魔法適性検査

午後。

 魔法適性検査まで少し時間がある。

 僕たちはいったん寮に戻ることになった。

 寮の廊下を歩きながら、僕は小さく息を吐いた。

(……大丈夫。きっと、なんとかなる)

 不安を振り払うように、拳をぎゅっと握る。

 ヴァージルは隣で手を後ろに組み、のんびりと歩いていた。

「焦ったって意味ないよ。

 今更どうなるものじゃない。」

 彼は空を見上げるように言った。

僕の表情が強張るのを感じたのか、取り繕うように言った。

「君は君のペースでゆっくりやればいい」

「……うん」

 気休めかもしれない。

 でも、彼なりの気遣いを感じれた気がして嬉しくなった。


 301号室に戻ると、朝のバタバタが嘘のように、部屋は静かだった。

 カーテンを通して入ってくる光が柔らかく、床に優しい影を落としている。

 荷物の整理も、ほとんど終わっていた。

「さて、と」

 ヴァージルがベッドに腰を下ろし、靴を脱ぎながら言った。

「俺、ちょっと寝る。

 検査の時間になったら起こして。」

「うん、わかった」

 ヴァージルはそのまま、何のためらいもなく布団に潜り込んだ。

 眠る前に、小さく一言。

「キリヌス」

「なに?」

「……力抜きなよ」

 それだけ言って、彼は目を閉じた。


 僕は、窓際の机に腰を下ろした。

 目の前には、ルミナラの街が広がっている。

 馬車が行き交い、人々が歩き、

 その間を、魔法の光がふわふわと飛んでいる。

(この街で──僕は、どんなふうに成長できるんだろう)

 机に置いた紙に、無意識にペンを走らせる。

 ──目標を立ててみる。

【目標】

・毎日、マナ操作の訓練をする。

・契約魔法を、最低でも一つ成功させる。

・焦らず、諦めず、続ける。


 書き終えた紙を見つめて、小さく笑った。

 たぶん、誰に見せるわけでもない。

 でも、こうして文字にしてみると、少しだけ勇気が湧いた。


 ふと、部屋のドアの向こうから、ざわざわとした声が聞こえた。

「ねえ、聞いた? 今年の新入生、すごいのいるって!」

「うん、なんか……一年で、幻影作れるやつがいるとか」

 興味をひかれて、そっと耳をすませる。

(幻影……?)

 契約による現象魔法の類だろうか。

 マナ操作のみで幻影を作り出すだなんて不可能だろう。

契約のできない僕とはほど遠い話だ。

(すごい新入生ねぇ......彼のことだったり...)

 ちらりとベッドに目をやる。

 彼は、変わらず、穏やかに眠っていた。

(……緊張とかとは無縁なんだろうな)


醜い嫉妬が一瞬頭を通り過ぎた。

 同じ部屋にいることが、少し不思議に思えた。

 でも同時に、胸の奥で小さな火が灯る。

(僕も……僕なりに、頑張ろう)


 夕方。

 静かだった寮内が、再びざわつき始めた。

 適性検査の集合時間が近づいている。

「……ん」

 ヴァージルが目を覚ました。

 僕が声をかけるより先に、彼はあくびをかみ殺して立ち上がった。

「行こうか、キリヌス」

「うん!」

 少しだけ、声に力を込めた。虚勢かもしれない。

 ヴァージルは、そんな僕を見て、口元だけで笑った。


 外に出ると、空は夕焼けに染まりかけていた。

 赤く、そして、どこか寂しげな光が、学園全体を包んでいる。

 その下を、僕たちは並んで歩く。

 これから、魔法適性検査。

 自分の力を試される。


 朱に染まった空の下、僕たち新入生は、学園裏手の訓練場へ集められていた。

 広大な石畳の広場。

 周囲をぐるりと囲むように、魔法障壁が展開されている。

 訓練場中央には、教師たちが整然と並び、鋭い眼差しでこちらを見ていた。

「これより、新入生の魔法適性検査を始める」

 主任教師の号令が、ぴんと張り詰めた空気をさらに引き締める。


「まず、これを」

 係員が僕たち一人一人に、一本ずつ、簡素な杖を配っていった。

 美しい装飾もなければ、材質にも特別な力は込められていない。

 ただ、マナが即身結界を超えることを可能にするだけの、ごく普通の杖。

 ──つまり、個人の実力だけが試される、ということだ。

(……緊張するな)

 僕は手渡された杖をそっと握った。

 表面は滑らかで、温もりも冷たさもない。

 隣では、ヴァージルが何気ない顔で杖を受け取っている。

 その自然体な様子に、僕らの差を実感する。


「これから、順番に課題をこなしてもらう」

 主任教師が、試験内容を簡単に説明した。

■ マナ放出量テスト

■ マナ制御力テスト

■ 天恵陣の発動確認

■ 契約魔法の初歩発動試験

 一つ一つが、今の僕にとっては大きな壁に思えた。

「では、番号順に」

 試験が始まった。


 順番を待ちながら、僕は静かに呼吸を整えた。

(大丈夫。焦るな。自分の力を出しきるだけだ)

 そう言い聞かせても、心臓の鼓動は速くなるばかりだった。


「次、キリヌス・アリオス」

 呼ばれた。

 深呼吸を一つして、僕は訓練場の中央に歩み出た。

 教師たちの視線が、無言の重圧となって背中にのしかかる。

 新入生たちの好奇心に満ちた視線も痛かった。


「まずは、マナ放出」

 指示に従い、僕は杖を握り、マナを集中させた。

(いつも通りだ……いつも通り……)

 胸の奥から、ゆっくりとマナを引き出す。

 体の内から、杖へと流し込む。マナが即身結界を超え、体外へと放出される。

 ──ぶわり。

 杖の先端から、柔らかな光が溢れた。

 訓練場の空気が、ほのかに震える。

「……ふむ。悪くない」

 教師の一人が呟いた。

 マナ放出量は、標準より少し上。

 僕は、密かに胸を撫で下ろした。


「次、制御テスト。光点を一点に留めよ」

 難易度がぐっと上がる。

 マナの暴走を抑え、極めて小さな光点を作り出す訓練。

 集中する。

 杖の先に意識を注ぎ、マナの高速振動により光を作る。そして、収束させる。

 ──ぴたり。

 小さな光点が、空中に留まった。

「……なかなかだな」

 今度は、別の教師が小さく頷いた。

 胸の内に、ほんの少しだけ自信が芽生えた。


「では、天恵陣を発動してみろ」

 ──その声に、僕は、心臓を強く打たれた気がした。

(天恵陣……暴走……)

 自分の天恵陣暴走

 それは、普通とは少し違う力だ。

 視界に捉えた自身のマナを、暴走させ、爆発的に増幅させる。

 しかし、まだ使い慣れていない。

 制御を誤れば──

(……やるしかない)

 覚悟を決め、術式を思い浮かべる。

「《暴走》」

 小さな呟きと共に、術式を展開した。


 次の瞬間、杖の先から溢れていたマナが、突然膨張した。

 ぶわあああっ!!

 暴力的なエネルギーの渦が、訓練場の空気を震わせる。

「──!」

 咄嗟に、教師が手をかざした。

 透明な魔力の盾が展開され、暴走するマナを押し留める。

 もし、盾がなければ──

 僕自身が、巻き込まれていたかもしれない。

 訓練場に、冷たい沈黙が落ちた。


 ぽつり、誰かが笑った。

「なに、あれ……」

 ざわざわと、嘲笑が広がる。

「制御もできないくせに……」

「危なすぎるだろ」

 背中に突き刺さる、冷たい視線。

 僕は、俯くしかなかった。


「……天恵陣の性能自体は、悪くない」

 教師の一人が、硬い声で言った。

「だが、制御が未熟すぎる。今後、特別指導対象だな」

 ──恥ずかしさで、顔が焼けそうだった。

 杖を、力なく返す。

(……また、失敗した)

 せっかく少し芽生えた自信が、

 一瞬で音を立てて崩れ落ちた。


「次、契約魔法の初歩発動試験」

 続く試験は──さらに、僕を打ちのめした。


 簡単な物質生成の術式。

 模範例に従って、杖を振る。

 ──しかし、何も起きない。

 もう一度。

 慎重に、慎重に。

 ──何も、起きない。

(……なんで)

 何度試しても、契約は成立しなかった。


 結果──

「キリヌス・アリオス、契約魔法発動、不可」

 その無慈悲な宣告を受け、僕は、静かに席に戻った。


(……僕は、ダメなのか)

 重く沈む心を抱えながら、俯いたそのときだった。


「次、ヴァージル・クラウズ」

 名前を呼ばれた彼は、面倒くさそうに立ち上がり、杖を持って中央に進んだ。


 ヴァージルは、何の気負いもなく、

 ふわりと杖を構えた。

「じゃ、始めるよ」

 彼のマナが、杖を通して放たれる。

 ──次の瞬間。

 空中に、完璧な幻影が浮かび上がった。


 それは、石像のような静かなオブジェだった。

 しかし、細部の彫刻、光の反射までもが見事に再現されていた。

 直接、空中に形を結んだ幻影。

(……そんなこと、できるのか)

 僕は、ただ息を呑んだ。


 教師たちも、静かにざわめいた。

「幻影……静物とはいえ、これは……」

「ここまで精緻に……?」

「天恵陣の完成度も、高い」


 ヴァージルは、それを"当然のこと"のように受け止め、

 面倒くさそうに杖を返して歩き出した。

 ちらりと僕を見ることもなく、

 ただ、静かに席に戻っていく。


(……やっぱり、違うんだ)

 世界が違う。

 才能も、センスも、何もかも。

 心の奥で、どうしようもない劣等感が渦巻いた。


 夕陽は、訓練場の上で赤く燃えていた。

 その下で、僕はただ、静かに立ち尽くしていた。

(僕は──どうすれば、いいんだろう)

 まだ、何一つ、答えは見えなかった。


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