2-8 樹木で泣く美女の霊

 梅雨の曇り空の下、結羽は大通りの歩道を公園に向かって歩いていた。左肩には白猫の霊・ホイップが座っている。


 美女の霊・阿手川がひき逃げされて亡くなった事故現場の交差点から南に数百メートル歩くと大きな公園があった。

 公園内には人工の小川や芝生、散歩コース、遊具などがあり、子供から高齢者まで幅広い年齢層が利用している。


 大きな公園の入口に到着した結羽は立ち止まると、自分の気配を消しながら公園内を見渡した。


 公園内の滑り台やブランコ、散歩コース、芝生、樹木のエリア······結羽は注意深く公園内を見渡したけれど、阿手川の霊はいなかった。男子小学生の霊がベンチに座っているけれど、今は話しかけることはできない。阿手川に気付かれずに彼女を観察したいので、他の霊と話をすることで彼女に見つかるわけにはいかない。


「ホイップ、阿手川さんはどこにいたの?」


 結羽は左肩のホイップに小声で尋ねた。


「もりのなか」


「樹木エリアね」


 公園の樹木エリアはサッカーコート1面ほどの広さがあるため、公園の入口からでは樹木エリアの内部全てを見渡せない。


「ねえ、ホイップ。森の中へ行って阿手川さんがいるか見てきてくれない?」


「えー、いやだ。ぼく、あのひと、きらい」


「遠くから見るだけでいいの。お願い」


 ホイップは結羽の顔を不服そうに一瞥すると、地面に飛び降りた。そして、ゆっくりとした足取りで樹木エリアに向かっていく。よく見るとホイップの両耳が横に倒れている。


「ホイップって、本当に阿手川さんのこと苦手なんだな」


 結羽は、ホイップの後ろ姿を見つめながら可笑しくなってクスッと笑った。


「確かに、阿手川さんはどこが陰がありそうだけど······」


 しばらくすると、ホイップが樹木エリアから出てきて結羽の足元まで戻ってきた。


「ホイップ、どうだった?」


「いたよ」


「どこに?」


「もりのまんなかで、たっていた」


「ありがとう」


 結羽は、樹木エリアを見据えながらゆっくりと歩き始めた。


「ゆうは、もりにいくの?」


「うん。嫌ならここで待っていていいよ」


「まってる」


 結羽はホイップを公園入口に残して樹木エリアに近づいていく。樹木エリアは人工の森なので自然のそれほど樹木が密集しているわけではない。ただ、樹木エリアの中心部は散歩コースから外れているだけあって人気ひとけがない。


 結羽は散歩コースを歩いて樹木エリアに入った。平日の午前中だからか、人の姿はない。そのとき、樹木エリア内の数十メートル先、散歩コースから外れた場所に人影が見えた。結羽には、すぐにそれが阿手川だと分かった。


 結羽は気配を消しながらゆっくりと阿手川の背後から近づいていく。決して阿手川を直視しない。霊を直視しながら近づけば、接近に気づかれてしまう。やがて、阿手川まで十数メートルの距離まで近づくことができた。


 小さい頃、幽霊たちと鬼ごっこや隠れんぼして遊んだ経験が役に立った。


 結羽は過去の経験で得た「気配を消す」能力のおかげで、阿手川に気付かれずに近づくことができたことを嬉しく思った。


 結羽は樹木に隠れながら、阿手川を観察した。


 阿手川は公園内でも一番高い樹木の傍に立ち、そこに額を押し当てるようにして突っ立っている。そのとき、結羽は異変を感じた。


 阿手川さん、泣いてる?


 阿手川は樹木に額を押し当てたまま両肩を震わせていた。さらに、阿手川は何かを呟いている。


「どうして······私を······裏切ったの······」


 裏切った? 阿手川さん、誰かに裏切られたの?


 結羽は予想もしていなかった阿手川からの言葉に驚いた。さらに、聞き耳をたててみる。


「りょうすけ······あなた······子供······」


 結羽には、阿手川の言葉が断片的にしか聞こえなかったが、確かに彼女は誰かの名前を口にした。


 りょうすけって誰なんだろ?


 阿手川が口にした男の名前。結羽には全く心当たりがない。


 そのときだった。突然、阿手川は何かに気づいたように周辺を窺った。素早く樹木に身を隠す結羽。すると、阿手川は無言のままその場から歩き去っていった。


 結羽は、阿手川が樹木エリアから出ていくのを確認すると、彼女とは反対方向へ歩き始めた。


「裏切り、りょうすけ、子供······」


 結羽は阿手川が口にした言葉を呟いてみたけれど、さっぱり意味不明だった。


 結羽が樹木エリアから出ると、ホイップが辺りを警戒しながら近づいてきた。

 結羽はホイップを抱き上げると左肩に乗せた。そのとき、公園のベンチに男子小学生が座っていることを思い出した。


「そうだ。せっかくだからあの子にも聞き込みしてみよっと」


 結羽は散歩コースを歩きながら男子小学生が座っているベンチに近づいていった。






(つづく)






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