かつての冒険者よ

出海マーチ

かつての冒険者よ


かつての冒険者よ。


君はまだあの小さな家を覚えているだろうか。


はるか昔のブリタニア大陸。


君はラットマンバレーを毎日訪れた。


木々に行く手を阻まれながら広大な谷底を歩き回った。


ラットマンやオークに追い回され、何度もPKに殺された。


それでも汗と血に濡れた手で剣を握りながら、わずかなゴールドを持ち帰って貯め続けた。


半年以上かかってようやくYewの東の森に小さな家を建てることができた。


名前は「ラットマンハウス」。


あの忌々しいラットマンたちのおかげで建てられた家だ。


君が苦労の末、手に入れた宝物だ。


すぐ西側に仲間たちの笑い声が響くギルドハウスがある。


夜な夜な焚き火を囲み、酒を酌み交わし、冒険の計画を立てた。


疲れると隣のラットマンハウスに帰って眠った。


そうして数年が経った。


時は無情だ。


仲間たちは一人また一人と姿を消し、ギルドハウスは静まり返っていく。


君もある日、とうとう引退を決めた。


ラットマンハウスはそのまま残し、アカウントを削除した。


家が腐って消えるのはわかっていたけれど、君は自然に任せようと思ったのだ。


思い出はあの土地に刻まれている。それで十分だった。



それから20年以上が過ぎた。


2024年の春、ふとしたきっかけでウルティマオンラインのことを思い出した。


古いアカウントはもう存在しない。


新たな名でブリタニアに降り立った君は、懐かしさに導かれるまま、Yewの東を目指した。


ラットマンハウスがあった場所。


そこに着いた時、君は目を疑った。


小さな家が、まるで時間が止まったかのようにそこに建っていたのだ。


隣のギルドハウスは跡形もない。


ただ森の風が吹くだけ。


なのに、ラットマンハウスだけが、20年前と変わらず佇んでいる。


屋根の苔、木の扉の傷まで、君の記憶そのものだった。


「他のプレイヤーが同じ場所に建てたのか?」


半信半疑でドアをノックした。


すると、軋む音とともに扉が開き、そこに立っていたのは――ラットマンだった。


毛むくじゃらの顔、鋭い目。なのに、その口から信じられない言葉が漏れた。


「おかえりなさい、主さま」


君は言葉を失った。


ラットマンがこんな言葉を話すはずがない。


この世界のモンスターは、ただ唸り、襲いかかるだけだ。


なのに、そいつは穏やかに君を見つめ、まるで旧友のように微笑んでいるように見えた。


「主さまが去ってからも、この家を守ってきたよ。他の誰もここを壊せなかった。ラットマンハウスは、主さまのものだからね」


その言葉に、胸の奥が熱くなった。


20年以上もの間、この家はどうやって残ったのか。


システムのバグか、GMの気まぐれか。


それとも、君の知らない何かがこの家を守ったのか。


ラットマンは語らない。


ただ、そっと扉を開け、君を中に招き入れた。



家の中は、まるで昨日まで暮らしていたかのようだった。


粗末な木のテーブル、壁に掛けた古い剣。

全てが昔のまま。


窓から差し込む光が、埃を照らし、懐かしい匂いが鼻をついた。


君は椅子に腰を下ろし、ラットマンが差し出した水を飲んだ。


妙な気分だった。


モンスターと酒ならぬ水を酌み交わすなんて。


「なぜだ?」 君は尋ねた。「なぜお前がここに? なぜこの家が?」


ラットマンは小さく笑った。


「主さまがこの家を愛していたからさ。ラットマンでもほんの少しだけ、その気持ちがわかるラットマンがいたんだ。だからバレーの仲間たちと別れてここに来た。主さまが戻るのをずっと待ってたんだ」


その夜、君はラットマンハウスで過ごした。


ラットマンは静かに家の外を見張り、君はかつての冒険を思い出していた。


仲間たちの笑顔、戦いの興奮、そしてこの小さな家に帰る安堵。


全てがここに詰まっていた。


翌朝、君は新たな決意を胸に家を出た。


この世界で、また一から始めるつもりだ。


ラットマンハウスはずっと君の大事な拠点だ。


けれどそれは過去の君のものだ。


今の君のものではない。



ラットマンは扉の前で小さく手を振った。


「また帰ってきてね、主さま」


君は振り返り、そして笑った。


「ああ、必ずな」

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