第8話 迷う心と、狐の記憶

こよりは、神社の縁側に腰を下ろしていた。

 空は茜色に染まり、鳥居の影が長くのびている。風に揺れる木々の音だけが静かに響いていた。


 「あの子、アカネちゃん……ほんとは、すごく優しい子なんじゃないかな」 


 ぽつりと漏れたその声に、ユウが社の影から現れた。


 「【優しい】と【無害】は、違うものだ」


 その声は冷静だったが、どこか遠くを見るような色があった。


 「でも、願いを食べるって、誰かを満たしたくてやってるように見えた。少なくとも、悪意はなかった気がするんだ……」


 「悪意がなくても、人を傷つけることはある」


 そう言ったユウの瞳は、どこか寂しげだった。


 「……ユウにも、ああいう気持ち、わかるの?」


 こよりの問いに、ユウはしばらく黙っていた。

 やがて、ゆっくりと口を開いた。


 「……昔、まだ俺が神と人の間にいたころ、ある人間の願いを叶えたことがある。……ほんの些細なことだった。【家族が、もう一度笑ってくれたらいい】——それだけの願いだ」


 「叶ったの……?」


 ユウは首を横に振った。


 「一時的には、な。けれど、無理やりに願いを叶えても、人の心は続かない。……その家族は、願いの力に頼った分だけ、壊れた」


 こよりは息を呑んだ。


 「……ユウ、それで——」


 「それが、俺が【守り狐】になった理由だ。人の願いに手を出してはならないと、神域に封じられた。今の俺は、その罰を背負っている」


 風が強く吹き、木の葉が舞い上がった。


 こよりは言葉もなく、ただユウの横顔を見つめていた。

 その瞳には、長い年月を超えてなお消えない後悔が宿っていた。


 「だから俺は、あやかしになりかけた願いを封じる。——それが俺にできる唯一の【償い】だ」


 「……それでも私は、アカネちゃんと、ちゃんと向き合いたい。願いを【悪いもの】って決めつけたくない」


 こよりの言葉に、ユウはゆっくりと目を閉じた。

 そして、少しだけ微笑む。


 「おまえは、変わっているな。だが……それでこそ、【選ばれた者】か」


 ふたりの間に、静かな時間が流れた。


 それは、たしかな絆が少しだけ深まったことを知らせる、やさしい沈黙だった。

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