昼休みにはホットケーキを

祐里

1. 懐かしくて甘い匂い


「んー、やっぱ瑠奈るな、Bコースがいいな」

「……え、でもさっき、Aで決定って……」

「ごめーん、水野みずのさん。ダメかなー?」

「先生に『コース決まりましたー』って言うまではダメじゃないっしょ」

「じゃ、うちの班はBコースにしよっか」

「ただの課外授業だもんね? 二年生になってもあるんだし、いーよね?」

「……うん……」


 私が提案したAコースに、みんな賛同してくれたと思っていた。こんなに簡単に翻るなんて。悪かったなんて思っていなさそうな明るい笑顔が、私の心をギリッと締め付けた。


 ◇


 いつもお昼は食べないから、教室にいても意味がない。人が少なそうな場所を探して校舎内をふらふらと歩く。少し休める場所があったら……でも、そう上手くはいかないだろうな、とも考える。


『うちの高校、古いから壁がくすんでるなぁ』

『寒くなったら体育はマラソンになるのかなぁ』


 自分の心を見ないように、全然関係ないことも考えようとする。そうして曲がり角を過ぎた瞬間、ふわりと懐かしい匂いが鼻をくすぐった。バターとミルクが混ざったような、甘い匂い。私は家庭科室の前で足を止めた。


 扉の小さな窓から覗くと、エプロン姿の男子がフライパンに向かっている。睨みつけられているのは、白っぽくて丸い生地。パンケーキだ。


「……あれ……?」


 私の姿を見てフライ返しを持ったまま扉を開けた男子は、同じクラスの町田まちだくんだった。パンケーキばかり見ていて気付かなかった。体が大きくて筋肉もりもりで、目立つのに。席が隣同士になったことがある、表情豊かな男子。今も驚いた顔をしている。


「水野さん、大丈夫……? あ、ここに忘れ物でもした?」

「う、ううん、そうじゃなくて……」

「ああ、ごめん、ホットケーキひっくり返さないと」


「おいでよ」と私に手招きして、町田くんはフライパンの前に戻った。他にも先生一人と男子三人がいて、「うわ、焦げた」「そんくらい平気だろ」という楽しそうな声が聞こえる。


 家庭科室の扉を入り、中を見渡す。先生や他の男子たちはぺこりと会釈した私に軽く「いらっしゃい」と一言くれただけ。そのそっけなさが何故だか心地好い。


「俺の、もうすぐ焼けるんだ。水野さんも一緒に食べよう」


 お腹はすいていない。でも、食べてみたい。そんな気持ちが頭をもたげてくる。


「……いいの?」

「そこ座ってて」


 町田くんはにこっと笑った。でもフライパンに視線が移ると、途端に真剣な表情になる。それから彼は慣れた手つきで二枚焼いていたけれど、その間、他の男子と先生は「また焦げた!」「ミヤ先、料理向いてないな」「仮にも化学の教師だろー?」なんて笑いながら会話をしていた。


「はい、できたよ。食べて」

「あ、ありがとう……。本当にいいの?」

「冷めないうちにどうぞ。あ、先に手洗う方がいいか」


 別の調理台から少し焦げた匂いが漂ってくる中、大きな手で差し出された白いお皿には、薄いパンケーキが二枚重なっている。私はブレザーのポケットに入っていたヘアゴムで長い髪をくくってから、手を洗わせてもらった。


「いただきます」


 蜂蜜もそばに置いてあるけれど、何もかけず、ふわふわのきつね色をフォークで一口の大きさに切って口へ運ぶ。温かくて、とてもいい匂い。舌に乗せると優しい甘さを感じる。


 ふと思い出す、子供の頃におじいちゃんが焼いてくれた、ちょっと固めのパンケーキ。「あんこを挟んだら、大きいどら焼きね」と言う、おばあちゃんの笑顔も。そうだ、廊下で私を誘ったのは、あの時と同じ匂いだった。


「……おいしい」


 気付くと私は、泣きながら夢中でパンケーキを頬張っていた。


 ◇


「ほんとに、ごめんなさい……泣いたりして……」

「そんなに気にすんなって。誰だって泣きたくなることくらいあるよ」


 町田くんは私に優しい言葉をかけながら調理器具を手に取る。そんな様子をぼんやりと見ていると、隣の椅子に先生が座った。


「あ、宮良みやら先生……、お邪魔してます」

「おう。水野、よかったな。町田のは当たりだぞ」


 声を掛けられ、「当たり、ですか」と返す。


「俺ら、料理好きだけどできない部だから」

「できないぶ?」

「料理好きだけどできない部、じゃねえや、まだ同好会だった。まあとにかく、俺を含めて料理は好きだが上手くできねえって男どもが集まってんだよ。その中で町田は一番できるヤツなんだ」

「そうなんですか。初心者でも入りやすそうですね」

「だろ? ま、男子だけだが。本当は女人禁制でな」

「えっ、ご、ごめんなさい!」


「先生……、いいじゃないですか、食べてもらうくらい。俺たちもうホットケーキ食べ飽きてるんですよ」


 私が慌てて席を立ったら、洗い物を終えた町田くんが間に入ってくれた。先生が「厳しくするつもりはねえけどな」と笑っているのを見て、お尻を椅子に戻す。


「水野さん、また食べに来てよ。あいつら『次は絶対ホットケーキ成功させる』って意気込んでるみたいだからさ。三日後の木曜日なんだけど、いいかな?」

「あ……、私で、よければ……」

「そう? よかった。もう片付け終わったからさ、教室、一緒に行こう」


 町田くんの言葉に素直に「うん」と言えたのがうれしくて、ほんの少し、今日が好きになれた。

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