雨と歌えば
九戸政景@
本文
激しく降りしきる雨の平日、傘を差しながら僕は一人で帰っていた。雨は傘を突くように強く降り、雨粒は傘を楽器のようにして音を鳴らす。これを芸術のようだと評する人はいるのかもしれないけれど、今の僕にはそう思うほどの気持ちの余裕はなかった。
「はあ、どうしてこんなことになったんだろう……」
道路に次々と出来ていくシミのように黒くなる僕の心に染み付いているのは学校での出来事。僕が好きだった女の子が親友だと思っていたクラスメートに告白されて幸せそうにしているその笑顔。それが僕に向けられていない事も辛かったけれど、色々相談をしていたはずの彼が告白をしていた事がやっぱりショックだった。
「……これからどんな顔をして会えばいいのかわからないや」
辛い気持ちは心に雨を降らせる。涙の雨で濡れた心は水を多く含んだ土のようにグジュグジュで、踏み込んだら最後の底無し沼のようになって僕の事を飲み込もうとする。でも、そのまま飲み込まれて泥に溺れるのもいいのかもしれない。泥だらけじゃなくても僕を見てくれる人なんていないんだから。それなら必要とされない僕なんて陽も届かずに冷たく暗い泥の中に沈んでいけばいいのだ。
「あ……ここ、公園が出来てたんだ」
気づくと僕は知らない公園に来ていた。家に向けて歩いていたつもりだったけれど、どうやらいつの間にか知らない道を歩いていたようだった。
「……あれ? 何か聞こえる……?」
強い雨の中。それに紛れて聞こえてくる音があった。よく聞けばそれは歌で、可愛らしい声でありながら力強さもあり、雨の音にも負けない程に楽しそうに歌うその歌声は何故だか僕を惹き付けてやまなかった。
「ちょっとだけ。ちょっとだけ見てみよう」
どうしてそんな事を思ったのかはわからない。でも、僕の足は自ずと公園の中に入っていき、雨で濡れた地面がすっかりどろどろになっている中を僕は歩いた。すると、一人の女の子の姿が見え始めた。
「あの子が、この歌を……」
どこのかはわからない制服を身にまとった茶色のポニーテールのその子は、手を広げながらくるりくるりと回って歌っている。雨に濡れて寒いはずなのにそれすら感じさせずにその子はただ旋律を口ずさみ、紡がれる詩は一歩また一歩と僕をその子に近付かせた。
「あの……」
「……ん? 君は誰?」
「えっと、その……」
「もしかして、君も雨と一緒に歌いに来たのかな?」
「雨と一緒に歌う……?」
その子は太陽のような明るい笑みを浮かべながら大きく頷く。
「うんっ! 雨のオーケストラに合わせて歌いに来たのかなと思ったんだ」
「雨のオーケストラ……君は詩的な表現が出来るんだね。今の僕にはそんな気持ちの余裕はないけれど」
「どうして?」
「それは……」
理由を話そうとして口をつぐむ。この子に話したところで解決するわけじゃない。だから口をつぐんだけれど、その子は笑みを浮かべたままで僕の手を取った。
「えっ……?」
「君も一緒に歌おうよ!」
「え、でも……」
「いいからいいから! ほらっ!」
「え、ちょっ……!」
僕の手から傘が離れ、傘がパサリと地面に落ちる中、その子は僕の手を引いて雨の中へと誘う。傘が無くなった事で僕の身体も濡れ始め、水を含み始めた服の重さと濡れていく事で冷たくなっていく身体の感触はそういいものではなかった。でも、何故だろう。少しずつ気持ちが上向きになっていくのは。
「何があったのかはわからないけどさ。このまま雨と一緒に歌って水に流してしまえばみんな笑顔じゃない?」
「そう……かな」
「そうだよ。ほら、一緒に歌おうよ!」
その子に促されて僕も歌い始める。その子が歌っていたのは知らない歌だからその後に続いて歌う形になったけれど、雨に濡れながら歌うのは何故だか心地よく、次第に気持ちも軽くなっていった。
「どうして……」
「ふふ、雨って不思議だよね。色々な災害の原因にもなったり風邪を引く理由になったりするけど、それと同時に植物を育てたりみんなを楽しませるオーケストラになったりもする。だから、私は雨が好き。君はどう?」
「僕は……」
正直雨はそんなに好きじゃない。でも、不思議と雨が心地よいものに思えてきて、見つめてくる彼女に対して僕は自然に頷いていた。
「僕も好き、かも……」
「ふふっ、よかった。さあ時間が許す限りにいっぱい歌おう。雨と歌えばきっと大丈夫だから」
「うん」
そして僕達は雨に濡れながら歌い続けた。二人きりの公園。それは雨の演奏で歌う僕達二人だけのステージであり、それがとても気持ちを高ぶらせた。恋にも友情にも破れた事すら忘れさせるくらいに。そうして僕達のステージはしばらく続き、雨と一緒に歌いながら心の泥が流れていく事で僕の心も軽くなっていった。
「ああ、楽しかったあ……!」
雨が弱くなり、そのまま止んで太陽が見え始めた頃、彼女は心底楽しそうに言った。僕達の制服も身体もすっかりびちょびちょで、冷たくて少し気持ち悪さを感じたけれど、気持ちはすっかり晴れ渡っていた。
「たしかに楽しかったかも……」
「だよね! 私、こうやって雨の日に歌うのが好きなんだけど、今日はこれまでで一番楽しかったよ!」
「そ、そっか」
「突然誘ったのに一緒に歌ってくれてありがとう! 君と一緒に雨の中で歌えてよかった! また一緒に歌いたいな!」
「う、うん……僕も歌えたらいいな」
そんな事はないとわかっていながらも僕は言う。そして彼女と別れた後、家に帰ると案の定母さんに怒られた。傘を持っていったのにずぶ濡れで帰ってきたのだから当然だろう。
「はあー……それにしても、不思議な出会いだったなあ」
お風呂に入って身体を温め、夕ごはんが出来るまでテレビでも観ていようと思ってリビングに来ると、父さんがニュースを観ていた。
「何のニュースやってるの?」
「ん? ああ、アイドルグループのメンバーが引退するからその会見だ」
「へー、そうなんだね」
アイドルの引退はよくあることだろう。そんな事を考えながらテレビを観た時、そこに映っている姿に僕は驚いた。
「えっ……」
それは一緒に公園で歌ったあの子だったのだ。
『突然の引退ですが、何か理由でもあるんですか?』
『はい。以前から考えていた事ですが、今日になってそれがいいと決めたんです。アイドルとして歌って踊る事は好きですが、もっと一緒に歌いたい相手が出来たので!』
その言葉に会場はどよめき、カメラのフラッシュが何度も焚かれる。背後にいるマネージャーらしき人が大きくため息をつく中、あの子はこちらに向かって笑みを浮かべながらウインクをした。
「おっ、最後のファンサービスかな」
「そ、そうかもね……」
まさかとは思うし、僕だと思うのはおこがましいとも思う。もしかしたらあの子に似た他の女の子だったかもしれないから。そんな事を思っていた時、彼女はニッと笑いながら手を振ってきた。
『おーい! また雨と一緒に歌おうねー!』
「不思議なことを言う子だな。お前もそう思うだろ?」
「う、うん……」
父さんの言葉に答えながら僕は冷や汗をかいていた。そしてその後も会見を観ていたが、あの出会いがまさか僕の人生を大きく変える出会いになっていたとはこの時の僕は知るよしもなかった。
雨と歌えば 九戸政景@ @2012712
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