2- 11 事故車が事故を起こした理由
茶髪男の霊を追い返した直後に現れた作業服を着た男の霊。
結羽は、茶髪男に胸を触られた直後だけあって、作業服男も「痴漢霊」なのか、と露骨に警戒する素振りを見せた。
すると作業服男は笑い声を上げた。
「まあ、そんなに警戒すんなよ。俺はあいつみたいに痴漢なんかしないからさ」
結羽は作業服男を観察した。歳は20代半ばくらいで、黒髪だ。よく見ると、右側頭部が血に染まっている。
「お兄さん、事故で亡くなったの?」
結羽は単刀直入に尋ねた。すると、作業服男は真顔になり、右手で自分の右側頭部を撫でた。
「まあね。建設現場で落ちたんだ」
「お気の毒に」
「しょうがないさ、俺がヘマしたんだから。ところで、こんなところで何をしてるんだ?」
作業服男は、周りを見渡しながら結羽に尋ねた。
「事故調査かな」
「事故って、あのベンツのことか?」
「え! お兄さん、事故のこと知ってるの?」
「ベンツの自損事故だろ。自分から車をぶつけていくなんて、もったいないことするよな」
「自分から? わざとベンツをぶつけたっていうこと?」
「ベンツがぶつかる前に助手席から女が降りたんだ。そのあと、ベンツが走り出してコンクリート壁にぶつかったんだよ」
結羽は作業服男の証言を聞くと、うつむいて考え込んだ。
女の人が降りてからベンツがぶつかって、その後、ベンツを大型トラックに載せて去っていった······。なんのために?
「あれはどう見ても怪しいベンツだったな」
作業服男は独り言のように呟いた。結羽は顔を上げると、作業服男の顔を見つめた。
「怪しいって、何が?」
「あのベンツ、どう見ても事故車だったからさ」
作業服男の言葉に結羽は怪訝な表情を浮かべた。
「いや、だって事故車じゃん。この壁にぶつかったんだから」
結羽は、衝突痕が残るコンクリート壁を指先でツンツンと触れながら言った。
「そういう意味じゃない。あのベンツは、ここで事故を起こす前から事故車だった、てことだよ」
結羽は、その作業服男の証言を耳にした瞬間、自分の中で抱いていた仮説が確信に変わった。
結羽は真剣な眼差しで作業服男を見つめた。
「事故車って、どういう状態だったの?」
「ベンツのフロントやヘッドライトが凹んだり壊れていたな。血のようなものも付いていた」
「証拠隠滅だ!」
突然、結羽は叫んだ。作業服男は驚きながら結羽の顔を見つめた。
そうよ、ベンツが阿手川さんをひき逃げして、その証拠隠滅を図ってわざとベンツを壊したんだわ。だから、警察も呼ばずに大型トラックに載せて去っていったんだ! ということは、ベンツを運転していた男がひき逃げ犯!
結羽は、事故の真相に迫ることができたことで、ゴールへの壁をひとつ乗り越えられたような気がした。
「事故調査だの、証拠隠滅だの、もしかしてお前は探偵なのか?」
作業服男が観察するように結羽の全身を見た。すると、結羽はニコリと笑みを浮かべた。
「私は、慰霊師なの」
「いれいし?」
「世の中の心霊現象を解決するために、幽霊を慰めて解決するの」
「うわ! お前、お祓いしに来たのか!」
突然、作業服男は動揺しながら後ずさりを始めた。
「大丈夫、お祓いをしに来たわけじゃないの。依頼を受けて聞き込みをしてるだけなの」
結羽は笑顔のまま事情を説明した。しかし、自分には“お祓い”ができないことを伝えなかった。もし、お祓いができないことが分かれば、態度を豹変させて襲いかかってくる霊がいるかもしれないからだ。
「ねえ、作業服さん。ここで見たことをいろいろ教えてほしいの」
「おいおい、ちょっと待て。俺の名前は作業服じゃないぞ」
「じゃあ、名前を教えてくれる?」
作業服男は「田中」と名乗った。
「じゃあ、田中さん。事故について詳しいこと教えてくださいな」
すると、作業服男・田中は両腕を組んで難しい顔をした。
「俺はベンツの事故について細かいことまで覚えてる。だから俺の証言はかなり使えるはずだ。それなのに、タダで教えるってのは······」
結羽は、聞き込みをするにあたっていつか誰かが見返りを求めてくるだろう、と予想していた。だから、田中が見返りを求めてきても何ら動じることはなかった。
「わかった。じゃあ、有力な情報をくれたら見返りを提供するよ」
「約束だぞ」
「うん、約束する」
結羽は田中に向かって真剣な表情で頷いた。
「ところで、お前の名前は?」
「私の名前は、結羽」
「ゆうは、か」
「田中さんは、私にどんな見返りを求めてるの? 私の胸を触らせろ、とかは無しだからね!」
「そんなこと言うかよ! あの痴漢野郎と一緒にすんな!」
ムキになって反論する田中を見た結羽は、彼の人柄は信用できそうだ、と安心して微笑んだ。
「俺への見返りはな······」
田中は、そこまで言うと黙り込んでしまった。結羽には、田中の雰囲気から悲しみの感情が感じられた。
「俺、結婚を約束していたカノジョがいたんだ。だけど、仕事中に事故死してしまった。それ以来、美伽は······これカノジョの名前だけど、美伽はずっと毎日のように夕方になると海を見つめてるんだ。だからさ、美伽に俺からのメッセージを伝えてほしいんだ」
田中の声は次第に小さく低くなっていった。
「うん、わかった」
結羽は優しげな笑みを浮かべながら承諾した。
(つづく)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。