第39話 来週は南雲さんの誕生日
<辻井三莉side>
「私、板川さんと別れたから」
「へっ?」
リビングでお母さんの作ったカレーを食べていたら、突然そう言われた。
板川さん。お母さんの彼氏。
初対面からあまり良い印象を持てなくて、勝手に部屋に入ったことで、嫌悪感に近いものを抱いていた。
お母さんと結婚してほしくないと思っていたけど、まさか「別れた」なんて報告を今されると思わなかった。カレーを食べる手が止まる。
「目が覚めたわ。三莉、あの時は本当にごめんなさい」
お母さんが頭を下げる。
「えっ……」
たじろいでしまった。これまでお母さんから、きちんと謝られたことがなかったからだ。
顔を上げたお母さんの目を見ると、意志の強さがにじみ出ていた。
何故、別れたのかは深く追求はしなかった。私が同じ立場だったら、そっとしておいてほしいと思ったからだ。
自室に戻り、心の波が静まるのを待つように、布団にくるまる。
板川さんに部屋に入られ、泣き喚いた出来事が遠い過去のように思えた。
無理にその場で解決しようとしなくても、自然と収まることもあると学んだ。
混乱は消え、心がすっきりと澄み渡った。
このことを一番に伝えたいのは南雲さんだった。日曜日まで、まだ遠い。
こんなふうに南雲さんと会わないときも、彼女のことを頭で考えることがある。南雲さんなら、どんなふうに言うだろうと考える時間が好きだった。
南雲さんが一人になったとき、彼女も私のことを考えたりすることがあるのだろうか。友達も多そうだし、他に興味があることも多そうだし、そんな暇はないかも。
不意に、悲しくなる。
ネガティブな感情に飲み込まれそうになり、慌てて頭を振った。
よし。音楽を聴きながら散歩にでも行こうかな。暗い気持ちになりそうなときは、少しでも外に出て、体を動かした方が気が紛れる。
私は私なりのストレス発散方法を身につけていた。
◇
「おー! そんな未来になるとは思ってたんだよー!」
「南雲さん!?」
日曜日。今日も南雲さんと会えた。22時ちょうどに私の部屋にやって来る。
何気ない会話の流れから、お母さんが彼氏と別れたことを伝えた。
そしたら彼女は知っていたようなことを言い出し驚く。
「まぁ、良かったよ!」
「そう、ですよね」
「ってか、三莉は、お父さんいつからいないの?」
なんともないような顔をして南雲さんは言う。
他の人から言われたらデリカシーがないと思ってしまうだろう。とはいえ、彼女に言われると気にならなくなってしまう。
「小4の時ですかね」
「そうなんだ。お父さん、どんな人だったの?」
「陽気な人でしたね。ワクワクするようなことが好きで——」
そこまで言って黙る。もしかして、お父さんって、南雲さんと似てる?
……。いやいや。ないよ!
なんで、そんなこと思っちゃったんだろう。
「えーー! 教えてよ! 駄目?」
南雲さんが私をじっと見つめる。
「ま、また今度言いますね」
「ちぇっ」
それ以上は深く追求してこない。南雲さんはデリカシーがないと思うのに、妙に律儀なところがある。
「あっ。来週、わたしの誕生日だ!」
話を変えるように、彼女がそんなことを言った。
「そういえば前に、9月8日が誕生日って言ってましたよね」
「うん! 三莉、覚えていてくれたんだ!」
ぎゅーっと感銘のハグを受ける。何気ないふうを装っていたけど、私は彼女の誕生日をしっかりと覚えていた。
——実はサプライズ計画を考えていた。今はまだ、南雲さんには明かせないんだけどね。
「三莉の誕生日は——えっと、5月の——」
「……」
私の誕生日を覚えていないことに、今更ガッカリなんてしない。むしろ偶然、
「5月」が当たっていたことが奇跡と感じるくらいだ。
私は南雲さんから離れる。
「5月18日ですね。まぁ。私の話は置いといて——」
「置いとくの?」
「また来週会えますよね」
意味深な顔でにっこりと笑って見せる。
南雲さんはじっと私を見ていた。
「うん。絶対会えるよ! 三莉、その時は、お祝いしてくれるの?」
屈託ない顔で言う。もちろん、一番に「おめでとう」ということはできないかもしれない。
だけど誰よりも深く、南雲さんの誕生日をお祝いしたかった。
「はい!」
「ひひひ。約束」
南雲さんが小指を差し出してくる。戸惑っていたら、強引に小指を絡められた。
「来週の日中は、父と母と過ごすかもしれないけど夜は私一人だから! 三莉、お祝いしてね」
「はい」
ほのぼのとした空気が私たちを包む。
——その日は、穏やかな空気のまま別れられた気がする。
南雲さんには、これまでに香水や槇原ネイルちゃんのフィギュアを貰った。だから彼女の誕生日は、私がこれまでの感謝を、お返しできるチャンスでもあった。
南雲さんは今、何が欲しいんだろう。
私はスマホで「高校生 女子 欲しいもの」など、さまざまなワードを入れて検索してみた。
特集記事にはコスメ、ポーチ、文房具、お菓子などのおすすめ商品が表示されるものの、いまいちピンと来るものはなかった。
今日直接、南雲さんに何が欲しいか聞けば良かったかな。
趣味はテニスと言ってたっけ。でも、普段話していて、テニスというワードが出てこないから最近はしていないのかも。
そういえば、おもしろグッズを買うのが好きとも言っていた。これをプレゼントするのはどうだろう。
だけど、誕生日に渡すものとは違う気がするなぁ。うーん。迷う。
南雲さんを思って考えている時間が楽しかった。ちっとも苦痛ではなかった。
今日で夏休みが終わる。普通だったら憂鬱なこの時間も、南雲さんのおかげで、明るい気持ちでいられた。
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