第16話 少女の決断
土曜日の朝、鷺沼鏡二はバロウズ警部と会食を共にしていた。村の小さなカフェで、二人は向かい合って座っていた。
「警部、これまでの調査結果を共有させていただきたいのです」鏡二は低い声で切り出した。
「調査?」バロウズ警部は紅茶を啜りながら、懐疑的な表情を浮かべた。「正式な調査ではないはずですが」
「確かに」鏡二は頷いた。「しかし、村で起きている連続死には共通のパターンがあります」
彼はバッグからノートを取り出し、慎重に説明を始めた。犠牲者たちの症状、口笛の音、神父の行動、そして1944年の秘密について。
警部は最初こそ聞いていたが、途中からため息を漏らし始めた。
「鷺沼博士」彼は手を挙げて話を遮った。「あなたは外国の方で、この村の事情をご存知ない。老人が孤独や罪悪感から自殺することは珍しくありません」
「しかし、音響パターンによる心理操作は—」
「やめてください」警部は声を強めた。「老人の妄想につきあっていられません。村人たちにこれ以上の不安を与えないでいただきたい」
鏡二は黙って聞いていた。警部が最後にこう言った。
「今後の調査は警察に任せてください。あなたは娘さんを学校に通わせ、普通の生活に戻ることをお勧めします」
警部は席を立ち、去って行った。鏡二は一人でコーヒーを飲みながら、次の手を考えた。
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同じ頃、ヘンリー・フォスターは自宅で悪夢から目覚めていた。
額には汗が浮かび、手は震えていた。彼は時計を見た。早朝四時半。また同じ時刻だった。
彼は起き上がり、窓の外を見た。濃い霧が家々を包んでいた。耳を澄ますと、あの音が聞こえた。
口笛の音。
短く鋭い上昇音、長くやさしい下降音。繰り返し。
「また始まった」彼は呟いた。
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午後、鏡二は帰宅してシエラに警部との会話を報告した。
「警察は動きません」彼は落胆した様子で言った。「私たちだけで何とかしなければならない」
「今日は土曜日ですね」シエラは慎重に言った。「神父は教会の塔にいるはずです」
「はい」鏡二は頷いた。「彼がいない間に、私は神父の私室を調査します」
シエラは一瞬躊躇したが、ついに口を開いた。
「先生、私にも計画があります」
鏡二は彼女を見つめた。
「もっと直接的な方法です」シエラは深呼吸した。「私が次の犠牲者になるふりをします」
「何を言っているんですか?」鏡二は驚いた。
「神父に直接会って、不安を訴えるんです。口笛が聞こえるとか、眠れないとか」
「危険すぎます」鏡二は即座に反対した。「あなたは子供です。彼の心理操作に耐えられません」
「でも」シエラは真剣な目で言った。「このままではフォスターさんが死にます。私には村の子どもたちを守る責任があると思います」
鏡二は言葉に詰まった。
「私は12歳なりに、この村で育ちました」シエラは続けた。「私の友達も、友達の親も、みんな何か怖いものを抱えています。私が何かをしなければならないと思うんです」
長い沈黙の後、鏡二は頭を振った。
「決して許可しません。あなたの安全は私の責任です」
シエラは悔しそうに黙り込んだ。
その夜、鏡二は神父が教会の塔に籠もる時間を確認するため、教会の近くを歩いた。
確かに、午後二時頃から神父の姿は見えなくなった。地元の信者たちに聞くと、毎週土曜日は「瞑想と祈りの時間」として、誰とも会わないことが分かった。
「明日の朝、教会に潜入します」鏡二は心に決めた。
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日曜日の早朝、村はいつもより深い霧に包まれていた。
鏡二は早くから教会へ向かった。礼拝が始まる前、神父が準備をしている時間帯を狙った。
教会の裏口は、予想通り施錠されていなかった。彼は慎重に内部に入り、祭壇の横にある神父の私室に向かった。
部屋の中は簡素だが整然としていた。本棚には聖書や神学書が並び、机には日用品が置かれていた。
鏡二は引き出しを調べ始めた。最初は何も見つからなかったが、底から二番目の引き出しで重要な発見をした。
小さな黒い手帳。
ページをめくると、そこには村人たちの名前と、それぞれについての詳細なメモが書かれていた。
「マーガレット・ウィロビー:1944年8月14日、情報収集に協力。罪悪感強い」
「エドワード・クラーク:1944年8月15日、通訳として参加。記憶あり」
「ヘンリー・フォスター:1944年8月15日、捕虜との接触。沈黙を破る可能性」
そして、最後のページには衝撃的な記述があった。
「次回:シエラ・スレイド。興味を示している。特別な治療が必要」
鏡二の心臓が止まりそうになった。シエラの名前がなぜここに?
その時、後ろから声がした。
「おはようございます、鷺沼博士」
振り返ると、ギルバート神父が立っていた。
「私の私室で何をされていますか?」
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同じ頃、シエラは自分の計画を実行に移していた。
鏡二には告げず、彼女は教会へ向かっていた。礼拝前の時間、神父が準備をしている頃を見計らって。
教会の玄関で、彼女は深呼吸した。そして扉を開けた。
内部は薄暗く、静まり返っていた。主祭壇には十字架があり、ステンドグラスからは朝の光が差し込んでいた。
「シエラさん」
声に振り向くと、神父が祭壇の横から出てきた。穏やかな微笑みを浮かべていた。
「おはようございます、神父さま」
「早いですね。どうされましたか?」
シエラは事前に準備していた言葉を口にした。
「最近、眠れなくて...夜中に目が覚めると、変な音が聞こえるんです」
神父の表情が微かに変化した。関心が芽生えたようだった。
「どんな音ですか?」
「口笛のような...短く上がって、長く下がる音」
「それは大変ですね」神父は親身になった様子を見せた。「もしよければ、特別な治療をしてあげましょう」
シエラの心臓は高鳴ったが、表情は動揺を見せなかった。
「本当ですか?」
「はい。木曜日の夜、私の工房においでなさい。心の平安をもたらすお手伝いをします」
「ありがとうございます」
シエラは教会を後にした。計画は成功したが、同時に恐怖も感じていた。
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午後、村の中心部で奇妙な光景が目撃された。
ハロルド・スレイドとギルバート神父が、人気のない路地で密会していたのだ。
郵便配達人のトーマスの友人が、偶然その様子を見かけた。
「お互いに重要なことを話している様子でした」彼は後に村人に語った。「神父は何か怒っているように見えました」
実際、その密会は激しい口論の様相を呈していた。
「あの日本人医師は危険だ」神父は言った。「彼は秘密を暴こうとしている」
「だから私は警告したんだ」ハロルドも怒気を含んだ声で答えた。「シエラも巻き込まれている」
「シエラについて話がある」神父は静かに言った。「彼女は木曜日に私の工房に来ることになった」
ハロルドの顔色が変わった。「何?」
「彼女は助けを求めてきた」神父は微笑んだ。「心配はいらない。私が適切に対処する」
「お前...まさか娘にまで...」
「彼女は既に知りすぎた」神父は冷たく言った。「これは村のためだ」
ハロルドは黙り込んだ。長い沈黙の後、彼は言った。
「もう充分だ。これ以上の犠牲は...」
「充分かどうかは私が決める」神父は遮った。「あなたの役目は沈黙を守ることだ」
二人は別れた。ハロルドは重い足取りで家路についた。
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日曜日の夕方、鏡二とシエラは再び鏡二の書斎に集まっていた。
「先生、私やりました」シエラは報告した。「木曜日に神父の工房に行くことになりました」
「何をやったのですか?」鏡二は不安な表情で尋ねた。
シエラは一部始終を説明した。鏡二は黙って聞いていたが、最後に深いため息をついた。
「危険すぎます」彼は強く言った。「即刻計画を中止してください」
「でも、これで神父の正体を暴けます」
「シエラさん」鏡二は真剣な目で彼女を見つめた。「私は今日、神父の私室で手帳を見ました。そこにはあなたの名前がありました」
シエラは一瞬息を呑んだ。
「彼は既にあなたを次の標的と考えています」
「それなら...私は罠にかかったふりをして...」
「いいえ」鏡二は強く言った。「これ以上の危険は冒せません」
シエラは悔しそうに唇を噛んだ。しかし、彼女の目には依然として決意が宿っていた。
その夜、村は不気味な静けさに包まれた。月は雲に隠れ、霧は一層濃くなった。
明日は月曜日。そして次の木曜日には、シエラが神父の工房に行くことになっている。
時間は刻々と過ぎていった。運命の木曜日まで、あと四日。
村の秘密は、ついに12歳の少女の勇気によって暴かれようとしていた。
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