レンヴァンティルの住人

おおぬきはじめ

塔の魔女エンメ・カリリ

 ヒトは言う。

 レンヴァンティルの何処か、とある大陸の地の果てとも、太陽の東、月の西にあるとも言われる幻の塔には、不老不死の魔女が住んでいる、と。


 ヒトは言う。

 夢の中でしか辿り着けないその塔に住む魔女は、魔術学院の中央評議会、八賢者オクト・セイジズの一人"夢読みの魔眼師"である、と。


 だが誰も見たことがない。その塔の扉が開いた瞬間を。


 これはそんな幻の塔での物語。


 その空間は夜の帳の下で、夢の名残が淡く瞬くような場所だった。その一角の何もないはずの空間から、まるで扉が開いたかのように一人の少女が現れた。朝露よりも静かに金髪を揺らしつつ、忘れられた夢の中から来たかのように、フワリフワリと歩みを進めながら、風も音も忘れたような足取りで、とはいえ、その足は、確かに「大切な何か」を伝えるためのものだった。


「大変です。カリリ様の書庫に入ろうとしている者たちが居ます」


 すると、彼女の言葉に反応して、誰も居ないと思われたその場所に三つの影が現れた。その一つの影が色濃くなるにつれて、せわしなく話し始めた。


「え、何だって、それはホントに大変だ、カリリ様を起こさなきゃ。僕が起こした方が良いのかな、ううん、誰か代わりに行ってくれないかい? だってカリリ様、時々寝起きがすごく悪いこともあるからね。僕はカリリ様の不機嫌そうな顔を見るのは苦手なんだ、ねえ、誰か頼むよ」


 そう話し続ける色濃い影は、まるで子供のエルフのような輪郭になっていく……その正体はレプラコーンだった。楽しいことといらずらが大好きな小さな種族である。

 もう一つの薄ボンヤリした影は、微かな影のまま、おしゃべりなレプラコーンの影に告げた。


「クッカ、落ち着いて。私が行きます」


 微かな影は、そう言ってひとつ息をつくと、静かに言葉を紡いだ。


「それよりも本当なんだね、レム。まさか勘違いでカリリ様の安らかなる眠りを妨げるなんてことは許されませんよ」


 話し終える頃には彼女の姿もハッキリとしていた。雪のような白い肌に、艶やかなビロードのようにしっとりと輝く黒髪の女性だった。顔立ちは幼いとはいえ、白いローブをまとったその姿は大魔女の風格すら漂わせている。


「私は"夢の番人"です。勘違いなんて事はありません」


 フワリフワリと美しい金髪を揺らしながら危機を伝えに来た少女は、そのゆったりした雰囲気とは裏腹に、ハッキリと断言した。


「そうだよ、レムが勘違いなんてすることないんだ。ユリル、ホントはカリリ様を起こしに行きたくないんじゃないかい」


 クッカと呼ばれるレプラコーンの言葉はまるで湧き水だ。


「クッカは黙っていて」

「僕に黙れって言うのかい、ユリル。それは僕にとって、息をするなって言ってるようなものだって、君も知っているだろう?」


 他の皆が話している中、ずっと沈黙を保っていた影から、月明かりに照らされて静かに凪ぐ夜の海のように落ち着いた声が聞こえてきた。


「みなさん、静かにしてください」


 最後の影は、コボルトの少年だった。片膝を立てて地べたに座っている。コボルトの中では短毛種だろうか、柔らかそうな薄墨色の短い毛並みがとても美しく、ツンとした鼻と理性的な瞳から、若い見た目ながら落ち着いた性格だと言うことがすぐに分かる。


「これじゃあ起こしに行く以前に、カリリ様が目覚めちゃいますよ。僕が行きます」


 彼はそう言うとスッと立ち上がって、皆が居る場所からゆっくりと離れていった。

 仄暗い地面をしっかりした足取りで歩いて行くと、いつの間にか彼の前には小さな祭壇が現れた。その祭壇には、真ん中にヒトの頭位の大きさをした黒水晶と、それを挟むように二本の蝋燭が立っている。

 コボルトの少年は二本の蝋燭に火をともすと、ゆったりと揺らぎ始める小さな火に囲まれた黒水晶に向かって囁いた。


「カリリ様、カリリ様、僕です、ナオです。起きてください。レムがカリリ様にお伝えしたいことがあるみたいです」


********


 ナオが黒水晶に呼びかけてから、どれ位の時間が過ぎたのだろう。ナオは祭壇から離れて、皆が居る元の場所に戻ってきていた。


「ほら、やっぱりカリリ様、きっとご機嫌ナナメなんだ。僕には分かるよ。本当はもっとずっと長くお休みになってるはずなのに。だってそうじゃないか、いつもならナオが起こしたら、すぐに起きてく……あっ」


 クッカがおしゃべりをしていると、真っ暗だった地面に幾重もの円の光が浮かび上がり、円と円の間には魔法文字と妖精文字が現れた。魔方陣である。

 仄暗かったその空間を朝日のような柔らかな光が包み込むと、魔方陣の中心に人影が現れた。


「フアァ、おはよう、みんな」


 陽光のように輝く金色の長髪に寝癖が付いたままの姿で現れたのは、この塔の主人である魔女、エンメ・カリリだった。均整のとれた四肢に一糸まとわぬその姿は、理想の姿を彫刻したかの如くであった。


「カリリ様!」

「カリリ様、お待ちしておりました」

「おはようございます、カリリ様」


 三者三様に魔女を迎えるその言葉とは裏腹に、皆、同じように嬉しさが滲んでいる。

 

「カリリ様、カリリ様はおっちょこちょいだ。寝起きのままですぐここにいらっしゃった!」

「クッカのおしゃべりを聞いていると、目が覚めたって実感できるね」

「もう、カリリ様。予定にはない時間のお目覚めとはいえ、身だしなみはちゃんとしてください」


 ユリルは口をとがらせながらエンメ・カリリの前まで歩み寄って、


「バクルム・カールム、ヴェニ」


 そう魔法を唱えると、彼女の右手に杖が現れた。

 ユリルがその杖をエンメ・カリリに向けようとした丁度その時、まるでそれが合図だったかのように、エンメ・カリリの寝癖の辺りから何かが現れた。穏やかな風と共にミモザの香りを漂わせながら、くるりくるりと現れたそれは、クッカよりも更にずっと小さくて、背中に虹色の羽を持っている……ニアリムという種族だった。


「やっぁりユリル」

「ちゃんと話してください、ネネ。あなたもカリリ様とお休みしていたの?」


 ネネと呼ばれたニアリムは、ユリルの言葉を意に介することなく、エンメ・カリリの周りをくるりくるりと漂っている。


「もう、まあいいわ。カリリ様、いつものお召し物で良いですね」

「ありがとう、ユリル」


 エンメ・カリリの言葉を受けて、ユリルは軽く頷くと、杖を掲げながらその場でくるりと一回転した。その回転と共に、彼女の杖もふわっと光を帯びていく。


「我が主の衣、現れよ」


 彼女の杖がもう一度エンメ・カリリに向かうと、エンメ・カリリの美しい形姿は紫檀色のローブに包まれた。


「おっと、これも忘れちゃ行けない」


 エンメ・カリリはシルバリウムの木で造られた細長いパイプと、パイプ草が詰まった麻袋を導き出した。


「ネネ」


 ふわふわと漂っていたネネは、自分と同じ位の大きさの麻袋を受け取って、乾燥したリュナシア草を取り出すと、パイプ草としてボウルに詰め出した。ぐいっぐいっと均等にパイプ草を詰め終えると、両足をカツンとぶつけて火花を出して、パイプ草に火を付けた。

 エンメ・カリリは優雅にパイプの煙を吸い込むと、ゆっくりと口の中で転がして、その薫りを思う存分に愉しんだ。

 そんなエンメ・カリリの様子を満足そうに見ていた彼女の弟子たちは、彼女がすっかりいつもの様子に戻ったと分かった途端、待ってましたとばかり思い思いに話し始めた。


「カリリ様、カリリ様、僕の話を聞いておくれよ。レムと一緒に色んなヒトの夢を見たんだ。その中でもね、とびきり面白いお話があるんだ、カリリ様に聴いて欲しいんだ」

「ちょっと待って、クッカ。それなら僕だって、カリリ様に教わった魔法が上手にできるようになったから、ぜひ観てもらいたいよ」

「二人の四方山話よりも、この間の会議のお話を聞いていただけますか。土の教団がまた騒ぎを起こしたようなんです。それに対しバステリア師が強硬な発言をされて、大変なことになっています。フェルディオール師も乗り気になってしまっていて……カリリ様のお知恵をお借りしたいのです」


 エンメ・カリリは皆の話を聞きながら、ゆっくりと歩き出した。全員の視線を集めつつ歩んだ先には、何か言いたげなレムが立っていた。


「フフッ、みんな私を待ってくれていたんだね。でも、まずは、レムのお話を聞こうか。どうしたの、レム?」

「はい、カリリ様」


 レムは少し誇らしげな表情で、エンメ・カリリに応えた。


「ヒトとエルフとノームの冒険者が、カリリ様の書庫に足を踏み入れています」

「ふぅん、それは珍しいね、どれどれ」


 エンメ・カリリはふわふわしたレムの金髪を優しく撫でつける。


「これをご覧ください」


 レムはエンメ・カリリの左手を心地よく感じながら、目の前に新たな光を浮かび上がらせた。その光は徐々に安定していくと、そこに冒険者らしき一団が現れた。


「おや」

「どうしました、カリリ様」

「この赤毛の男の子、どこかで」

「その子なら知ってるよ、カリリ様。赤毛のオッシ。今、色んなヒトが彼の夢を見てるよ。確か、詩もあったかな、えーっと」


 クッカが思案していると、ユリルは右手を胸に当てて謳いだした。


"見たか

赤毛の男が歩いてたぞ

次にあらわるは何処いずこの街か

古き迷宮の最奥さいおう

風も知らぬの行く先

炎が灯すの行く末

水が導くその未来

大地が見守るの背中"


「あぁ、僕が謳おうと思ったのに、ユリル、ずるいや。でもよく知ってたね!」

「確かに最近耳にする冒険者です。吟遊詩人たちの受けが良く、彼の詩は街に溢れ始めています。しかしながら、カリリ様のお耳に入るほどでは……」

「うーん、そうだね、ユリルの歌声は素敵だったけど、知らない詩だったよ」

「ありがとうございます」


 すると、ネネが赤毛の冒険者に興味を持ったらしく、レムが映し出す映像の周りを回りながら話し出した。


「カリリ様、あのね、この子は風に好かれてる、水にも。なぜかな、風の子。カリリ様、とても良い風を感じるの」

「ネネがそう言うのかい。フフ、それは面白いね」


 エンメ・カリリもどこか引っかかる赤毛の冒険者に対して、更に興味を持ったらしい。


「さて、彼はこれから何を見て何を感じ、そして無事にここまで来られるかな」


 塔の魔女エンメ・カリリが目覚めてから、まるで広い平原のようにうららかな日差しに包まれているこの場所で、彼女と彼女の弟子たちは、赤毛の冒険者の来訪を待つことにした。 

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