天才 ヴァージル・クラウズ
朝。寮の部屋に、控えめな鐘の音が響いた。
僕はベッドの上で目を覚まし、ぼんやりと天井を見上げる。
いつもなら、朝日は村の小さな窓から差し込むくらいだった。
でも今は、広い寮の窓から、王都ルミナラの青空が覗いている。
ここが僕の新しい世界。
アカデミア・ルミナリスでの、最初の朝だった。
「……はぁ、緊張するな」
呟きながら起き上がると、向かいのベッドではヴァージルが寝ぼけた顔でこちらを見ていた。
「おはよう。早いね、キリヌス」
「ヴァージルも」
彼はあくび混じりに片手をひらひらと振った。
「式、今日だろ? あんまりガチガチになってると、余計疲れるよ」
「うん……でも、やっぱり緊張するよ」
制服に着替えながら答えると、ヴァージルはまた小さく笑った。
「気楽にいこう。どうせまだ始まったばっかだし。」
彼のその無造作な態度に、少しだけ気持ちが軽くなる。
こんなふうに力を抜けるのも、きっと才能のひとつなんだろうな、と僕は思った。
寮から講堂までは、整えられた石畳の小道を歩いて五分ほどだった。
道の脇には、手入れの行き届いた花壇や噴水が並び、時折、空中に小さな光の粒が舞っている。
それが、空気中に漂うマナだと、昨日教わった。
(本当に、魔法が身近な世界なんだな……)
僕は小さな感動を胸に抱きながら、講堂の入り口へ向かった。
講堂には、すでに新入生たちが集まっていた。
席はクラスごとに指定されているらしく、僕は案内された通りに「高等科一年四組」の列に並んだ。
周囲を見渡すと、まだ顔を知らない同級生たちが、みな緊張した面持ちで座っていた。
ヴァージルは少し離れた「一年一組」にいたけれど、どこか気だるそうに席に座り、ぼんやり天井を見上げている。
(一組、特進クラスだ.....やっぱりすごいな……)
彼は、きっと初めから"特別"なんだろう。
それでも、同じ一年生。僕も僕なりに、ここで頑張らないといけない。
そんなふうに気を引き締めたところで、壇上の鐘が厳かに鳴り響いた。
場内のざわめきがすっと静まる。
そして──
壇上に現れたのは、昨日見たあの人物だった。
カシウス・ノルヴァン校長。
銀髪の老紳士は、静かに歩み寄ると、演壇の前に立った。
その姿には、威圧感はない。けれど、自然と背筋を伸ばさせるような、凛とした気配をまとっていた。
「新入生諸君──」
校長の第一声は、昨日と同じく、静かで力強かった。
「改めて、君たちを歓迎する。ここ、アカデミア・ルミナリスは、魔法を学び、己を磨く場だ」
講堂中が、しんと静まり返る。
校長はゆっくりと周囲を見渡しながら、言葉を続けた。
「魔法とは、ただの力ではない。
それは、己を映す鏡だ。
心を磨けば、魔法もまた磨かれる。
心が濁れば、魔法もまた濁る」
その一言一言が、僕の胸に重く落ちた。
「君たちは今日、門をくぐった。
これから、数えきれぬ試練と向き合うだろう。
だが、恐れるな。
失敗を恐れず、挑み続けよ。
それこそが、この学び舎の、真の誇りである」
──失敗を、恐れるな。
その言葉に、胸が熱くなるのを感じた。
僕は、この世界で、何度でも挑戦していいんだ。
たとえ不器用でも、たとえうまくいかなくても。
(……頑張ろう)
心の中で、そっと拳を握った。
校長のスピーチが終わると、続いて教務主任らしき中年男性が壇上に立ち、学園生活に関する具体的な説明が始まった。
今年度のカリキュラムについて
各専門コースへの選択方法
魔法適性検査の実施
寮生活での注意事項
どれも重要な内容だったが、僕はつい、隣の席のクラスメイトたちの様子が気になってしまった。
ちらりと隣を見ると、鋭い目つきの少年が、真剣な顔でメモを取っていた。
前の席では、茶髪の明るそうな少年が、ちょっと退屈そうに体を揺らしている。
この中に、これから仲良くなる仲間もいるのかもしれない。
(どんな出会いが待ってるんだろう)
僕は、ほんの少しだけ、わくわくした気持ちになった。
教務主任による説明は、さらに続いた。
「本日午後には、君たち新入生全員に、魔法適性検査を受けてもらう。
これは、君たち一人ひとりの才能と特性を測るためのものだ。成績には直結しないが、進路指導やクラス分けに反映される。心して挑むように」
──魔法適性検査。
その言葉に、講堂の空気がぴんと張りつめた気がした。
僕自身も、喉の奥がきゅっと縮まるような感覚に襲われた。
(……適性検査か)
不安だった。
僕は、村で魔法の基礎を少し学んだ程度だ。
契約魔法はほとんど成功したことがない。
唯一、マナ操作だけは、人よりほんの少しだけ得意かもしれないけれど──
(ここには、すごい奴らがたくさんいるんだ)
昨日も、ルミナラの街で、それを痛感した。
魔法を、当たり前のように使いこなす人々。
寒いと言いながら現象魔法で起こした火を 囲む人たち。
子どもですら、生成魔法を自在に操り水鉄砲で遊んでいたり。
その中で、僕は──どこまでやれるんだろう。
平静なんて装えるわけがない。
知らず、制服の袖をぎゅっと握りしめていた。
説明会が終わると、解散の指示が出た。
新入生たちは三々五々、寮へ戻ったり、敷地内を散策したりしている。
僕も、講堂を出て、広い中庭を歩いた。
春の光が柔らかく降り注ぎ、芝生の上にはマナの粒がきらきらと舞っていた。
「キリヌス」
後ろから呼びかけられて振り向くと、ヴァージルが手を振っていた。
「散歩?」
「うん。ちょっと、気持ちを落ち着かせたくて」
僕が答えると、ヴァージルはにやっと笑った。
「へぇ。
真面目だね、君は」
「そんなことないよ。……緊張してるだけ」
正直に答えると、ヴァージルはふわりと肩をすくめた。
「緊張してるなら、歩こう。
ここ、結構いいスポットあるんだ」
「いいスポット?」
「うん、俺が昨日見つけた」
彼はそう言って、僕を手招きした。
ヴァージルに連れられて、僕たちは学園の裏手に回った。
広大な敷地の奥、人気のない林を抜けた先──
そこには、小さな丘と、一本の大きな木があった。
「ここ、寮の裏。静かでいいんだ。」
ヴァージルはそう言って、木の根元に腰を下ろした。
僕も隣に座り、空を見上げる。
青い空。
ゆっくりと流れる雲。
遠くから聞こえる鐘の音。
不思議と、胸に溜まっていた緊張がほどけていく気がした。
しばらく無言で過ごしたあと、ヴァージルがぽつりと言った。
「いいだろ」
「うん」
「……なんか、こう、広いだろ。空も、風も、全部」
彼の声は、どこか遠くを見ているようだった。
「俺、こういうとこ好きなんだよな。
誰の声も聞こえなくて、世界とだけつながってるみたいな」
世界とだけ──つながる。
その言葉に、僕は胸を打たれた。
(僕も……そんなふうに、なれるかな)
目を閉じる。
風が、マナが、僕の肌をなでていく。
この世界のすべてが、ここにある気がした。
「なあ、キリヌス」
ヴァージルが、ふいに言った。
「何になりたいとかあるの?」
「……何になりたい、か」
僕は、自分の手を見つめた。
小さな手。まだ何もつかめない手。
「……まだ、わからない」
正直な答えだった。
「でも……胸をはってこれが僕だって言えるような自信が欲しい。
ここで、自分だけのなにかを手に入れたいんだ......」
「ごめん、自分でも何言ってるかよくわからないや、忘れて!!」
ふわふわと口から出た言葉を焦って取り消そうとする。
恥ずかしい、なりたいものすら満足に言えない自分に嫌気がさす。
僕の言葉に、ヴァージルはしばらく黙っていた。
そして、ふっと、穏やかに笑った。
「そっか。
──いいんじゃない。」
その笑顔に、胸の奥が少しだけ温かくなった。
こうして、僕たちの学園生活の一日目は、静かに過ぎていった。
午後には、いよいよ魔法適性検査が待っている。
不安もある。でも、それ以上に──
(僕は、この場所で、変わりたい。)
小さく深呼吸をして、澄んだ空を見上げる。
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