闇の太子 ~Der Kronprinz des Finsternis~
暁 ミラ
第一幕 第一場 クレールラント山中にて
第一幕 第一場 クレールラント山中にて
二頭の龍の絡みし果てに
生まれ出たる御子あり
夜影に沁むる黒髪を
まといて闇に消えゆくは
其は闇の太子なり
滴り落つる石榴の露
口に含みし血の色を
両の眼に宿しては
黒き炎とたわむるは
其は闇の太子なり
朽ち果てたる王宮に
女王の嘆きこだませり
望み尽き果て暁に
独り狂いて叫ぶ名は
其は闇の太子なり
其は闇の太子なり
イルフェリア民謡:作詞者不明
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大陸を4つの王国に分割するなら、北方の大地をオヴァール王国と名づける。
中の国、海岸線一つを有する国をイルフェリア王国。
南下して、青い海を有する国をメロア王国。
そして東の未知の国、ウルターツ王国。
そして4つの大陸の地下に広く存在する、クルベルノート王国。
これらの土地より、この物語が紡がれる。
鬱蒼とした繁みが続く北方の山岳地。
ここはイルフェリア王国の北西部、クレールラント地方の山中である。
隣国のオヴァール王国とは山脈を隔て隣接し、時折山を越えて動物や様々な人間がオヴァールから南下する。行商人、巡礼者、病人の群、異邦人、盗賊、受難者でありながら他者に難を与えかねない者等々。
それらを内包する山々は、昼間は清々しい空気を麓の村落にもたらすが、日が落ちるとあらゆる地域と等しく闇の世界へと転じる。
夜とは邪な者の時間であり、必然的にそういう者しか動けまい。
平安を望むなら、夜は門戸を堅く閉じねばならぬ。
時は五月の真夜中。
夜風が肌寒く木陰からのぞく満月は大変にまばゆい。
細い山道の脇に広がる草むらに、いかにも荒くれもの者の男ばかり十数人。
光に集まる羽虫の様に、小さな焚火に群がっている。
火に照らされる脂で湿った髪と薄汚れた肌。身に着ける鎧がまちまちであること事から、彼等の職業が読み取れる。盗賊である。
彼等の群れの中央に、異なる風貌の者が一人。恐らく元の焚火の持ち主であろう。
山中独りで夜を明かそうとは、恐ろしく大胆な行為だ。盗賊達は今、そんな旅人の大胆さに報いを与えようとしていた。
逃げること叶わず、後ろ手に縛られた旅人。頭巾が荒々しく剥ぎ取られると、一同から驚愕の声が上がる。
長く優美な巻き毛の黒髪、白い肌、月の様に美麗な顔立ち。
「もうけたぜ、女だ。 しかも着てる服はどれも上等ときてる」
旅人の白い肌が露わになる。均整の取れた体躯と四肢、傷一つない手入れの行き届いた肌。しかしその平坦な胸元を見て更に声が上がる。
「何だこいつ! 男じゃねえか、畜生!!」
男達の荒々しい手つきによって、されるがままに丸裸にされる美貌の旅人。
明かりに浮かびあがる肢体の、微細な筋肉の陰影は、彼が何らかの生業を持っている事を語っていた。
人の身体は業種により様々な部位の発達を見せる。戦に従事する者は四肢の肉が太り、田畑を耕すものは腰が曲がる。
この旅人の筋肉は、四肢はおろか身体全体を万遍なく使用するような、偏りのない引き締まり方をしている。とりわけ背筋がつい、と上方に伸び、それが妙に堂々とした印象を与えているのだった。
「お綺麗なお庭に立つ、お上品な彫像みてえだ」
「この小綺麗さは、いい生活をしてた証拠だ!」
「こう言う ”おとこおんな” が贅沢にあやかれるとは、世の中ってのは何て不公平なんだ!」
縄を持つ男が旅人を強く揺さぶり、白い裸体はどさりと地に膝をつく。
美貌の旅人はぐるりと一同を見渡し、形の良い眉根をひそめた。
その表情には何故か、いささかの恐怖の色も読み取れない。
「言っておきますけど・・・」
美貌の旅人は、容姿にたがわぬ流れるようなテノールの声を響かせた。
「僕に関わると、後悔しますよ」
「はあ? もちっとましなことを言え。 丸裸でなにができるってんだよ」
いぼだらけの顔をした小男が、美貌の旅人の喉に短剣を突き付けて息巻く。
が、その時、遥か背後から首領の、唸る様なバスの声がかかる。
「まあ待て。 そう急くもんじゃない。 夜はまだ長いんだ」
隅で美貌の旅人の荷をまさぐる猫背の男が、大声を上げて飛び上がった。
「お頭ぁ! こいつ、金貨の大袋を隠してた!」
袋を頭上に掲げ、ちゃりちゃりと音を立てて小躍りしている。
「ほほお・・・そんな大金を持ち歩くってのは、間違いなく贅沢三昧をしていたようだな。
他には何がある」
猫背の男は重たそうに、年季の入った木目のリュートを掲げて見せた。
首領は美貌の旅人を興味深げに眺めた。
「お前は辻楽士か?」
肩をすくめて見せる美貌の旅人。
「ふん、楽士なら何か歌えるだろう。
お前、その格好でなにか歌って見せろ」
「はは、こりゃいいや」
賊共はげらげらと笑いながら、旅人の手の戒めを解き、白い背を突き飛ばした。
小さく悲鳴をあげ、半ばたおやかに地に倒れ込む旅人。ゆるゆると起き上がり、地面に放られたリュートを拾うと、物言わず調律を始める。
その顔色は無表情で、相変わらず、こんな状況下でありながら、恐怖の色が読み取れないのだった。
首領の指示のもと、旅人の周囲に大きな円陣が組まれ、小さな舞台ができあがった。
賊共は今夜の主役を遠巻きに眺め、思い思いの格好で草むらに腰を下ろしてゆく。
最後に旅人の正面後方、積みあがった荷物の上に、首領がどっかりと腰を落ち着けた。
「さあ、聞かせてもらおう。
無粋な俺らでも、音楽は大好きなんだからな。
どんなのが歌える?」
「何でも」
「何でもだとよ! お前等、何が聴きたい」
「ええと、俺は女の歌がいい」
「俺も、女のキスが感じられるのがいい」
一座は下品な笑い声に包まれた。
「なんだ下らねえ、女のことばっかりか。
だとよ、おとこおんな。そういうのを歌え。
下らん歌だったら、お前の命はこれっきりだ。嘘じゃねえよ」
垂れる前髪を優美なしぐさでかきあげた美貌の旅人は、一番近くにいる男達の方へ顔を向けた。
「皆さん、どこから来たんです?」
「知ってどうすんだよ」
唸る者がいる一方で、くったくなく答える者もいた。
「俺たちの大半は、イベルラントの出身さぁ」
「ふうん・・・豊かな穀倉地帯ではないの。黄金の棚畑」
「へへ、その通りだが、俺らみてなあぶれ者にはどうでもいいこった」
静まり返った空間に、緩やかにつま弾かれる音色。
どこか温かみのある旋律に、粗野な盗賊どもの耳は次第に引き込まれてゆく。
弦の音色は高く低く澱むことなく続き、やがて幾人もの聴衆から溜息が漏れ、まるで心がここにないかの様に、視線を浮遊させる者がで始める。
突如、強いリズムがはじき出され、一同の目が覚める。
土着的な音色を奏でながら、彼は足でリズムをとり、その場でゆっくりと旋回する。
周囲がざわめく。顔を見合わせている者がいるところを見ると、どうやら見知った曲の様だ。
そして彼のリズムに合わせ、自然と手拍子が打ち鳴らされ始める。まるで宴の様に。
彼の軽やかな音楽は、この場の空気を隅々まで支配した。
しばらくの間、楽し気なリズムで一同の耳を虜にしたかと思うと、曲調は次第に緩やかなものに移行する。
彼の動きはゆっくりと収束し、足取り緩やかに地面に膝をつく。
そして旋律は心地よい、とろりとした音色に落ち着いていった。
空気までがまろやかな変化を遂げる頃、まるで囁きかけるような、しっとりと柔らかい歌声が草むらに広がる。
その詩は、女性の美を歌う艶やかなものではなく、素朴で優しい歌であった。
”暖かな炉、柔らかな褥で眠るあなた
窓の外を見、私は待つ、あなたの為に
もの皆生まれる、柔らかな春の陽射しを”
一味の中で最も下っ端に違いない、まだ幼さの残る、あどけない顔をした少年がつぶやいた。
「おっかあ・・・」
その声に連鎖して、まるで水面に波紋が広がるように周囲がざわつき始めた。
「おっかあ! おっかあが歌ってくれた歌だ!」
首領は手下共の変化に思わず顔をゆがめ、どやしつけた。
「馬鹿野郎、何言ってやがる!
お前ら、どの面下げて下衆なこと言ってやがんだ! 何がおっかあだ!!!」
しかし、一旦望郷の思いに囚われた男達の心は、そんな罵声では呼び戻し難かった。
次第に広がる嘆き声とすすり泣きに、首領はいよいよ浮足立った。
「おい、こんな歌、すぐにやめろ!」
「うう・・・おっかあに会いてえよぉ! あの頃に帰りてえよぉ!」
”あなたが歩く所から、
花は歌う様に咲くでしょう
あなたが歩くそのそばで、
小鳥があなたの名を呼ぶでしょう”
「歌をやめろ! やめろっつってんだろう!」
「おっかあ! なんで俺をおいて死んじまったんだよぉ!
あんなに愛してくれたのに!!」
美貌の旅人は畳みかけるように、最後までしっとりと、情感を込めて歌い続ける。
”この世の全てが、
あなたを祝福するでしょう
わたしの良い子、今はまだ冬
暖かく抱かれて、おやすみなさい”
美貌の旅人が紡ぎだしたリズミカルな旋律は、彼等の故郷イベルラント地方に伝わる収穫祭の楽曲。そして涙を誘ったその歌は、その土地の有名な子守唄であった。
歌が終わってから、ようやく首領は前に進み出て、勢い良く剣を抜いた。
男達はようやく我に返り、火を消したように嗚咽を止めた。しかしその表情は、まだ涙を流し足りない様子だった。
それは母への思慕のみならず、これまでの人生の厳しく悲惨な環境を憂い、洗い流す涙でもあったに違いない。
盗賊にもそれぞれの人生がある。
肩を怒らせながら、美貌の旅人の傍に仁王立ちした首領は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃに顔を光らせた仲間に向きなおって剣を向け、大声を張り上げた。
「お前等、忘れた訳じゃあないだろう?
お前等には、誰もが『当たり前』に
通り過ぎる不運があった。それだけだ!
だがそんな不運から目をそらし、
この世の渡り方を教えたのは誰だ!
お前等はおっかあなどといって、
馬鹿みてえに泣きじゃくっているが、
そのおっかあは、天国からお前等に
何をしてくれた?
家を失い、村からも追い出されたお前等に、
生き方を教えたのは誰だ!
お前等のおっかあか? 誰だ、言ってみろ!」
「お頭です!」
「そうだろう!」
「はいっ!」
「この馬鹿野郎どもが!
お涙頂戴、女々しい辻楽士の歌なんぞに
だまくらかされやがって!」
首領は剣を地面に突き立て、さも忌々し気に、脇に立つ美貌の旅人を睨みつける。
「丸腰のくせに、よくいい気で歌ったもんよ。
お前は確かに、女というか母親の歌で、
この馬鹿共に、おおいにべそをかかせた。
それは認めよう。だがお前は一体何者だ?
世の中広しと言えど、お前ほどふてぶてしい辻楽士は初めてだ」
「それはどうも」
美貌の旅人はリュートで前を隠しつつ涼しい顔をしている。
首領は不満げに鼻をならした。
「だが忘れんなよ。お前の命は俺の機嫌次第、
あと数刻で終わるんだ」
首領はのしのしと、もとの客席に腰かけた。
「そこでだ。こいつらの泣き面に免じて、
もう一曲だけ歌わせてやる。
俺からのお題だ。
お前は俺等の故郷、素性を知った。
今度は、お前自身の故郷と身の上を、
上手に歌で説明してみせろ。
つまらなかったら即、
お前の首は胴から切り離される。
うまくできたら? へへ、いずれにせよ
最期の歌にはいいお題だろう」
周囲から起こる小さな賛成の拍手。
美貌の旅人は首をゆらりと上げ、金色の月を見上げる。
死を覚悟しているのだろうか。そんな表情の様にみえる。
実際、その美貌の裏に隠された本心を推し量ることは難しいのだが、彼の表情をみた者は、その心理をその様に推察した。 だって、そんな場面なのだから。
「皆さんは、いまは流浪の身。
しかしひとたび敵が国境を越えれば、
敵国から我がイルフェリアの大地を守る、
勇敢な戦士達です。
そんな皆さんは知っていますか?
守るべきこの国に眠る、大きな不思議を」
「不思議?」
「はい。例えばこんな物語」
突如つまびかれる、繊細な前奏曲。
旋律は大変美しいが短調でどこか物悲しく、聴く者を不安な気持ちにさせる。
やがて旅人は低い声で、謎に満ちた詩を歌い始めた。
二頭の龍の絡みし果てに
生まれ出たる御子あり
夜影に沁むる黒髪を
まといて闇に消えゆくは
其は闇の太子なり
滴り落つる石榴の露
口に含みし血の色を
両の眼に宿しては
黒き炎とたわむるは
其は闇の太子なり
朽ち果てたる王宮に
女王の嘆きこだませり
望み尽き果て暁に
独り狂いて叫ぶ名は
其は闇の太子なり
しばしの沈黙。 一同、戸惑いを隠せない表情をしている。
首領が口を開いた。
「この国の【闇の太子伝説】の歌だな。
お前等、知ってるか」
「知りません! どんな伝説なんですか」
「全く、馬鹿もん揃いだな。その歌の通りよ。
はるか昔、建国の祖と言われた女王イルフェンに御子が生まれた。
男で、つまり王太子だった。
だがその王太子ってのは、生まれながらにおかしな妖術を使う、化け物だったんだと。
だから王宮の中に閉じ込められていたそうだ。
だけどある日、そいつは脱走して姿を消した。
なんでも部屋に火を放って、王宮の大半を焼き尽くしたとか。
その後女王は気が狂い、国中しらみつぶしに行方を探し回させたそうだ。
だけど、見つけたかと思うと見つからない。
その名の通り、闇から現れ、闇に消える。
それが【闇の太子】と言われる所以だ。
お前らも知っているだろう?
顔に泥を塗る祭日があるのを」
ああ、と男達は皆、うなずき合った。
「それは知ってる。夏の沈黙祭の日だ。
顔だちの良い男はみな、顔に泥を塗って一日家にこもるんでしょ。
でないと魔女に連れ去られるって」
「あはは、俺の村にもありました。
俺なんて毎年、顔から首から全身泥を塗られちまって、へへへ」
「あほか! お前みてえなロバ面は、魔女だって嫌がるぜ」
「うそじゃねえ、本当だってばよお」
げらげらという笑い声が森の中に響いた。
「はっはっは、そのロバ面はいいとして」
首領がまた口を開く。
「男を連れ去ったのは、魔女じゃないんだよ。
女王の軍隊に連れ去られちまったんだと」
一同、ごくりとつばを飲む。
「連れ去られた男はどうなったんだろ」
「殺されたに決まってるだろ。
お目当ての太子はよ、
姿が大層美しく、いつまでたっても歳をとらず、
どんな責め苦でも傷つかず、
血をなめた者は不死になるそうだ。
だから連れ去った者の体でそれを試したんだ」
「ひええ、おっかねえ!
拷問されるなら、絶対!戦で死んだ方がいい。 不細工は得だぜ」
「辻楽士よ、俺の話はあってるかい」
首領はぎろりと、美貌の旅人に目をやる。
「素晴らしい。 民間伝承に残る闇の太子の足跡を、
分かりやすく皆さんに説かれました」
「へっ! 学者のまねごとでもやったようで、嫌な感じだぜ。
ついでに、その歌の意味を聞かせろ。
歌詞ある、黒髪や赤い眼のくだり。
それは闇の太子の体の特徴だろう。
だが始めにある二頭の龍云々は、一体何を意味するんだ」
「二匹の龍は二つの力を意味しているのではと思います。
龍といえば、イルフェリア王国の紋章は青い龍を象っていますが、
地底のクルベルノート族は、赤い龍を紋章に掲げていますが」
「クルベルノート!」
一同、ぎくりと息をのんだ。
「地底に住む黒い一族」
「クルベルノートの連中は、半年前の戦場でちらっとみたぜ。
俺たちの味方だったようだが、あいつらは真っ黒い鎧ですぐ分かる。
めっぽう強いが薄気味悪い連中だ」
クルベルノート族とは、イルフェリア建国以前から存在しているとされる土着の民族である。肌の色は浅黒く、漆黒の髪と瞳、低い身長をもつ。主に国内各地に存在する洞窟を住処とし、地下に巨大な王国を築く。
彼らは鍛冶の術にすぐれ、彼らの作り出す鉄の武器、鉄の鎧は、何らかの施術によって漆黒色を帯び、特別な強度を誇る。
鎧にすれば大概の武器では傷つかず、武器にすればどんな鎧も貫き通す。
戦場おいてクルベルノート族の存在は、敵には脅威以外の何者でもない。
しかし彼らは、彼らが戴く王の命令と一族の掟に従って動き、これまでどんな国が彼らを味方に付けようとしても無駄な努力であった。
加えて彼らの武器の製法を聞き出す為に、彼らの一人を捕らえ尋問し、あるいは彼らの領地へ間者を送り込んでも、全て徒労に終わっている。
その妖しい闇の一族が彼らの意志でイルフェリアの味方をするとは、常識的に考え辛いことであり、何か大きな意味が隠されている事は明白であった。
美貌の旅人は興味深げに眼を細めた。
「あなた方が半年前に参戦した時、
クルベルノートはイルフェリア側についていたのですか?
なぜだろう。 彼らは中立な人種のはず」
「よく分かんねえが、将軍の中にクルベルノート人がいるらしいけどよ」
美貌の旅人の目が、驚いた様に見開かれる。
「皆さんは、その人物をみたことは?」
「あるもんか! 第一味方の鎧を着ていりゃ
地底人かどうかなんてよく分かんねえよ」
「敵味方の区別さえつけばいいんだよ」
突如森の奥から獣の咆哮がきこえこだまする。
一同身構え、きょろきょろと辺りを見渡す。
「狼か、猟犬か? 敵の来訪なら御免だぜ。
兎に角、この国には謎が多い。
闇の太子は今も生きてるのかなあ」
「生きてるもんか! だってお前、
建国から五百年はゆうに経ってんだぜ。
そんなに長く生きてる人間なんて、いやしねえよ」
「でも昔、俺の婆さんにきいた話によると、
婆さんの婆さんが子供の頃、闇の太子騒動が起こって、
国がひっくり返るような大騒ぎになったらしいよ」
「うへえ、そんなら生きてるのかな」
先程の獣の咆哮に加え、複数の馬の蹄の音までが聞こえてくる。
一同腰浮かせて鎧を引き締めた。
「畜生、何か近づいてくる。
麓の城の兵士かもしれねえ。
隠れて様子を見た方がよさそうだ。
よしお前等、たき火を消せ!
それからこいつを木に縛りつけろ!」
美貌の旅人は後ろ手に縛りあげられ、さらに大木にぐるりと縛り付けられた。
一方他の盗賊共は、荷物の袋を馬の背にせっせと乗せている。首領は縛られた詩人にゆっくり近づき、彼の白い喉元に剣先を突きつけた。
「もっと歌わせてやりたかったがな。
お前の歌は、まあ、楽しかった。
要するにお前は、お綺麗な自分を
闇の太子に仕立てたかったんだろう?
お前みてえな色男なら、都の娼館にでも売り飛ばせば高く売れるだろうよ。
だが生憎、俺等は都へゆく予定がないんだ。
余分な荷物は持たない主義でな。
それに麓で俺等の事を言いふらされても困る。
だからそろそろこの辺で、
この世におさらばしようじゃねえか」
旅人は大きな目を見開いて首領の目をじっと見つめた。
間近でその瞳をのぞいた首領は、途端に表情がひきつり、わずか後ろにあとずさった。
「お前!」
美貌の旅人はにっこり笑い、形の良い唇が、なにやら小さく動いた。
すると突然、首領の鎧の隙間という隙間から炎が噴きあがり、一瞬にして体躯が火に包まれた。
「ぎゃああああ!!!」
仰天する仲間の前で、真っ赤な火だるまと化し、叫びながら地面を転げ回る首領。
「お頭、一体なにが起こってんだ!」
賊共は慌てふためきながら右往左往するばかり。火を消す十分な水はない。
燃える火を消す為に枝を折って体に叩き付ける者もいるが、かえって枝に火が燃え移り、慌ててそれを放り投げる始末。一方獣の唸り声と馬蹄の音はますます近づいてくる。
「にげろ、にげろ!」
賊共は燃え焦げる首領を見捨て、荷物を忘れ、暗い夜道へ我先にと駆け出した。
その場で剣を抜いて戦えば獣数匹位は倒せるだろうに、彼等はこの異常な事態に、哀れにも気が動転していた。
間もなく逃げた先から響く、幾つもの耳をつんざく叫び声と金属のぶつかる音。
どうやら逃げる途上で何者かに遭遇し、襲われているらしい。
一方、静まる草むらの舞台。木に縛られた旅人の背後で細く白い煙が立ち上り、身体を縛る縄がどさりと地面に落ちた。 不思議にも縄は焼き切られた。
解放された美貌の旅人は、火のくすぶる首領の亡骸をよけ、盗賊の残した荷物に近づいた。
自分の服らしき荷物を探り当てた時、突然背後に鎧の擦れる音がし、彼は強い力で羽交い締めにされた。
「俺の持ちもんだ! 横取りすんな!」
猫背の盗賊が一人、残っていたのだ。
美貌の旅人は背中から地面に激しく叩き付けられた。
そのまま馬乗りになった猫背は、白く細い首を締め上げる。
抵抗こそすれ、無防備の人間が武装した男に敵うわけがない。
首を締められつつ、彼はつぶやいた。
「そんなので、僕を殺せるの?」
月明かりのもと、二人の視線がひたと重なった。
「僕を殺してよ! 早く!」
猫背は、彼の視線に吸い込まれ、その顔から目をそらせない。
そのままがくがくと、震え怯える猫背。
「お前の目、赤い・・・闇の太子?」
その美貌がわずかに唇を動かすと、猫背の腕にどこからか炎が絡み付き、身体に髪に激しく燃え移りはじめた。
「ぎゃああああ!」
猫背はもがきながら旅人の裸身から離れ、闇雲にその場を駆け回った。
熱と恐怖に叫びながら踊る様に茂みに近づいてゆく。
すると茂みが大きく動き、突然、黒い大きな獣が飛び出し、踊る火男に襲いかかった。
「ハンナ!」
地面に寝そべる旅人が叫んだ。
その黒犬は、体長が人の背丈を超える、大きな獣であった。
犬は火男の喉元に噛み付き、あっけなく地面に押さえつけた。
すぐに火男の動きは止まり、体の火は消えていった。
そこかしこに、人の焦げる嫌な匂いがたちこめている。旅人はゆっくり起きあがったが、今度は犬が嬉しそうにその裸身に飛びついた。
彼はまたもや地面に押し倒され、犬に顔じゅうを舐められている。
「こらハンナ、やめてよ!
挨拶はもういいってば。お前の主人はどこ?」
ほどなく、松明で明るく照らされた山道から、銀色の鎧に身を包んだ騎士が姿を現した。
立派な毛艶の白馬に跨っている。武装した二人の騎士を供に従え、さらに後方には十人程度の部隊が控えている。
中心の騎士が馬上で兜を脱いだ。波打つ豊かな白髪に立派な口ひげを持つ、眼光鋭い初老の騎士。
騎士は馬上から、深みと威厳のあるバリトンの声を響かせた。
「ツェフィールよ!
待たせたな、会いたかったぞ!」
「ギディオン! ギディオンかい!
五月の、僕らの満月の夜がやって来たよ!
約束通り、ここでちゃんと待っていたんだから!」
「うむ。だが呆れたな、お前はまた裸でいるのか。
前に再会した時も裸だったのだぞ。
お前はそんなに服が嫌いか?」
「違うよ。みんな、僕に興味があるだけさ」
美貌の旅人・ツェフィールのくったくない無邪気な言葉は、馬上に向かって明るく弾んでいる。
騎士ギディオンは辺りを見回し、ふたつの死体を一瞥するなり眉をひそめる。
「やれやれ、また人を燃やしたのか。
山火事が起きたらどうするのだ。
お前が直ちに天空から雨でも降らせて、その火を消してくれるなら話は別だが」
ぺろりと舌をだしてみせるツェフィール。
「わしの領地で死者がでるのは嫌なことだが、
先程出会いがしらで処分した
盗賊の一味に相違ないであろう」
ギディオンは速やかに背後の部下に命じた。
「ハインツ、ヨハネス、日が高くなる前に、全ての死体を片付けよ」
「かしこまりました」
二人の騎士は頭をさげた。
「兎に角、つもる話は城で聞こう。
さ、はやく後ろに乗ってくれ」
「待ってよ、今何かを着るからさ」
ツェフィールが再び盗賊の袋をあさると、初めに着ていた洋服一式とマントがでてきた。
すばやくそれらを身にまとった彼は、リュートを従者にあずけ、ひらりと馬の鞍に乗ると、ギディオンの胴鎧に腕をまわした。鞭の音と共に山を下り始める騎士の一行。
ツェフィールは背後の焚火跡を振り返った。
「馬鹿だね・・・僕に構わなければ、
おっかあと暮らした故郷にも帰れただろうに」
「おっかあ?」
「ううん、何でもない。気にしないで」
日はまだ昇らぬ。夜空の月は健在であった。
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