第22話 王国の秘密

 仮面の奥から黒い濃いまつ毛と青色の瞳がのぞいた。青すぎる、と思った。まるで幾層もの氷河を煮詰めたみたい。


 彼はウォルター・クラインと名乗った。生まれつきの名か、それとも偽の名か。そんなことはわかりはしない。仮面舞踏会マスカレードではなんでもありなのだ。


「踊らずに誰を待ってるのですか」

 彼はそうたずねた。


「今夜は踊る予定はないんです。夫のある身ですから」

 丁重ていちょうに言う。


 でも私の返事は貞淑な人妻としては少し愛嬌のありすぎる反応だったようだ。ウォルターは身を乗り出して食い入るように、何かを引き出そうとするかのように、こちらを見つめている。


「そうすると、ご主人は今夜マスカレードに来ないということですね」


「ええ」

 本当は違ったがウォルターの問いかけに肯定で答えた。ポールのことを根掘り葉掘り聞かれたくなかったのだ。ウォルターが私の正体に気づけば、夫に浮気されている可哀想な妻だと思われてしまう。


 彼はしつこくはなかったけれど、口説くのをやめようともしなかった。何度移動しても、ふらりと現れるのである。


 化粧室に入ると、中央の大きな大理石の鏡の前を独占している女がいた。パステルカラーの大きな帽子に同じ色のドレスを着た女だ。帽子には大きな羽飾りがついている。腰は長年コルセットで締め上げているおかげだろう、ワイン瓶の上部のように細かった。年取っているわけでもなく、かと言って若いわけでもない。三十二、三歳だろうか。


 女は裏側の鏡を使っている女友達を相手にぺちゃくちゃお喋りをしていた。白粉おしろいで真っ白にした肌にハート形のつけぼくろを描いている最中だ。


「ウォルター・クラインは正真正銘の友達よ。あなたはずっと恋人同士なんじゃないかって疑っているけれどね……」


 知っている名前が出てきたので、聞き耳をたてた。


「信じがたいわね。だってあんな魅力的な男をあなたが放っておくかしら」

 女友達が疑わしそうに言う。


「実はずっと昔に寝たことはあるのよ。その頃はお互いにもっと若かったし。彼と寝て初めてわかったわ、私たちはまったく恋人同士なんかじゃないって。ウォルターもそう思ったみたいね。あれ以来、私たちはいい友達よ」

 女はずれてもいないかつらを直しながら言った。


 女友達は満足そうに笑った。

「噂ではウォルターは違う考え方で、あなたを狙っているそうだけれど」


「単なる噂よ。ウォルターがサンドンから私を追ってきたって考えているなら間違いよ。彼は新しいロマンスを求めて来たんだから」

 そう言ってクスクス笑う。


「それにしても陛下もウォルターに国を離れることをよくも許したわね。要職についていて……」


 そこまで噂話を聞くと広間に戻った。まさかウォルター・クラインが探し求めていた者だったとは。


 彼が寄ってくるのに時間はかからなかった。私は一人で持て余しているようなふりをして、マシュマロをホットチョコレートの中に浮かべている。


「変ね、みんながチョコレートを欲しがって、とっても高価なの」

 変な話題だ。


「その通りだね」

 ウォルターが眉を上げて言う。


 急に親しげな口調になった。

「〈庶民の画廊〉に行こう」


「まあ、どうして」

 私がクスクス笑う。


「チョコレートが見つかるから」


 ウォルターは私の手を引いて画廊に連れていった。夜は画廊に光が入らなくてほとんど真っ暗だ。


「ここなら仮面をはずしてもいい」


 二人で静かに仮面をはずした。遠くからファランドールの微かな音が聴こえてくる。


 不意に部屋に誰かが入ってきて、甲高い笑い声が響いた。女が二人。手燭をもっていて、部屋が明るくなる。ウォルターがこちらを見ていた。女たちはさっき化粧室で会った二人だ。彼は女友達が来るのを見越して、この画廊にやってきたのだろう。そうすれば口説いている女の顔を見られるから。


「ウォルター、踊らないのね」

 つけぼくろの女が言う。


 女の名前はジョリーン・マクリーンといってサンドン出身の有名な女優かつ歌手らしい。ウォルターが冗談混じりにジョリーンはサンドンの国王の愛人で、その一声で黄金の宮殿をつくることだってできるのだとか言う。


 私はウォルターとジョリーンとその連れのエイミーと一緒に馬車に乗り込んだ。ジョリーンは酔っ払ったふりをして、馴れ馴れしく私の腕にふれ、「なんてきれいなお顔」だとか、名前はなんて言うのかしら、などと言う。馬車は真夜中の街で騒音を立てながら、猛スピードで進んでゆく。


「どこに向かっているの?」

 声を張り上げて聞いた。


「ジョリーンの別荘だよ。花火を見たい?」

 ウォルターが答える。


 彼は口が堅かった。サンドンの国王に与えられた仕事もその内容も、まったく話そうとしない。


 車窓から山の上に花火が上がるのが見えた。夜空いっぱいに広がって、パン、パンと音の余韻を残しながら……


「きれいね……」

 うっとりしてしまった。花火なんていつぶりだろう……


 ウォルター・クラインは私の名前を、私はサンドンとカカオについて知りたがる。結局、私は夜が明けるまでウォルターとジョリーンの屋敷にいた。


 彼と血みどろの恋愛歌劇を観る。駆け落ちに決闘、復讐となんでもござれの劇で、ジョリーンが自分の劇団を呼んで上演させていたのだ。


「この国の貴族連中はだまされてるよ」

 ウォルターは幕間に興奮しながら言った。

「サンドンではカカオは高価なものじゃない。ただカカオーニ王国からチョコレートを輸入して他国に高く売りつけているのさ」


 彼にはたった今、どれほど重要な情報を売り渡してしまったのか気づいている様子もない。

 勝利の笑みを浮かべそうになって大変だった。遂に望みの情報が知れたのだ。


「名前を教えてくれよ。それが無理ならせめて耳飾りを」

 彼は馬車に乗り込む私に言う。


 私は微笑むと彼に耳打ちして耳飾りを手の中におさめさせた。彼は呆気にとられた顔をしてこちらを見ている。馬車が動き出した。慌ててウォルターが駆けてくる。


 私は一人馬車の中で笑い出した。

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