1- 12 猫の飼い主

 飼い主の家が近づいてきたのか、結羽に抱かれているホイップが落ち着かない様子だった。


「ここが、珠代ちゃんの家じゃ」


 お爺さんの霊が指差すより早く、結羽に抱かれていたホイップが素早く路上に飛び降りた。そして、そのまま目の前に建つ“珠代ちゃんの家”へ走り去った。


“珠代ちゃんの家”は、木造二階建てでかなり古びており、都内でもここまで古い家はなかなか見つからないのではないか、と思えるほどだ。

 敷地内の小さな庭は手入れが行き届いており、野菜の苗が規則正しく並んで植えられている。小さな花壇には赤や白のバラがいくつも咲いており、古びた家を鮮やかに飾っている。玄関の外の大きな白い鉢には水がたたえられており、小さなメダカたちが動いたり止まったりを繰り返している。

 結羽は“珠代ちゃんの家”が、少女が住む家とは思えない様相を呈しているのを目のあたりにして唖然とした。


「珠代ちゃんを呼んであげよう」


 お爺さんの霊はそう言うと、玄関のすりガラスの引き戸を両手でカタカタと揺らした。しばらくすると、見るからに高齢の、90歳は超えていそうなお婆さんが玄関に現れた。

 お婆さんは、すりガラスの引き戸をカタカタと音をたてながら開けた。お爺さんの霊は笑いながら玄関先に立っていたが、お婆さんはまったく気づいていない。

 お婆さんは、すりガラスの引き戸がなぜ揺れたのか、と不思議そうにそれを見つめた。その後ようやく、路上で立っている結羽の存在に気づいた。


「あ、こんにちは」


 結羽がお辞儀すると、お婆さんは会釈を返した。

 玄関先で立つお婆さんの顔の皺は深いけれど、優しい目つきをしている。結羽は、お婆さんの雰囲気に穏やかさを感じて安堵した。


「何かご用ですか?」


 お婆さんは、結羽をとくに警戒することなく尋ねた。


「突然、すみません。珠代ちゃんにお話があって伺ったんですが、いらっしゃいますか?」


 すると、お婆さんは一瞬きょとんとした表情になったあと、にっこりとした笑顔になった。


「私が珠代ですよ」


「え、そうなんですか! それは失礼しました!」


 結羽は驚きの声をあげたあと、すぐに深々と頭を下げた。あまりにも勢いよく頭を下げたので、首からぶら下げているスマホが鼻に当たってしまった。

 そのとき、お婆さんの隣りにお爺さんの霊が立った。お爺さんの霊は、結羽を見ながらにこやかな表情を浮かべている。


「それで、あなたは、どこのどちらさま?」


 お婆さんが優しげな笑みを浮かべながら結羽に尋ねた。


「私、同じ町内に住んでいる安堂結羽といいます。実は、お婆さんが飼っている猫ちゃんについてお話があるんです」


 結羽の言葉に、お婆さんの表情が一変した。


「うちの猫の行方を知ってるんですか?」


 お婆さんの顔には、心配の表情がありありと浮かんでいる。結羽は、そんな表情を見てしまったため、お婆さんに猫の死を伝えづらくなってしまった。


「うちの猫、最近、行方がわからなくなってしまってね、心配してるの。もしどこかで見かけたのなら教えてくださらないかしら?」


 どうしよう······。


 結羽は黙り込んで、うつむいてしまった。


「珠代ちゃんは強い心の持ち主だから、猫の死を伝えても大丈夫じゃ」


 お婆さんの隣りで立っているお爺さんの霊が結羽に告げた。結羽は頷いた。


「実は、お婆さんの猫ちゃんが側溝の中で······」


 結羽は言葉を絞り出した。お婆さんが結羽の顔をのぞき込むようにして次の言葉を待っている。結羽は目を閉じた。


「側溝の中で死んでいるのを見ました」


「それは確かな話なの?」


「はい。これ、見てください」


 結羽はスマホを手に取ると、側溝の中で横たわる白猫の画像をお婆さんに見せた。スマホの画像を見たお婆さんは息をのんだあと、視線を地面に落とした。


「水色の首輪。間違いなく、うちのホイップちゃんだね」


 お婆さんは力無く答えた。


「何日か前に知り合いの人が、白猫が車にはねられるのを見たらしくて······」


 結羽は、お爺さんの霊から聞いたことを、知り合いの人から聞いたと置き換えて伝えた。

 お婆さんは顔をあげると、結羽の顔をじっと見つめた。


「お名前は結羽さん、でしたか? もしお時間があれば、私を猫が倒れている場所まで案内してもらえませんか?」


「はい」


 結羽は返事をした。そのとき、何かに気がついてお婆さんの足元に視線を移した。そこにはホイップがいて、お婆さんの足に体をこすりつけていた。











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