第二部:重くたって彼女で居たい!

重い彼女ってダメですか!?(1)

 く……くふ……くふふ。


 ああ……どうしましょう。

 こんなに心地よい朝の時間があってもよいのでしょうか。

 曇り空から僅かに差し込む朝の光も、まるで私と修一さんの歩む道を照らしているかのよう。


 愛する方の彼女として迎える一日って、こんなにも暖かく安心感があり、満たされるものなのですね……

 でも、それも当然。

 なにせ今日は大切な日。

 そう……何と言っても「修一さんの彼女二日目記念日」なのですから!


 嬉しさのあまり朝四時半に目覚めた私は、お休みの日のルーティンである朝の入浴を行った後、早速お気に入りのモレスキンのノートを開きました。

 そして、そこに「遠藤修一」と書き込みます。


「ふむ。書き込むのは四十三回目ですが、何度書いても凛々しくて端正なお名前……くふふ。さてさて、では……先日に続き、来る日のための練習を……まず修一さんの名前を書いて……きゃあ! 下の名前で呼ぶなんて……まるで彼女みたいですね! 恥ずかしいな……さて」


 そうつぶやくと、私は修一さんの名前の下に手を震わせながらゆっくりと……でも心を込めて「遠藤真白」と書きました。


 ああ……ダメです。

 なんでしょう、この破壊力は。

 顔が……顔が……はしたないほど緩んでしまいます!


「ううん。浮かれてはダメなのです、真白。これはあくまでもあの方と婚姻の契りを結んだときのための鍛錬。決してのろけているわけでは……えへへ。もうちょっと鍛錬しよ」


 うん、そうなのです。

 修一さんの彼女たる者、近い将来区役所へ婚姻届を出すとき。

 そしてあの方とのお子を授かったときの出生届。

 あの方が老衰で亡くなられたときの死亡届……ああ、それは泣きそうになりますが……

 諸々の時に名前を書く際、万が一間違えて「春日部真白」などと書いた日には……もう、修一さんや彼のご両親、ご親族に顔向けできないではないですか!

 まるで呼吸をするように「遠藤真白」と書けるようになるのは、あの方の彼女であるための必須技能なのです。


「そうそう……後……後……そ、そう! 新婚旅行での……ホテル……とか! きゃああ! いけません! いけませんよ、それはいけません! ……ああ、お婆様。はしたない私を助けて……」


 そうつぶやきながら、ノートの三ページほど使い「遠藤真白」と書き込み続け、ようやく落ちついた私は窓辺に向かい、天国のお婆様に手を合わせました。


秋絵あきえお婆様。真白、この度ついに小学三年生の夏以来、長年の念願叶い、男の方とお付き合いさせて頂く事となりました。いよいよ『修一さんの彼女』と言う肩書きを背負うこととなったのです。これからは遠藤修一様の隣を歩く者として恥ずかしくない女性であるべく、絶えず自覚と精進を……って、痛い! なんなの、昴!」


 いきなり後頭部を軽く叩かれて、ムッとしながら振り向くと昨夜から泊まっている我が弟の昴が、同じくムッとした顔で立っていました。


「姉さん、うるさい。今何時だと思ってんだよ、朝の六時なんだけど」


「いいでしょ、別に。このマンション防音なんだし誰に迷惑かかってるわけでも無いじゃん」


「俺が迷惑なんだよ。『くふふ』とか『きゃあ!』とか、その不気味な口癖辞めろってずっと言ってんだろ。バカみたいに浮かれやがって」


「ふむ、昴。気持ちは分かるけど落ち着いてね」


「はあ?」


「私が他の方の彼女になるから寂しいんでしょ? 昴、私の事大好きだもんね。でも大丈夫だよ。遠藤真白になってもあなたの姉……って、痛い! 何回も叩かないでよ!」


「俺をお前の歪んだ世界に引っ張り込むなっつうの。ってかなんだよ、このノート。なんかビッシリ……って、うわ! 何これ!」


「あ、これ将来のための鍛錬だよ。修一さんと婚姻の契りを結んだときのための」


「だから、それマジでやめろって! 本気で怖いから! なんで何ページもビッシリ名前書いてんだよ」


「え? 怖いの? どうしよ、修一さんにお見せしようと思ったのに……」


「絶対やるな! 一発でふられるぞ。ってか俺だったら嫌だ。マジで怖えよ……ページから怨念漂ってるもん」


「そんな……酷いよ。そんな苛めるなら朝ごはん作ってあげないからね」


「こんな呪いのノート受け入れるくらいなら、コンビニで菓子パン買ってくるよ」


「そんな事言わないでよ。せっかく『修一さんの彼女二日目記念日』なんだからさ。お昼も近くでお洒落なカフェ見つけたから、お祝い付き合ってよ。加奈子さんご両親と旅行行っちゃってて」


「ってか、二日目記念日って意味不明なんだけど。まあ、いいや。じゃあ朝ごはん作って」


 ●○●○●○●○●○●○●○●○


「ねえねえ、昴。修一さんの彼女たるもの、何が必要だと思う? 男性目線で助言してよ」


 大好きなアイルランド音楽の流れるリビング。

 ブラックコーヒーと共に作ったばかりのハムエッグトーストを昴と一緒に食べながら、私は真剣な表情で聞きました。


「その重いの直せ。以上」


「もっとちゃんと助言してよ! 確信を突いたやつ」


「だから確信を突いた、ちゃんとした助言だろうが。姉さんにとって他に何があるんだよ」


「う……」


「とにかく普通になればいいんだって。姉さんの職場とかに居るじゃん? ああいうのでいいんだよ……って、着信入ってるぞ」


 あ、本当ですね。

 私、着信音が嫌いでずっとサイレントにしてるので、気付きませんでした。

 さてさて、どなたでしょう……って……


「ぎゃああ! 修一さんです! ど、ど、どうしましょう!」


「はあ!? 出ろよ!」


「で、でも! 心の準備が……彼女として電話に出るにはどうすれば!」


「だから出ろっつうの! ああ……もう!」


 そう言うと昴は勝手に私の携帯を取って、操作すると私に無言で突き出しました。

 そ、そんな……

 私は激しく動揺しながら震える手で携帯を取ると、電話に出ました。


「あ……お電話有難うございます。遠藤真白です」


「……え?」


 受話器の向こうから修一さんの戸惑った声が……ひゃああ! 間違えた!


「あの……その……えっと! お……お世話になっております。春日部真白です。朝早くお疲れ様です」


「あ……おはようございます。すいません、朝早い時間に」


「い、いえ……とんでもございません。本日は……どのようなご用件でしょうか?」


「えっと……その……春日部さん、今日の午後ってお暇ですか?」


 きょ……今日の……午後?

 ああ、もう駄目です。

 完全に緊張で頭が真っ白になってます。

 私はクラクラする脳でぼんやりと返答しました。


「申し訳ありません、本日の午後は弟とランチが……痛い!」


 いつの間にか隣に来ていた昴は私の頭を叩くと、勝手に携帯を取ると話し始めました。


「あ、すいません。弟の昴です。ごめんなさいね、勝手に代わっちゃって。家の姉、電話が苦手でテンパちゃって……あ、さっきの遠藤真白って言うのは、俺の職場の子の名前です。ちょっと相談乗ってもらってて、それだと思います。……で、今日の午後は姉は空いてますので。俺も急用が出来て昼前には職場に戻るので大丈夫です。全然連れ出してやってください」


 それから昴は少しの間、修一さんとなにやら談笑した後、私に引きつった表情で携帯を突きつけました。

 私も何とか……冷静さを取り戻せたようです。


「えっと……その……と、言う事で午後、空きました」


「みたいですね。すいません、急に声かけてしまって。春日部さん、アイルランド音楽がお好きですよね? 朝、何気なく見てたら伏見のカフェでアイルランド音楽の演奏家のセッションがあるみたいで……良ければ、ランチがてらどうかな、って」


「は、はい。嬉しいです……何があろうと必ずご一緒させて頂ければと」


「有難うございます。じゃあ待ち合わせですが……」


 それから伺った待ち合わせの場所と時間を近くのメモ帳に書き留めると携帯を置き、にへら~と表情を崩しました。

 このメモ用紙はキチンとラミネートして、モレスキンに貼っておくとしましょう。

 死ぬ間際でも見られるように。


「有難う昴。お陰で修一さんとの第一歩を無事、迎えることが出来たよ。彼との結婚式ではこの事話してあげるからね」


「断る。全く、ある意味ファンタジスタだよな。何だよ今の会話」


「いえいえ、終わりよければすべてよし。さて、今日はお付き合いしてから初デート……そういえば……初デートと言う事は……もしかして……手をつなぐ。いいえ、あまつさえ……キスとか! ひゃああ! 昴、どうしましょう! キスを求められたらどうすればいいのですか!」


「しろよ! 目閉じてれば相手がやってくれるよ」


「違うのです! 心臓が……止まってしまいます!」


「じゃあお得意のイメトレ死ぬほどやってればいいだろうが……って、おい……携帯……」


「へえ!? 携帯がどうしたのです! 今は修一さんとのキスの事が……」


「通話中になってるぞ……」


 ……はへ?

 画面を凝視すると……あ。


 冷や汗でビッショリになりながら携帯を取ると、そこから修一さんの声が……


「あ……あの……大丈夫ですよ。まだその段階には……早いかな、と思うので。なので安心して下さい。じゃあ……楽しみにしてます」


「は……はい……楽しみに……しており……ます」


 ぷつりと通話を切った私は、そのままテーブルに突っ伏しました。


「昴……お願い。私を苦しまないように殺して」


「死ぬくらいなら、会った時に死ぬほど謝れ!」

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