かこ

 生き苦しい。

 苦しかった。死んでしまいたかった。


 俺は、昔から忘れっぽい。

 人の名前を覚えるのも、人の顔を覚えるのも、苦手だ。


 テストの単語は覚えられる。

 勉強に関しては、人並みに覚えは、人並みに忘れたり。

 なんの問題もない。


 けれど、自分のことについて、忘れてしまう。

 過去について忘れてしまう。

 数ヶ月前に送っていたはずの中学生活だって、もう朧げだ。


 友人はいたっけ?

 俺は学校で、どんな立ち位置にいた?

 どんな生活を送って、どんなことをしていたのか。

 思い出せない。


 思い出そうとすると、頭がうまく働かない。何か、いけないことのような気がして、思い出すのが拒まれる。

 春休み中にそんなことになってしまった。

 良かったことのは中学校が同じ人は片手で数えられるくらいしかいない。


 ということだ。


 高校生になって一ヶ月たたない頃、そんなことを両親に話した。

 翌日、病院へ連れて行かれた。


 なんかの障害だ、と言われて。


 それに、ひどく、心が傷ついた気がした。

 俺はおかしくなんかない。

 障害なんてない。

 何も、変じゃない。俺を、そんな目でいないでほしい。

 何かが、体の奥から込み上げてきた。それは、精神的苦痛、というものらしかった。

 それはなんだか、胸の辺りがムカムカして、喉元になんかが込み上げてくる、不快で不愉快で、そんなもの、消えさてしまえ、と、思う。


 俺が忘れっぽいのは、なんらかのトラウマから引き起こされるものらしい。

 日常生活に支障が出る前に来くれて良かったと、愛想笑いを貼り付けた医師は、言った。

 トラウマと言われても…、それさえ思い出せないのに、どう対処すればいい?

 医師せんせいは、経過観察と言って、両親と俺を家に帰した。


 両親は、俺のことを心配した。

 それは、一般的な優しさで、お人良しな母の心配する思いと、正直ものの父が本心で俺を大切に思うような言葉だった。

 ただ、その優しさが、異常者を慰めるような言葉だったのが、不快で不快で、苦しくて仕方がなかった。

 苦しくて、苦しくて仕方がなかった。


 両親を悲しませるのなら。苦しませるのなら。

 俺が、消えて仕舞えば良かったのに。




 どうして

 生きてるんだと思う?



 俺が病院に連れて行かれた同時期、好きな人ができた。


 ひいらぎ 蒼空そら


 日本人なのに、名前に合うような空色の瞳の美少女だった。

 入学式、隣の席だった。どこか、寂しそうな瞳をしていた。

 綺麗だとおもた。…それ以来、クラスが同じだとしても、これと言って縁はなかった。


 席替えのおかげで、隣の席になって、授業中話す機会が増えた。

 友人として、話すことも多くなった。一度、学校帰りにカフェでおしゃべりをした。帰る方向が同じだったから。

 美少女で文武両道。話す言葉や仕草は、隅から隅まで容姿にハマるように美少女なんだから、惹かれないわけがなかった。

 初めて見た時から恋の感情だということに気づかず一ヶ月弱たっていて、席替えで隣になってから、意識し始めた。


 それと、高校生活初日に、俺には友人ができていた。

 名前は椿。

 花の名前で、春の季語。

 と、本人に教えてもらった。

 椿とは趣味があって、よく話したり、移動教室へ一緒に行ったり、休み時間におしゃべりしたり。

 良き友人だ。多分、親友と言っても過言じゃない、と思う。



 それが狂い出したのは、六月。入学してから二ヶ月弱。

 蒼空が、いじめられた。

 いじめられはじめた。


 蒼空の表情は、日々を過ごすたび、苦しみに歪んでいった。

 惨めだ、と思った。


 花が、人によて踏み潰されてしまうように、惨めだった。

 美少女という肩書きは、椿の前では、無力だった。

 俺には、効果抜群だったし、今でも好きだ。大好きだ。

 優しい、可愛い、素敵な笑顔に綺麗な髪、目、容姿。

 嫌いにならないわけなかった。たとえ、自身の友人が、彼女のことを気に入らず、じめていたとしても。


 椿は、なんともないみたいだ。

 俺が蒼空と話していても、その話を遮ることはしない。

 俺が目を離した隙に、蒼空はいじめられている。

 教師の前で、いい顔をしているこどもみたいだ。

 椿は、いつものように俺と話して、バカみたいなことで笑いあって、蒼空をいじめているのが嘘みたいなほどに、純粋で煌めく瞳を、俺に向けていた。


 なんでなんだろう。

 冷静に、考えれば、この状況は異常だったのに。


 なんで俺は、蒼空を助けなかったんだろう。

 どうして俺は、椿を止めなかったんだろう。


 何もできなきない、馬鹿なやつは、死んでしまえよ。


 どうして、こんなことになってしまったんだ?


 夜の、廃ビルの、屋上。

 俺の秘密基地。

 俺が、蒼空に教えた場所。なんで、靴を脱いでいる?


 そんなところにいたら危ないよ、こっちにおいでよ。

 どうして、そんな顔をするんだろう?

 ひどく、傷ついたような顔を。


 どうして、何もできない?

 何もできないまま、時はいつの間にか、過ぎ去るんだろう?


 俺はどこで間違えた?


 分からない、覚えていない。

 思い出せない。

 忘れてしまった?

 蒼空が俺に言った言葉の隅から隅まで、端から端までを、思い出したい。


 俺は、どうすればいい?どうすれば?

 教えて、教えてよ、そんな顔しないでくれ。


 どうして、忘れてしまう?

 大事なことを、いつも。


 待って。そんな笑顔は、嫌いだ!

 口を無理やり、引き攣らせて笑わないで!


 どうすれば、どうしよう。

 一歩踏み出せば未来のない闇だ。


 蒼空が、そんなところに行く必要はない。

 

 「そら!」


 いつの間に体が動いていた。

 

 そら左手首を掴んだ。


 落ちかけた体を引き上げようとした。

 その時、何か言った気がする。


 よく思い出せない。

 覚えてない。



 忘れてしまった。



 でもそれはきっと、とてもみじめな言葉だったから、それだけは、忘れてしまっていいと思う。


 もしかしてそれが、蒼空への、愛の言葉だったかも。


 今更遅い。




 だってその後の記憶は、引っ張られたような強い感覚だけ。




 多分これは、走馬灯だ。

 だって、こんなに身体中が痛くて、視界が暗くて。



 …息苦しいから。


 


 

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