5話 断罪の果てに 砕け散る 過去

胸の奥に温もりが、静かに灯っていた。


セレナは目を閉じたまま、しばしその感覚に身を委ねていた。慈悲の精霊と繋がった今、断罪だけでは見えなかった世界の“形”が、うっすらと形を現す。


だが、その安らぎは長く続かなかった。胸の奥で、何かが冷たく軋む。


『赦し?それが何になる?』


頭の中に低く響く声。


と同時に水中から一気に引き上げられるように現実に戻された。



目を開けたセレナは、静まり返った教会の中を見渡した。慈悲の光は消え、冷たい風だけが石の壁をなでていた。


「戻ってきたのね……。私は、間違っていない」


その言葉は、誓いだった。


過去を否定するつもりはない。

自分を蔑ろにした国も父王も母皇后も民もけして忘れないし、そして手を汚し、血を浴びて歩いてきた道を、誰に咎められる筋合いもない。


たとえ今、慈悲の力を得たとしても、それが過去を“赦す”理由にはならない。


母を串刺しにし、父王を廃人にして放置した。リリスの嫁いだ国を断罪し、罪の呪いに落として国を凍土に沈めた――あれは“許せないもの”だった。


「私は後悔していない。……やりすぎたかも?それくらいは思ったけどね」

苦笑したその刹那、胸の奥にほんの少し、冷たい影が差した。

最後の瞬間まで母の目には、私が娘としてうつることはなかった。それだけが、まだ心のどこかに残っている。



冷ややかに笑って、セレナはそっとバングルを撫でた。微かに黒い光沢が光を放ったような気がした。


断罪と慈悲――そのどちらもが、今の彼女を形作っている。


「私は進む。赦しのためでも、救いのためでもない。私の意志で、私の正義を果たすために」


一風の風が教会の扉を揺らし、穏やかな温もりが彼女を包み込む。その背中はもう、ただの怒りに飲まれてはいなかった。


それでも、許せないものは許さない。それだけは、変わらない。


彼女の足が踏みしめたのは、かつて“断罪”という名の正義のもと、自らの手で滅ぼした祖国だった。人の気配はない。瓦礫と灰に覆われた石畳。崩れ落ちた街並みの残骸。遥か先には、凍りついたままの城が静かに聳えている。


崩壊したまま凍結した国。その静寂のなか、セレナは呟く。


「断罪は終わっていない。永遠にこのまま……。だから、終わらせましょう」


その声は風に溶け、世界に吸い込まれていく。


と、その瞬間、周囲の空気が微かに揺らいだ。


《『赦すのか?この者たちを?』

『この者たちに、赦しを』》


二つの声が重なって響く。

冷酷な断罪の精霊と、静かな慈悲の精霊――それぞれが、セレナの内に問いかけていた。


「いいえ。赦すのではなくて、終わらせるのです。彼らの断罪は……もう終わったのです」


セレナが軽く腕を薙ぐと、風が吹き抜け、乾いた灰が舞い上がった。その灰のなか、凍りついた地面の割れ目から、ひとひらの蒼い花が顔を覗かせる。


それは慈悲の力でも、魔法でもない。――セレナの選んだ行動、そのひとつの結末として生まれた、確かな希望の形だった。


「赦せないこともある。忘れられない過去もある。でも……終わらせることはできる。それが、私の進む道」


ゆっくりと、セレナは城に向かって歩き出す。


背に受ける風は、もはや冷たくなかった。時が止まり、崩れることもなく佇む城。その城内には、物音ひとつないひんやりとした空気が満ちていた。


セレナは真っ直ぐに母――皇后の部屋へと向かう。足音だけが、静寂のなかに淡く響いた。


皇后の部屋の扉の前で、セレナは一瞬だけ躊躇する。母、皇后の「それがなんなの」と感情のない声が記憶の中でこだまする。だが、深く息を吸い、一気に扉を開いた。


室内には、かつてセレナ自身が作った氷の牢。その中に、母の姿があった。凍りついた顔。その瞳は閉じられたまま。


セレナは黙って近づき、牢の前に立つ。一歩、また一歩と進み出ると、静かに手を伸ばし、氷へと触れた。


「私は、これを後悔していない。泣く気も、詫びる気もない。……ただ、もう――ここは、終わらせる」


その言葉と同時に、彼女の魔力が氷の牢を砕いた。硬く冷たい壁が爆ぜるように崩れ、細かな氷片が空間を舞った。


『それが……あなたなりの慈悲なのですね』


「私は母を赦したわけじゃない。断罪は済んだ……ただそれだけ」


『断罪の終わりは、あなたにとって癒しの始まりか?』


「いいえ。これはただ、整理をしているだけ。これから私が前に進むために、必要のないものを片づけただけ」





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