籠の中 ―愛の呪い―

新谷 一

第1章 監視者編

第1話 ハルくん、今日も配信日和

 パソコンのカメラに向かって、19歳の青年『春野蓮はるのれん』は軽く微笑んだ。

 その顔は、まるで年下の小悪魔のような可愛らしさと、どこか儚さを併せ持っている。


「お待たせー! 今日も元気に、ハルくん配信、始めるよー!」


 開始の合図と同時に、画面には怒涛のコメントが流れた。


「待ってた!!」

「ハルくん今日もかわいい!」

「ご褒美タイムきたぁ!」

「今日も汗舐めたい(切実)」

「唾液1ccいくら?」


 春野は苦笑しながら、コメントを拾っていく。

 半分は冗談交じり、半分は本気──

 そんな“亜人”たちの熱気が、画面越しに伝わってくる。


「いやいや、唾液は売りません! 汗も舐めちゃダメ! ダメ絶対! ……でも、ありがとう!」


 軽妙なツッコミと煽りを織り交ぜながら、春野は配信を盛り上げていく。


「今日は新しいマグカップ使ってるんだけど、見える? これ、古参の『ほのほの』さんからのプレゼントだよ~。ありがとね!」


 画面には、決して安くないスパチャと共に“ほのほの”の名前が輝く。


「ハルくんが使ってくれてうれしい♡」

「またハルくんに似合うのがあったら送るね!」


「えっ、ほんと? ありがとう! でも、くれぐれも無理しないでね?」


 ファンとの交流は温かくもあり、どこか危うい。

 プレゼント、コメント、スーパーチャット。

 そして見え隠れする過剰な反応──


 その一部が、春野にとっては“一線を越えそうなもの”に感じられていた。





 この世界では、既に亜人が中心であることは誰の目にも疑いようはない。

 その中で人間はまだ絶滅危惧種… というほどでもない。

 でも、間違いなく“希少種”だ。


 人口比率は、すでに全体の5%にも満たない。

 街を歩けば耳や尻尾、羽、角、鱗を持つ人々ばかり。

 人間が出歩く姿を見ること自体がめずらしいほどである。


 それもそのはず、多くの人間は結婚できる年齢になると、目をつけられていた亜人と結婚し、主夫として家庭にはいるものが多い。

 そして、一度家庭に入ったら最後、人間はパートナーによって、”外は危険だから、私がいないときは外に出ないで”と説得され、家に一人籠る生活をするようになる。

 これがこの社会に住む人間が抱える問題の一つ”囲い込み”である。


 でも、それだけ、世間から人間は「守られるべき存在」として扱われる。

 けれどそれは、それは必ずしも優しさとは限らないことは、みなが当たり前のように知っていることであった。




 春野蓮は少し前までは”珍しいだけ”のただの普通の人間であった。

 だが今の彼は“ただの人間”ではなない。

 

 人気配信者ハルくん


 柔らかい声と亜人たちを煽る小悪魔的な受け答え、庇護欲をそそる儚さと幼い顔立ち、小さな体、そして”人間”という希少性。

 画面越しに映る彼の姿は、まるで「愛玩動物」のように消費されていた。

 それでも彼が配信をやめることはない。


「ハルくん、今度リアルで会いたい!」

「どこ住んでるのー?」

「ハルくんの汗の匂い嗅ぎたい」

「次の配信はいつー?」

「こんな可愛い子、リアルでみかけたらそのまま攫っちゃうよー!」


 コメントは加速し、やや過激さを増していく。

 だが、春野は怯まない。

 むしろ、軽妙な切り返しでファンを翻弄し、さらに人気を高めていった。

 ──それが、“ハルくん”というキャラクターだった。





 配信を終えた後、部屋の中は静まり返っていた。

 カメラの光が消え、明るかったモニターが暗転する。

 そのとき、春野はようやくハルくんとしての仮面を脱ぎ息を吐く。

 スマホを手に取ると、メッセージが一件届いていた。


 サク:おつかれ! 今日の配信もとっても良かったよ!


 春野は、そのメッセージで少しだけ胸が明るくなる。

 それから指を動かしゆっくりと返信する。


 ハル:サクさん!見てくれてありがとう!自分でも今日はうまく回せたと思う!


 連絡をくれた彼女──サクは、自分にとっての”最も尊敬し信頼する師匠”である。

 春野がまだ、現在のスタイルを確立するより前、登録者数が3桁にも満たない頃から、春野に目をかけ、アドバイスをくれた有名な先輩配信者。それがサクである。

 春野にとってサクのは自分を導いてくれる、そんな存在であった。


 サク:でも今日のコメント… ちょっと怖かったね。


 サクのメッセージを見て、指が止まり、胸が少し詰まる。


 「攫っちゃう… か…」


 もちろん本気じゃないとは思う。

 でも、亜人と人間の体力の差はかなり大きい、それは成人の男性と10歳程度の亜人の子供がほぼ同じ体力を有すると言われるほどだ。

 相手が女性であれ亜人であれば、小柄な春野の抵抗など一切気にせず実現することは十分可能なのである。

 まったく気にならないと言えば嘘になる。

 でも彼女に心配をかけたくないという気持ちの方が強かった。


 ハル:うん。ちょっと気になったけど、まあ大丈夫。いつものことだから!

 サク:……そう? でも油断しないでね。何かあったらすぐ言って。


 サクとのメッセージを終えるとスマホを置いて、窓際で伸びをする。

 カーテンの隙間から夜の街と、そこを行き交う亜人たちの姿が目に移る。





 外に出れば、亜人たちの視線を感じる。

 人間としての自分が、ただそこに“いるだけで目立つ”ことはわかっていた。

 ただの興味かもしれない。

 あるいは、羨望か、憧れか。

 しかし大人になるにつれ、それは“品定め”のように感じられることもあった。

 亜人社会の中で、人間は希少で、美しく、脆い。

 そして同時に、亜人の”欲望”の対象でもある。





 配信中、画面の向こうにいる人たち。

 彼らが春野に向けるのは、応援なのか、執着なのか、愛情なのか、支配欲なのか。


 ──わからない。

 

 けれど、例のコメントのように、綺麗な感情だけでないのは確かだった。


 春野はカーテンの隙間を閉じると、ベッドに寝転がる。

 今日の”仕事”はもう終わったし、難しいことを考えるのはやめよう…


 明日は久々にリアルでサクと会う約束をしている。

 サクのことを思い出すと、一度沈みかけた心が再び浮かび上がってくる。


 明日はどんな服を着ていくか、何を話そうか…

 そんなことをことを考えている間に春野は自然と眠りについた。


 その表情はさっきまでの緊張は消え、穏やかな寝顔だった。






────────────────────────


お読みいただきありがとうございます。

「ハルくん」の世界と、静かに忍び寄る違和感を、これから一緒に見届けていただけたら嬉しいです。


最近、X(旧Twitter)などで天使や獣人たち“上位種”が登場する創作投稿を見て、とても面白いと感じていました。

そこから着想を得て、「自分流に書いてみたい」と思ったのがこの作品です。


高頻度で投稿できるようGW中頑張って更新します!

感想や♡など、励みになります!

今後の展開も、どうぞよろしくお願いいたします

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る