1-3.外出

 来たことのある道はすでに過ぎ去っていた。この先はステラにとって未知である。

「なんだか、全部大きいね……」

 周囲を確認しながらステラが言う。

「私が生まれる、うんと昔からある森だからね。それなりの年を食って自然も成長している。ウェンティが年を気にするから、正確な年月はわからないが」

 ステラの言葉にヴァニタスがそう返すと、ウェンティは少しばつの悪そうな顔をして声を発した。


「そんなことより、ここから少し獰猛な獣が巣食っているから注意が必要です。気を抜きすぎないようにお願いしますね」

 ヴァニタスに対して少し強く出た言葉に間を置かず、大きな音が鳴った。

 

「何……!?」

 空気を震わせるほどの音が、森全体に響き渡り、ステラは思わず身をかがめ、両耳を手で塞いだ。

 ズウン、と鈍い音が幾つかすると、木の幹ほどにもある太い体躯の熊が、三人の前に姿を現した。ステラは初めて見る獣に少したじろぐ。友人たちとは違う、明らかな敵意を向けた野獣に、身体が警鐘を鳴らしていた。


「珍しい、スカーベアか。この季節は眠りについているはずだが」

 ただ飄々と会話を続けるヴァニタスに、ステラは驚きを隠せずに問いかける。

「母さん、なんでそんなに普通にしてるの」

「ん? 別に何もおかしいことはないだろう。ウェンティが居るのだし」

 そういって大熊の方を指した母の指の先を目で追う。


「大人しくなさい、そう軽く気を荒げない」

 毅然とした態度で大熊に対し圧をかける。荒々しく息巻いていた獣は一転、怯えた様子で縮こまってしまった。

「悪さを起こさなければ私も厳しくは致しません。事情を」

 熊は命令に応えるよう、くぅん、と何度か鳴いていた。


「うん……なるほど……冬を越すための食糧が少し足りない、ですか。では、少しばかり施しましょう」

 そう言いながら様々な木の実を自身の腕から生み出してく。頂点に立つかの如き態度のウェンティに、ステラは少しの畏敬を覚えた。

「では、先に進みましょうか。もうすぐ抜けますよ」


 川を越えて、いっそう茂る巨木を乗り越えながら、ステラは期待に胸を膨らませていた。

 先刻の大熊然り、自分が住んでいた森の中ですら知らないものがあるというのに、外界はこれと比べ物にならないほど広い世界であるということは、未知に心が躍らないわけがない。ステラはそういう子であった。

 ヴァニタスは外の世界を自分から教えることは無かったが、ジークはステラに外の世界の話をよくしていた。森とは違う、広がった未知。話を聞いたステラは、次第に思いを募らせていた。しかし、森を出ることは、しなかった。


 母の言いつけだったからだ。ジークも、それを承知していた。そうしてステラもそういうものだと納得していた。

 森がステラの全てだった。趣味も生活も友人も、ステラにとっては森であった。ここから先の未来も森で暮らすことは変わらないのかもしれない。外に出ることで何かが変わるかもしれない。

 それでも、森がステラの全てであったことは変わらない。そんなことを思いながら歩いていく。森がステラを見送ってくれている。



 その森を、今抜けた。



 先には広大な平野が広がっていた。吹き抜ける風と照り付ける太陽、まっさらに広がるひらけた土地、全てが心地の良いものだった。

「っっすっごい……! すっごいよ! 母さん!」

 思わず息を吐くかのような感嘆の声が零れる。

 強張っていた身体は、いつの間にか解き放たれたような感覚に震えていた。

 木漏れ日ではない、ありのままで差し込んでくる陽光も、頬を撫でる柔らかな風も、その全てが、彼女の来訪を祝福していた。


 外だ。ここが、外界だ。ステラにとって、生涯に初の感覚である。


「すごいよ!! 森の外って、こんなに広かったんだ!!」

「思った通りの興奮具合だねえ。想像はしてたが、ここまで喜ぶんならこっちまで嬉しくなってしまうよ」

 娘の喜びようにヴァニタスの声からも少し高揚を感じられた。ウェンティはそれに気づくと、諫めるように言葉を投げる。


「あなたまで羽目を外さないように、お願いしますよ」

「わかっているとも、十分に気を張るさ」

 そう言いながらも、声には嬉しさが表れていた。

「ステラ、感動するのもわかるけどね、今日の目的を忘れちゃいけないよ。もう目的地も見えてるんだ。早く向かうとしよう」

 その言葉に促されステラが辺りを見回すと、少し先にある低地の中心に、家屋が点在しているのが見えた。


「あれが今回の目的地、アルバ村だよ。ウェンティもここまでご苦労だったね」

そう言いながら母は木精霊の方へと体を返した。

「いえ、わたしも楽しかったです。同行できないのが心苦しいほどに……ステラ、ヴァニタス、ここから先お気を付けて」

 そう言って残念そうにしながら、ウェンティはふわりと姿を消した。


「あれが、アルバ村……」

ステラは母とウェンティの言葉が耳に入らないほど、初めて見る村というものに見惚れてしまっていた。自分の家しか知らないステラにとって、複数の家屋だけでも好奇の対象だった。

「……はっ、母さん待ってよー!!」

 そうして少しの間呆けていたが、母が歩き出したことに気づくと、後を追うように走り出した。

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