幽谷りりすは、馴染めてない
『なんで、私を買ったんですか?』
幽谷りりすは、車を運転する呉白蘭に聞いた。
運転免許を取得して日が経って居ない呉白蘭は運転に集中しながら彼女の質問に答える。
『実を言うと、君を買ったのは、齢が近かったから』
その言葉を聞いて、幽谷りりすは驚きの表情を浮かべた。
当時の彼女は十六歳である、彼女と呉白蘭が齢が近いのだと思ったからだ。
『え?……運転して大丈夫、ですか?』
素で言う幽谷りりす。
『私じゃないわ、私の下で働いてる子と、年齢が一緒って言ったの』
幽谷りりす以外にも、別に社員が居るのだと告げる。
その社員の為に、幽谷りりすを買ったと言ったのだ。
『昔から、酷い事をされててね……一人で居るのが好きなの、学校に通わせても、全然、友達も出来ないし……人間らしい事を、させたいのよね』
だから、幽谷りりすを選んだのだと、呉白蘭は車を駐車して言う。
『勿論、君は私が買ったから、その分働いて貰うわ、自由になりたかったら、君を買った値段……そうね、利子も含めて七十億、それくらいの働きをしてくれたら、自由にしてあげる』
途方も無い値段だ。
正規の働き方では、返済するのは難しいだろう。
『だから、君が借金を返すまで、私は貴方を守る義務があるの』
『私を……守る?』
幽谷りりすにとって、初めての言葉だった。
『ええ、今は、ちゃんと仕事が熟せないでしょうけど、さっき言った、あの子を付けてあげる、暫くは二人一組で頑張りなさい』
回顧屋へと到着した呉白蘭は、後部座席に顔を向けて、懐に忍ばせたものを授ける。
『先ずは、君の呪いを何とかしないといけないわね、これは入社祝い……使いこなせれば、君の力も多少は弱まると思うわ』
その言葉として渡されたペンダント。
肉体を霊体化する事が出来るその呪いのアイテム。
異性を魅了させてしまうフェロモンを醸し出す彼女の肉体を薄れさせる事で、効力を弱めようと考えて、彼女に渡したのだった。
『……私に、出来る、のかな』
期待されている。
期待に応えなければならない。
けれど、彼女の人生は蔑まれたものばかり。
自分に自信が持てない彼女に、呉白蘭は告げる。
『行動に疑問を持っては駄目よ、もっと自信を持ちなさい、そうねえ……少なくとも君は可愛いのだから、笑顔を振りまいて、私ってこんなに可愛いのに、ああ、なんて不幸なんだ、って思うくらいになれたら、幽谷りりすは幸せになれるわ』
そのアドバイスは、今の彼女にとっては重たいものだった。
『ん、なに?』
幽谷りりすが竜ヶ峰リゥユと初めて出会った時。
其処には、ナラカへ単独で仕事をしていた竜ヶ峰リゥユの帰還した姿であった。
大量の血痕を付着させ、自分のものか、他人のものか分からない姿で現れた竜ヶ峰リゥユの姿を見て、彼女は思わず卒倒してしまう。
次に目を覚ました時、彼女はベッドの上で眠っていた。
『大丈夫?』
近くには呉白蘭。
そして、部屋の扉の前に立ち尽くす、竜ヶ峰リゥユの姿。
『ねえ、ババア、この子、使えるの?』
うんざりとした様子で、呉白蘭をババア呼ばわりする竜ヶ峰リゥユに驚き、呉白蘭は笑みを浮かべる表情を崩さずに、竜ヶ峰リゥユの頭を拳骨で殴る。
『リゥユ、この子の名前は、りりす、貴方の後輩になる子よ』
その様に説明して、竜ヶ峰リゥユは殴られた頭を抑えながら言った。
『……必要ない、どうせ、嶺玄みたいにいなくなるんでしょ?』
最早、その場に居なかった男の名前を口にする。
『私が独立する前に、本当はもう一人、この店で働く事になった奴が居たんだけど……他の店にスカウトされたみたいでね、拗ねてるのよ、リゥユったら』
その様な説明を行う。
呉白蘭は、耳元で幽谷りりすに耳打ちした。
『だから……出来れば仲良くしてあげて、あの子はずっと、誰かに裏切られて生きて来た子なの』
少しでも、優しさを与えて欲しい。
幽谷りりすは、それが自分の役目なら、と。
『……ごめんなさい、私なんかじゃ、この子の友達なんて、なれるわけ、ないです』
幽谷りりすの目には、竜ヶ峰リゥユは立派に映った。
ずっと裏切られて来た、それでも、めげずに成長している様に見えた。
自分にはそれが出来ない、自分よりも上等な存在が、同じ立場になれる筈がない。
自己肯定感の低い幽谷りりすに対して、竜ヶ峰リゥユは近づいて、彼女の頭を掴んだ。
『何それ、あたしと、友達になりたくないってこと?』
そう言われて、幽谷りりすは必死になって首を左右に振った。
『違う、違うの、私なんかじゃ、あなたみたいな素敵な人の隣に、立つ資格なんてない』
その言葉を受けて、多少気が良くしたのか、竜ヶ峰リゥユは自分を褒めてくれた人間の顔を見るのが出来ず、そっぽを向いてしまう。
『……別に、素敵じゃないけど……友達になりたい、って言うのなら、なってあげても良い、ケド』
髪の毛を弄りながら、全然気にしてない素振りをする竜ヶ峰リゥユだったが、呉白蘭は安心した様に息を吐く。
こんなにも早く、打ち解けてくれるとは思って無かったからだ。
『あら、照れてるの?リゥユ、子供らしいとこ、あるのね』
『は?全然違うんですけど、勝手な事言わないでババア』
直後、割と本気の平手打ちが竜ヶ峰リゥユの頬を叩いた。
少しずつ、幽谷りりすは前を向いて来れた。
それでも全ての闇を取り払うには、より多くの不安がつき纏っていた。
『なんで同じ学校にしないの?』
竜ヶ峰リゥユと共に活動する事になって三ヵ月。
彼女は何気ない言葉に、幽谷りりすは言葉を詰まらせた。
『あ……えぇと』
竜ヶ峰リゥユが通う学校は
そして幽谷りりすの学校は、
神房学園よりも、天照女学院の方が遠く、通学にも不便。
何よりも、親友とも呼べる幽谷りりすに依存しつつある竜ヶ峰リゥユは、共に学び舎を一緒にしたいと思っていた。
『リゥユ、我儘言わないの、りりすは女学院の方が安全なんだから』
そんな竜ヶ峰リゥユに対し、風呂上りでTシャツを着ながら話に参加する呉白蘭が助け舟を出す。
幽谷りりすの禍憑は、異性を惹き付ける匂いと、異性を惑わす天性の肉体を持つ禍憑である。
普通の男性が居る場所を歩けば、多くの男性の視線を受ける事もあり、最悪、手を出される可能性もある為に、女性の多い女学院へと転入したのだ。
事情を知った竜ヶ峰リゥユは口を尖らせて、牛乳を直で一気飲みする呉白蘭に不満をぶちまける。
『ババア、早く呪いを完全に封印する奴、見つけて来てよ』
風呂上りの一杯を飲み干した呉白蘭は、ババアと言った竜ヶ峰リゥユの額にデコピンをしながら言った。
『カタログとか見ても、丁度良いものないのよねぇ……〈
と。
幽谷りりすの望む、完全に呪いを除去出来る禍遺物は見つからなかった。
『それに〈ニライカナイ〉を使いこなせたら、ある程度、呪いの効果を抑える事も出来るんだけど……』
肉体を霊体化させる〈ニライカナイ〉。
部分的に霊体化を使えば、呪いの根源たる肉体や体臭を薄まらせ、禍憑の効力を弱まらせる事が出来ると考えていたのだが。
『ごめん、なさい、まだ……完全に使いこなせなくて……』
幽谷りりすは、竜ヶ峰リゥユと共にナラカへと入った。
だが、ナラカは壮絶な場所であり、幽谷りりすは恐怖し、自分の力を発揮する事が出来なかった。
『いいよ別に、リリスが居るなら、あたしはそれで充分だから』
その様に甘い言葉を口にする竜ヶ峰リゥユに、何度幽谷りりすは救われた事であろうか。
『あのね……』
自分の、心からの言葉。
本心を告げようとした、だが。
『ん?』
最後には、幽谷りりすは首を左右に振った。
『なんでも……なんでもないよ』
幽谷りりすは、話し出す事が出来なかった。
『……私ね、学校で、馴染めてないんだ』
その一言を口に出す事が、どうしても出来なかった。
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