第2話
山手線に乗ってついた、駅を出てすぐ。黄昏に染まる交差点を渡って、様々なショップが立ち並ぶ通りを抜けた先にある広場には、多くの女性の姿があった。
人間も、狐耳が生えていたり鼻がぐんと高かったりする半妖もいて、格好や年代に統一性はない。だがなんとなく彼女たちは同じ目的を持ってここに集まっているように感じた。
「いやーよかったよ、百目鬼くんが『ヘヴ・デヴ』を知ってて」
ファミレスにいたときよりもどことなく煌めいた瞳で話す遥を見て、あずさは気づく。
(そっか。ここにいるみんな、浅香さんみたいな、きらきらした表情をしてる)
それに、バッグやスマホのキーホルダーなど、どこかしらに『ヘヴ・デヴ』のグッズをつけている人が多かった。
『ヘヴンリー・デヴンリー』、通称『ヘヴ・デヴ』は少年週刊誌で連載している漫画だ。クールで真面目、思ったことは歯に衣着せずはっきりと口にする天使のレイ。明るくてちょっぴりチャラい、他人の機微に聡い悪魔のトーマ。それぞれ一人前になるための最終研修として人間界の魔法学校に紛れ込み生活していた。そこで起きた不可解な事件をきっかけに、天魔は邂逅し、相反する立場、嚙み合わない性格をしながらも手を組んで問題を解決していくファンタジックでかっこいい、けれどところどころコミカルでくすっと笑えるバディもの。
あずさは新刊が出たら必ず発売日に書店に向かうくらいにはこの作品を気に入っていたが——まさか、舞台版を観に行くことになるとは思っていなかった。
朝のニュース番組などで取り上げられたり、ネット上でも話題をちらほらと見るから、2.5次元舞台なるものについてはうっすら知っていたが、観に行こうと考えたことは一度もなかった。実写化というものに抵抗があるわけでもないし、関心が全くなかったわけでもないけれど、それでも強く惹かれたこともなかった。劇場という場所が、人が多い場所が、苦手だから。
あずさの体にある目はしっかりと閉じていれば人間と変わりない肌のようになるが、少しでもびっくりすることがあればすぐに開いてしまう。半妖の中でのその奇怪な姿は人が多い場所であればあるほど注目を集め、多くの嫌悪や好奇の目を向けられることになる。それが、怖い。
だからファミレスで遥に誘われたとき、断ろうとも思ったのだが……地獄の淵に佇んでいたら蜘蛛の糸が垂れてきたかの如く期待に満ちた眼差しを向けられてしまった。それに、遥をここまで突き動かす舞台とやらがいったいどんなものなのか、気になる気持ちもあった。
劇場が入っている建物内に入ると、エントランスに入場列が形成されており、ずらりと人が並んでいる。遥に付き従ってあずさもそこに並ぶが、朝の電車や学校を覗いてこれほど人が密集しているところに来るのは久々だった。常人と同じ位置にある顔の目以外を決して開いてしまわないように、と体がきゅっと強張る。
「これ、百目鬼くんのチケットね」
「あ、はい。ありがとう、ございます……あの、浅香さん、やっぱりチケット代……」
「これは私のわがままに付き合ってもらってるんだから、絶対に受け取らないよ」
「で、でも……」
渡された紙のチケットには漫画が十冊以上は余裕で買える高価が記されている。
「私、今めちゃくちゃわくわくしてるの。ただでさえ誰かの初2.5次元舞台観劇に同行するのはじめなのに、その相手が偶然知り合った『ヘヴ・デヴ』ファンの男の子だよ。とんでもない巡り合わせすぎるし、どんな感想を抱くのか、すっごい楽しみ。私のわがままに付き合ってくれて、そんな楽しい経験までさせてくれて。むしろプラスでお布施をしたいくらいだよ!」
「え、えっと……そ、その……僕、そんな、いい感想、言えないと思います。舞台を見るのも、久々で……話すのも、下手で……」
「あ、ごめんごめん、プレッシャーかけたかったわけじゃなくて。ただ、本当に、『ヘヴ・デヴ』ファンの少年が初観劇した際の率直な感想を聞いてみたいってだけだから、安心して。気楽に観てって」
「は、はぁ……」
スタッフにチケットを切ってもらい、人の流れに沿って薄暗い場内へと足を踏み入れる。
場内にはエキゾチックな音楽が流れ、ステージには作品の舞台である魔法学校を彷彿とさせる舞台装置が置かれている。どちらのあずさの知っている『ヘヴ・デヴ』の世界に合うように感じた。
席は二階まで用意されていて、すでに多くの人が着席している。
あずさも、遥の後について一階の一番最前の列、下手側の席に腰を下ろした。
人生で久々に訪れる、劇場と呼ばれる場所。本当に幼い頃一度母に連れられ訪れたことがあったが、あまりいい思い出はない。ぎっしりと詰まった人の多さに終始ひどく怯えていたし、今よりもさらに小心者だったから演出などで少しでも大きな音が鳴るたびに全身の目がわっと開いてしまっては周囲の人を怖がらせてしまうのではないか、怖がられて嫌悪されてしまうのではないかと泣きそうになっていた。だから、当然公演の内容など覚えておらず、舞台というものに対しては大した好悪どころか感想も抱いておらず、劇場というものに対しては苦手意識を抱いていた。
それをうっすらと思い出し居心地が悪く感じたあずさは、体の目が開かないようにしなければと、リュックを胸に抱ききゅっと身を縮こまらせ俯く。
「そういえば、百目鬼くんって『ヘヴ・デヴ』で好きなキャラクターいる?」
と、隣席の遥が尋ねてきた。おずおずとわずかに顔をあげて、あずさは答える。
「あ、えっと……トーマが、好きです」
「トーマかぁ! いいキャラだよね。悪魔でチャラいのに人情深くて。レイ相手だとそりが合わなくて、でも気に掛けるからツンデレっぽくなるところもかわいらしいし。あ、そうだ、初日に買ったパンフレット持ってきてるんだった」
「初日? もう観劇したことあったんですか」
「うん、五回目」
あずさは目を丸くする。「たいていの場合は撮影日や大千秋楽以外円盤に収まらないから、それ以外の日程のパフォーマンスは見逃したら生涯見れない」と遥は言っていたが、それにしたって、五回も。
野暮だと思いつつも、つい、脳内で貰ったチケットに書かれていた価格に五を掛けてしまう。多少の演出の違いはあったとしても、シナリオの内容が変わるわけではないだろうに。それだけの金額と、時間を、この人は舞台という者に捧げるのか。
「好きな作品に推しが出てる最高の機会だから、本当は
「全通」
「全公演通うことを全通って言うの」
「……あの、全部で何公演あるんですか?」
「二十八だったかな」
「にじゅうはち」
あずさは、計算を放棄した。
「あ、これこれ、トーマのページ」
バッグからパンフレットを取り出した遥が、開いたパンフレットをこちらに差し出して見せてくれた。
これまで漫画でしか描かれてこなかったキャラクター、それがあずさが生きているのと同じ次元に落とし込まれた姿。
あずさはわずかに目を見開いた。
「トーマだ……」
そこにはそっと微笑みながら好物であるりんごを手で弄ぶトーマの姿があった。
さっぱりとした黒髪に、血のような赤い瞳。色白な肌に整った顔立ちだけでなく、均整の取れたそのスタイルまでもが、とてもトーマっぽい。
「分かる。写真の時点でマジでトーマなんだよね。しかも舞台で動いているところを観ると、もう……いやこれは実際に見て感じてもらった方がいい……あ、ちなみに、こっちがユエルのページで、私の推し。
伊原、一咲。
先に見せてもらった姿を思い浮かべながら、その名前をなぞると、なんだか胸のあたりが少しくすぐったくなるような、熱くなるような、不思議な心地がした。
と、上演が迫っていることを知らせるアナウンスが響く。あたりの空気がわずかに変わった気がした。席に着いた人々の談笑していたざわめきはすっと引き、皆が舞台に目を向けて、耳を澄ませている。誰一人残らず集中しているのが、伝わる。
(この場所の人たちはみんな、舞台を見に来ているんだ)
決して安くはないチケット代を払い、もしかしたら遥のように遠方からやってきた人もいて。
みんな、目の前に広がるこの世界だけを、観に来ている。周囲どころか隣の客にさえ目を向ける必要性を感じていない、だれもあずさを見る可能性を感じないほどに集中している。だから、落ち着くのかもしれない。
——いや、今は。
少し、ドキドキとしていた。
開演のブザーが鳴る。手にわずかに汗が滲む。
場内が暗転する。
そして——。
烏の鳴き声とともに夜らしい青暗いライトが灯ったステージ上には、数多のモンスターが蔓延っていた。そしてこつりこつりと革靴を鳴らしてステージの奥、一段高くなったそこから、トーマが姿を現す。
「ったく、人間界も穏やかじゃねぇな」
スポットライトを浴びた彼がふっと不敵に笑むと、背負っていた刀を手に取り、鞘から抜き、くるりと宙返りしながら一段下のステージへと降りてすぐ、モンスター一体を切りつけた。そのまま、まるで舞でも舞うように華麗に右手に持った刀、左手に持った鞘で二体目、三体目と捌きながらも、ところどころおどけた笑みや声、仕草を零す。
「ま、この程度は俺の敵じゃねぇけど」
最後の一体を地面に向かって貫いたトーマはこちらを一瞥して、ちゃきっと鞘に刀をしまい、下手の袖へと駆け去っていく。一瞬の暗転ののち、倒れていたモンスターの姿は消えており、今度は上手の袖から金髪に青い瞳を持ったひんやりとした印象の美丈夫、この作品のもう一人の主人公であるレイが姿を現した。
ステージ中央まで歩いたレイはふと振り返ると。
「やかましい」
淡々とした呟きとともに、懐から拳銃を取り出し撃つ。破裂音ともに、上手の袖付近にモンスターがいったい倒れる。それを皮切りにステージの四方八方から現れるモンスターを拳銃で次々と、涼やかに倒していき、至近距離に迫ってきた最後に一体は華麗な蹴り技で制した。
ふんと鼻を鳴らしたレイは、今度は下手の方にパッと振り返り中を構える。と、下手から両手を上げたトーマがへらへらとした表情で出てくる。レイは構えを解かず、トーマは躊躇なくレイの方へと歩み寄った。
そして銃口が額に触れるか触れないかの距離にまでトーマがレイに近づくと——二人は銃と刀による争いをはじめた。おそらく原作第三話、学校の裏山でふたりが交わす喧嘩のシーンだ。
縦横無尽にステージを駆けながら容赦のない攻防を繰り広げるふたりに、あずさは顔ごと視線をあちらこちらへと動かす。
トーマは軽やかな身のこなしとともに刀を閃かせ鞘も使って戦う。レイは二丁拳銃に切り替え躊躇いもなく淀みも動作でトーマに照準を定めて撃つ。
どちらもつぶさに見たいのにステージの端と端に行かれたり、素早く動かれると、人よりも視野が広く視力もいいあずさでも追いきれなくなりそうになる。いや、二人が一か所に集まっていても、感じるこの焦燥はいったいなんなのだろう。二人を見ながらもあずさの目は自然とトーマに吸い寄せられ、トーマに吸い寄せられながらも二人を見たいと思う。
激しい攻防の末、舞台中央で、トーマは刀の刃をレイの首筋に、レイは片手の銃口をトーマの額に当てた。
冷ややかな眼差しのレイ、不敵な笑みを浮かべるトーマ。
原作では見開きで描かれ、そのかっこよさにとても胸が熱くなったシーン。そのときと同じような、けれどどこか違う興奮があずさの身を焦がす——首が、腕が、むずりと疼く。
発砲音とともに、ぱっとステージが暗転する。軽やかなピアノの旋律が響く。やがてテンポが加速し音が増えたスタイリッシュな楽曲に進化していくと、ステージ全体が明るく照らされた。舞台上のキャラクターたちが声をそろえて歌う。アニメもそれなりに嗜むあずさは、きっとこれがこの舞台のOPなんだと直感した。
ステージを埋めるどのキャラクターも一見で誰か判別できるほどに再現度が高く、観たくなる。けれど、やっぱり、アズサの目は吸い寄せられるようにトーマを捉える——そして、頭サビらしいワンフレーズの最後の一節を、デュオで歌ったトーマとレイが刀と銃を構え、単行本第一巻の表紙のポーズを取る。
(わ)
トーマが、舌なめずりしている様まで、完璧で。本当にトーマがそこにいるようにも、それでいてトーマじゃない誰かがトーマの足跡を丁寧にたどった足跡のようなものも、見えた気がして。
(すごい)
ぶわ、とあずさの肌が震えた。
(もっと。もっと、よく、見たい)
周囲を怖がらせたくなくて、怖がられたくなくて人がたくさんいる場では特に意識をしてきゅっと閉じていた体のあちこちにある数多の目。
けれど、心臓が大きな音を立てて、気づいたときには。あずさは全身の目を開き、ステージで燦然と輝く一番星をじっと見つめていた。
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