第1章 不倫者、勇者に選ばれる
第1話 不倫者、異世界で最初の炎を纏う
草木と土の香りがする。土手でお昼寝でもしてたっけ。日焼け止めって塗ったっけ。
そう思いながら暖かい日差しが心地よくて―――でも眩しくて、閉じていた目をそっと開いてみる。
眼前に広がる雲ひとつない綺麗な空色。何て気持ちのいい日だろう―――。もう一度このまま目を閉じてしまおうか、と思ったとき隣から穏やかな寝息が聞こえてくる。
そちらに目をやると蒼がいる。ああ、何て優しくて可愛い寝顔だろう。前に可愛いって伝えたら、「おっさんにそんな事言うなし」って少し拗ねられたっけ。
そんなところも愛おしいと思ってしまった私はきっと愚かだ。
「…あれ?」
ようやく覚醒してきた脳みそが動き出して、違和感を与えてくる。そもそも今日蒼と会っていたっけ?いや、会う日だったらその一週間前から指折り楽しみにするはずだ。記憶にないということは、蒼と約束をしていた日ではない。
―――何かがおかしい
私は上体をすぐに起こして、目線だけで周りを確認する。こんなところに来た記憶は一切ない。ついでに言うなら、私は家で旦那と眠っていたはずだ。蒼とは会っていない。
つまり。どういうこと?
―――ガサガサ
奥の茂みで何かが動いている。その音はだんだんとこちらへ近付いてくる。何が何だか分からない状態だし、何があってもおかしくない。こちらの気配を悟られないように、息を潜める。
「…あれ、ここどこ?」
タイミング悪く蒼が起きてしまった。その声を聞いたであろう茂みにいる何かが一気にこちらへ近付いてくる。とっさに手を伸ばし、今にも折れてしまいそうな木の枝をつかんだ。一瞬も逃さぬように茂みから出てきたナニカに投げつける。
『ギャオオオオオオオオ!』
聞いたこともない、地響きのような咆哮が耳を劈く。おかげでそのナニカの姿が露わになるが、それが本当に何なのか分からない。言うならば、狼の化け物だ。童話に出てくるような狼男ではなく、本当に狼が突然巨大化し、狂暴化したような化け物。
二足歩行になれば5メートルになるであろう巨体、黒と金に輝く毛並み、こちらを鋭く見る血のように赤い目。巨体に見合った巨大な牙。これが化け物でないというなら、何を化け物というのだろうか。
「え……何、アレ」
起きたばかりの蒼が混乱しているのが、ありありと伝わってくる。「走って逃げて!」と咄嗟に私が叫ぶも、指示に従ってくれる様子はない。私の声が届いていないのだ。焦燥と混乱を抱えながら、近くに落ちている石をいくつか拾う。こんなのが効くわけもない。そんなの分かっている。それでも護りたい。絶対に。彼だけは命に代えても―――!
化け物がこちらに向かってくるのに、なぜか時間が歪んでいるように見える。
護りたい気持ちが脳から体を駆け巡り、体の奥底から熱い何かが込み上げてくる。
―――今
直感的に私は石を化け物へ投げつける。石が宙に舞うと、そのまわりにパチパチと火花が生まれ―――次の瞬間には、紅蓮の炎が爆ぜた。化け物をも覆いつくす程の炎に膨れ上がったそれは、化け物を燃やし尽くして灰にした。
「…はい?」
―――決して。決してダジャレを言ったわけではない。
本当に何が起こったのか分からないのだ。石を投げただけだ。それが炎を纏うなど誰が想像できた?誰がそんなことを思いつく?
「え、綾乃?綾乃、だよね?」
「ええ、ああ、うん。私だよ、綾乃」
「今のは…何……?ここはどこ?」
「私も数分前に起きたばかりで何が何だか…」
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