第23話 チョコレート貿易

「カカオの価値も仮のもの……」 

 クラリッサが言う。


 寝室の中、化粧のしていない顔はいつも以上に疲れて見えた。目の下には濃いくまが刻まれている。


 子どもたちがクラリッサの複雑に編み込まれ、結い上げられた髪を小さな手でほどいていた。


 私は母后の寝室でロバートのためにホットチョコレートをいれている。ロバートはと言えば長い一日に疲れて、目を擦りこすり私の方を見ていた。もう眠たくてたまらないのだろう。母親のベッドの上に足を伸ばして座っている。

 彼はホットチョコレートを一口飲むとカクンと頭を下げて寝入ってしまった。クラリッサが子どもたちに退室するように言う。


「たしかな情報なのね?」

 クラリッサが振り返って聞いた。


「たしかです」

 私が答える。


「誰がそう言ったの?」


「ウォルター・クラインとジョリーン・マクリーンです。ウォルターはサンドンの国の要職についていて、国王にも信頼されているとか。ジョリーンは有名な女優で王の愛人です」


 クラリッサの顔が皮肉にゆがんだ。

淫売いんばいが国境をこえてやってきたわけなのね」


 母后はジョリーンのことをダリアと重ねているのだろう。でも、ジョリーンはダリアと似ていなかった。悪辣あくらつなところもないし、陽気で柔和だ。ダリアのように結婚していた過去もなかった。


「ウォルターとジョリーンの関係は?」

 クラリッサがさらに聞く。


「友人です。大昔には恋人同士だったとか」


「ウォルターとあなたの関係は?」


 質問に戸惑ってしまった。まさか私とウォルターが愛人同士なのかどうか聞いているのだろうか。


「ただの友人です。マスカレードで出逢いました。それからジョリーンの別荘について行って……」


 けれど、果たして私とウォルターの関係は「ただの友人」なのだろうか。ウォルターは明らかに友情以上のものを望んでいるのだ。


「単なる友人に国家機密を教えたのね」

 クラリッサがかぶりを振って言う。


 私は沈黙していた。何を言おうとクラリッサの疑いを晴らすのは不可能なことだ。しゃべればしゃべれば疑わしくなる。


「いいわ。これからもウォルター・クラインに会い続けなさい。その価値はあります」


「わかりました」

 私が答える。

「彼の愛人になるよう命令しているのですね」


 クラリッサが鼻で笑った。

「キャシー、その通りよ。あなたの察する通り」


「ポールにはどう説明するのです?」

 やっとのことで怒りをおさえて言う。

「あの人は私の夫です。だから、このことを知る権利がありますし、不貞を止める可能性だってあるでしょう……。この話を知ったら、あの人がどう思うことか……」


「ポールはこういうことを承知で私の縁談にのったのよ。黙って私の言うことを聞きなさい」


 ショックで口をきけなくなった。クラリッサは私を道で拾ってきた娼婦のように扱う。そして、その娼婦と血のつながった弟を結婚させたのだ。


 いくらポールの心が他のひとのところにあるとしても、いくらあの頃の私が貧乏だったとしても……

 こんなのはひどい。



 結局、私はクラリッサの命令には逆らえないのだ。ジョリーンの別荘に行き、ウォルターとの逢瀬を続けた。気を持たせるような行動をし、更なる情報を漏らすのを切実な気持ちで待ちながら。


「クラリッサがカカオーニ王国に使者を派遣したとか。キャシー、あなた何か聞いていないの?摂政の義理の妹でしょう?」

 ジョリーンはトロンとした目で、水タバコを吸いながら言った。


 薄化粧でかつらもつけていない今日の彼女はなかなか美人だ。

 ヴァイオリンの演奏に耳を傾けていたウォルターが、ジョリーンの発言にこちらを見た。


「さあ。カカオーニなんてずいぶん遠いところね。一年中雪が降るって聞いたわ」


「カカオーニでは雪は降らないさ」

 ウォルターが言う。

「それよりキャサリン、君に見せたいものがある」


 私たちが中庭に行くと、見事な白馬がいた。テラコッタ色に日焼けした馬丁が与えたりんごをかじり、顔をぶるぶるっと震わせている。


 ウォルターはジョリーンの別荘にこの白馬を置くのでいつでも乗馬したい時に乗馬していい、と言うのだ。


 私はウォルターのサプライズが思いのほか嬉しかった。もちろん巨大な体躯たいくをした馬に乗るのは怖い。でもキャサリン・トゥーチのもつ遺伝子のおかげで、乗馬は早く習得できた。それに、ウォルターと一緒に山道へと乗馬に出かけるのは楽しかった。彼は私を口説くのはやめてしまって、この国の自然と乗馬とを楽しむことにしたらしい。

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