎながら言葉を吐き出した。阿手川清美は無惨な姿となった元婚約者の霊に顔を向けた。


「本当よ。貴方の子供ができたの。でも、貴方は私を裏切った。それでは産まれてくる子供があまりにも不憫でならない。だから、私は貴方の車に身を投げて自殺したの。そして、貴方に復讐したのよ!でも、でも、それなのに······どうしてこんなに胸が苦しいの? この罪悪感は、いったい何なの?」


 阿手川清美は、そこまで話すとアスファルトの路上で泣き崩れた。


 結羽は、交差点の白い車線の上で嗚咽する阿手川清美を見つめながら、愛する人に裏切られた哀れな女性の末路を想い涙を浮かべた。

 結羽の右隣では田中と礼子の2人の霊が阿手川清美を黙って見つめている。左隣では、結羽の“独り言”で事情を察した阿手川清美の妹・美伽が金属の塊と化した事故車を悲しげに見つめていたのだった。




(つづく)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る