友人ユリオ・ヴァレンティウス01

黒ずんだメイスの隣

白銀の長剣が燦と輝く

片や風

片や影

異なる二つの足音は

世界を越えて笑い合う

独りでは決して辿り得ぬ道

君が居たから

今ここに居る


 静謐とした空気が世界中を覆い尽くしていた。

 まるで誰一人存在していないかのような、ピタリと止まった世界。

 風も止み、ただ川の流れだけが、この場所が絵画ではないことを証明している。


 眼下に広がる家々は、急場しのぎの防柵に囲まれ、その先にはなだらかな平原と丘陵とが続いている。丘陵の中腹辺りには、騎士たちの天幕と傭兵たちの野営があり、周囲には軍旗が林立していた。

そんな様子を一人の男が砦の隅櫓から見下ろしている。彼が立つその場所は、彼ら自らが奪い取った小さな砦だった。数日前の戦いで多くの箇所が損傷し、簡単に補修が施された小さな砦ストルネア。

 その砦に立つ男の名はユリオ・ヴァレンティウス。

 肩まで伸びる栗色の髪を一つに束ねたその姿。淡い灰緑の瞳と品のある顔立ちは、ヴァレンティウス家の血を証明していた。細身ながらも動きに無駄がない所もまた、生まれの良さが現れている。

 そんな高貴な生まれとは裏腹に、今の彼が身につけている皮鎧は彼方此方が傷つき、羽織るマントは土と血の色に染まっていた。


「こちらでしたか」


 そう呼びかける力強い声には、彼への信頼の気持ちが帯びていた。声をかけた若い男は、グリムベルグ山の意匠を凝らした胸当てをしている。


「もう準備は万端だね」

「はい。今できること、貴方が導いてくれたこの地を守るため、出来うる限りの準備は整えました」

「僕が導いた訳じゃないよ。ちょっと手伝っただけさ」

「いえ、ユリオ様がいらっしゃらなければ、我々だけでは……」


 ユリオは笑みを浮かべると、再び眼下の景色へと視線を移した。遙か遠くの山稜に日が陰ろうとしている。防柵の向こうには、火を囲む人影が朧気に見えていた。


「さっきまでの喧噪が嘘のようだ」

「本当に。これからまた戦が始まるというのも、想像が付きません」

「静かすぎる」

「え……と、そうですね」

「嵐の前の、というやつさ。つまり、この静けさこそ、戦の前兆なんだよ」

「……なるほど」

「さて、どうだい。ここからなら相手の布陣もよく見えるじゃないか」


 そう言って、ユリオは砦の真正面に陣取っている騎士たちの方を向いた。


「はい。あの右翼から中心に張られている赤い天幕には、ブレシュタ侯の紋章があります。数も一番多いように見えます。それにしても、援軍なのに、いや、だからでしょうか。陣の中心にあるなんて……」

「そうだね、それで左翼にグロイナ男爵の天幕だ。数はあまりないようだね。で、その周囲には……」

「雑然と設営しているのは、傭兵のものでしょうか」

「そうだね、多分、足りない戦力を傭兵で穴埋めしているんだろう。さて、これで相手の情況と思惑が何となく分かった。やはりあの策で行こうか」


――お前の考えた策なんだろ。それなら絶対に大丈夫だ


「ハハッ」

「……どうされたんですか?」

「いや、何でもないよ。ただ……」

「ただ?」

「うん。もう一度、例の策が上手くいくか見直しておこうかな」

「そうなんですか?」

「ああ。僕の心の声がね、太鼓判を押してくれたんだ」

「それじゃあ、なぜ?」

「逆にね。何だろうね。僕に絶対の信頼を寄せてくれるからこそ、失敗したくない、って言えば良いのかな。うーん、つまり悪い意味じゃないんだよ」

「はぁ」

「さて、そろそろ皆の所に戻ろうか」


********


 この年、グロイナ男爵領で起きた小さな反乱は、燎原の火の如く男爵領一帯へと広がっていった。グロイナ男爵は代々ベルツ家が襲爵しており、八柱国オクト・コルムナエには遠く及ばないものの、かつて大陸の七割を支配した旧帝国ウェトゥスから続く名門の一つである。その名家の領土で反乱を起こしたのは、自らを"土の教団"と称する人々だった。かれらは土の精霊を信仰する者たちであり、その多くは農民など土と深く関わる生業に就いていた。

 ヒトやコボルトは、エルフやドワーフたちとは異なり、精霊から直接的な加護を受けることが出来ない。しかし一部のヒトは、精霊の力に救いを求め、その恩恵にすがるように信仰の念を抱いていた。

 だが、そうした信仰は、貴族や魔術学院といった支配者層にとって、無益な迷信でしかなかった。とりわけ魔術学院は、精霊の加護を直接受けられない代わりに、その力を抽出・活用する術を研究し、魔導器の開発を通じて独自の魔術体系を築き上げたという自負があった。そのため精霊を信仰する者たちを愚かと見なし、時に弾圧を加えることさえあった。

 今回の反乱は、そんな虐げられた人々が貧しさと差別に耐えかねて立ち上がったものである。大陸各地で同様の反乱は散発的に起きていたが、今回のそれは明らかに異なっていた。力なき農民たちの小さな反抗が組織化され、遂にはグロイナ男爵領の砦ストルネアを占領するに至ったのだ。

 何故今回の反乱がここまで大事になったのか。


 その原因――それは、一人の男の存在にあった。名は、ユリオ・ヴァレンティウス。


 彼は信仰のために参加したのではなく、ただ「弱きを助け」たいという、全く個人的な理由で"土の教団"の傭兵となり、参謀となった。元々は貴族だった筈のユリオは、何故か傭兵として、ほぼ無償で"土の教団"に雇われていた。本来であればグロイナ男爵と共に社会秩序を守る側として剣を取るはずの男は、力なき農民たちを組織し、ストルネアを奪取してしまったのである。


つづく

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