第2話 - 声の通り道

 翌朝。西川陽大は職員室の自席に着いたまま、昨日の出来事を何度も反芻していた。


 ──あの枯れ葉に書かれていた言葉。

 ──卒業アルバムにいた、五年前の「新谷結花」。

 ──そして、今の結花は……誰なのか?


 「西川先生?」


 隣の席の教頭が怪訝そうに声をかけてきた。陽大は慌てて表情を整えた。


 「あ、いえ……ちょっと寝不足で」


 「この時期、変な夢見る先生多いですからね。気をつけてください」


 そう言って去っていった教頭の背中を見送りながら、陽大は不意に背筋にぞわりとした冷気を感じた。


 午前中の授業が終わり、給食の時間。教室で生徒たちが騒ぎ出した。


 「先生、誰か泣いてるよ!」


 女生徒が廊下から戻ってきて叫んだ。陽大はすぐに立ち上がり、声のする方へ向かう。音の出どころは、旧館の渡り廊下──現在は立ち入り禁止になっている区域だった。


 確かに、声が聞こえる。すすり泣くような、掠れた少女の声。


 「……だめ、いや……たすけて……」


 声を追って進もうとした瞬間、背後から誰かが制服を引いた。


 「先生、行っちゃだめ」


 新谷結花だった。いつの間に登校していたのか、彼女はまるでそこにずっといたような顔で、陽大を見上げていた。


 「……あの廊下、入ったら戻れなくなるよ」


 「……それは、君が言ってたものと関係あるのか?」


 そう、その「もの」とは。

 昨日、結花の部屋で見た「図書室に棲む"何か"」のことだ。


 でも、その質問に、結花は何も答えなかった。ただ、じっと陽大の目を見つめていた。言葉の代わりに、小さなノートを差し出してきた。


 中を開くと、そこには詩のような文章が並んでいた。その一節に、陽大は目を奪われる。


 声が抜けていく道がある

 見つけた人は二度と、名前を呼ばれない

 だから忘れないで、落ち葉の中に

 あの人の名を探して


 「……これは?」


 「先生。昨日、私が見せたのは、わたしの“書いた詩”じゃない。……“拾った詩”なの」


 「拾った?」


 「校庭のイチョウの木の下で。落ち葉に包まれてた、小さな手帳。それが最初」


 陽大は言葉を失った。そんな偶然があるだろうか。


 「そのノート、今でもある?」


 結花は首を横に振った。「昨日、部屋から……なくなってたの」


 放課後。陽大は旧館の渡り廊下に一人で向かった。結花の制止を振り切る形で。廊下の入り口は、朽ちかけたバリケードとロープで封鎖されていたが、ロープはすでに誰かによって切断されていた。


 陽大は意を決して一歩、足を踏み入れる。


 ……その瞬間、世界が静かになった。風の音も、木々のざわめきも、何も聞こえなくなった。


 そして、彼は見た。


 廊下の奥にぽつんと佇む、人影。小さな、制服姿の少女。うつむいたまま、身じろぎもしない。


 陽大が近づこうとしたとき、その少女がゆっくりと顔を上げた。


 だが──顔が、なかった。


 目も鼻も口もなく、ただの白くぼやけた“空白”だけが、そこにあった。


 「……おかえり、せんせい」


 その声がどこから聞こえたのか、わからなかった。


 陽大の視界が暗転し、気づけば彼は旧館前の階段で倒れていた。周囲には誰もいない。だが、手の中には一枚の紙切れが握られていた。


 ──そこには、「新谷結花 200X年卒業」と書かれた、図書室貸出カードの切れ端が貼られていた。

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