契約の鍵〈1〉


「この箱だったかなぁ」


(たしかまだ織布が何枚かあったはずよね?)


 リハルは手仕事部屋の隅に置いてあった横長で蓋付きの籠を開けた。


 中には以前、織ったまま仕立てていない布地が数枚入っていた。

 木綿や麻、絹や毛織物といった素材が使われている種類の中で、リハルは綿毛の糸と水鳥の羽毛を混ぜて織り込んだ布を取り出した。


 織り上がってから一年以上が経っていたが、白い水鳥の羽毛と淡いラベンダー色に染めた綿毛糸は色褪せもなく、ふわっふわな触り心地でとても軽く、触れているとポカポカと温かくなる。


 広げれば肩掛けや膝掛け、腰に巻いても良い大きさだ。


 ロルーナは産後の獣人女性。

 体の冷えを感じたときに使ってもらえたらよいのではと思い、リハルはこの布を仕立てて出産祝いの贈り物に加えることにした。



 そして翌々日。


 ダグラスとユノセルが来る日となった。



 リハルは約束の時間に間に合うように、ポポを黄昏森の入り口へ向かわせた。


 その間、今朝はまだ確認していなかった光車の様子を見に行く。


 円形に置かれた光車の中央に、春明かりを集める受け皿がある。


 春明かりが充分に溜まると皿に変化が起こるのだが。まだそれはない。


 幸いにも晴れの日が続いている。このまま天候が良ければ、あと二、三日もすれば変化があるだろう。



 ───さて。お茶の支度はできているから、玄関でお出迎えしていよう。



 今朝は早起きしてダグラスの好きなチーズマドレーヌを焼いたのだ。


 ユノセルさんはどんなお菓子が好きかしら。


 そんなことを思いながらリハルが表玄関へ向かい、しばらく待っていると、パタパタと翼をはためかせてこちらに飛んで来る赤紫色のコウモリの姿が見えた。


「ポポ、ご苦労さま」


 ポポはリハルの頭の上にペタリと張り付いた。


 前方ではユノセルとダグラスが蔓黒薔薇のアーチをくぐり、木漏れび館の敷地内へ入って来るところだった。


「いらっしゃい、じぃじ。ユノセルさんも。……えっと。その格好は……?」


 ダグラスは普段着だが、ユノセルは先日と違い、格式のある正装姿でリハルを驚かせた。


「契約の儀は特別なことだから正装でと師匠に言われました。師匠のときも正装だったと聞いてますが?」


「……ああ、そうでしたけど。でも必ずと決めているわけではないのですが」


「気にするな、リハル」


 ダグラスが言った。


「こちらの誠意だと思ってくれ」


「わかったわ、お気遣いありがとう。ユノセルさんも、とてもよく似合ってますね」


 銀騎士団の正装服は上下とも黒を基調とした衣装で、左肩に掛けるように着ている丈の短い外套マントは紺色だ。

 そのほかに肩章やボタンは銀色。更に左肩から前部にかけて吊るされている飾り紐の飾緒も複雑に編んだ銀糸が使われるなど、装飾はすべて銀色に統一されている。


 闇夜の月光をイメージさせる装いは美しさもあるが、見る者に緊張感をも与える。


 ユノセルに至っては彼の風貌、雰囲気からして威圧感も倍増である。


 けれど彼には黒や紺、そして銀の色合いがとてもよく似合っているとリハルは思った。


 ユノセルは相変わらず眼光鋭く氷のような冷め顔だったが、リハルの言葉を受けた途端、驚いたように瞬くと視線を逸らした。


(私、なにか気に触ること言ったかしら?)


 険しい表情を残しつつも。一瞬、彼の態度から感じたもの。


 とても似合ってると言っただけなのに。


 ───ん? ……まさかこれは。


 とてもわかりにくいけど。もしや照れてる?


 リハルはおもわずじぃっと、ユノセルを見上げた。


「ふははははっ!」


 そんな二人の様子を交互に見つめながら、ダグラスが声をあげて笑った。


「なによ、じぃじ」


「ああ、すまない」


「なんで笑うのよ?」


「こいつの正装を見て「とてもよく似合ってる」なんて言えるのは、おまえさんだけだと思ったら、なんだか俺は嬉しくてな」


「嬉しい?」


「ああ。大概は恐ろしさ倍増で言葉を失う奴ばかりだ。暗黒魔王の降臨だと言って、からかう奴もいる」


「なにそれ、ひどいわね。私は本当に似合ってると思うから言っただけよ」


 こう言って、もう一度ユノセルを見ると。


「……それは……どうも……」


 ユノセルは伏し目がちのまま、ぼそっと言った。


(えー、えー。なによその顔! やっぱり照れているのじゃない?)


 予想外の反応をもっと見ていたい気もするリハルだったが。これ以上、この話には触れない方がよさそうだとも感じる。


「───さぁ、二人とも。立ち話もなんだから屋敷の中へどうぞ」


 リハルは館へと歩き出しながら、横に並ぶダグラスに話しかけた。


「腰の具合はどうなの?」


「そりゃこの通り、しっかり歩いているだろう?おまえさんがユノに持たせてくれた湿布薬のおかげだ」


(へぇ。じぃじはユノセルさんのこと、ユノって呼んでるんだ)


『ユノ呼び』も、なんだかいいなと思うリハルだった。


「しかしなぁ。よく効くことは確かだか、あの匂いがなぁ、なんとかならんのか?」


「ならないわよ。一日で痛みもとれて動けるようになるんだから。臭いくらい我慢してちょうだい。薬の世話にならないように無理しないで気をつけることを考えてよね。もういい歳なんだから」


「おいおい、その口調。ミランダに似てきたなぁ」


「あら、それはとても嬉しいわ」


 リハルの返事に、ダグラスは目を細めながら「はっはっは!」と笑った。



♢♢♢


 お茶とお菓子で二人をもてなしながら、リハルはユノセルに護封儀仕事の話をした。


 今月予定している『春の護封儀』についての説明もしたのだが。


 ユノセルが初めて聞くであろう〈春明かり〉や〈影溜まり〉という言葉について、いくつか質問があり答えたが。

 春明かりに関しては光車を見てもらったほうがいいかもしれないとリハルは思った。


「このまえ、ユノセルさんに運び出してもらった箱の中に〈春明かり〉を集める道具があって。ヒカリグルマというんですけど、これから見てみませんか?」


「はい、是非」


「じぃじも行く?」


「わしは見慣れてるからいいよ。ここで美味いチーズマドレーヌを食べてる方がいい」


「わかったわ。じゃあユノセルさん、どうぞ裏庭へ」



 リハルは立ち上がりユノセルを裏庭へ案内した。



 裏庭に設置した光車を目にしたユノセルは、驚きの表情をみせた。



「これは……不思議な装置ですね。でもとても美しい」


 こう言って、しばらく見入っていたユノセルだったが、何かに気付いた様子でリハルに尋ねた。


「リハルさんはひとりでこの石台を箱から出して並べたのですか?」


「ええ、そうですけど」


「次からは私が並べます。片付けや箱へ戻す作業も自分にやらせてください」


「はぁ……。でもあれ、重いですよ?」


「重いから手伝うんです」


「……ありがとうございます。ではまたそのときにお願いしますね。春明かりは、あと二、三日で集め終わると思います。北方へ向かう日程の計画もしたいので、ユノセルさんの予定とか都合の悪い日があれば、来週中でいいので知らせてくださいね。仕事のことでほかに何か質問とかありますか?」


「いえ、とくには。それに師匠が言ってました。護封儀は経験してみることが大事だと。予定通りに進むこともあれば問題が出てくる場合もあるからと」


「そうですね」


「役に立てるよう励みます」


「こちらこそ、よろしくお願いします。───それじゃあ戻りましょう。そういえば、あれから体の不調症状はどうでした?」


 歩きながら尋ね、リハルはふと気付く。


 ユノセルが自分の歩調に合わせて歩いていることに。


 気付かずに過ぎてしまうような小さな事だけど。


 光車の石台を並べたり片付ける作業を手伝うと言ったり。


 見た目は恐いけど、優しさのある人だと確信する。


「夜に倦怠感が増してましたが、リハルさんの解呪薬が効いたので眠れました」


「そうですか、よかったです。それであの、話は変わりますがユノセルさんの好きなお茶菓子はなんですか?」


「えっ。お茶菓子、ですか?」


「あまり食べませんか?苦手とか?」


「いえ、苦手ではありませんが……。詳しくもないので。屋敷でときどき、食後に用意されたものを食べるくらいです」


「デザート的な?」


「ええ、たまには甘いものも必要だと言って、使用人が作ってくれます」



(ふむふむ。料理もできる使用人がいるお屋敷にお住まいなのね)


「さっき頂いたチーズマドレーヌはとても美味しかったです」


「あれはじぃじがとても好きなお菓子なんですよ。私、菓子作りが趣味で週末にだけ作って販売してるんです。お客さまは人外さんばかりで、気まぐれ気分の自由営業ですけどね」


「それは私でも買えますか?」


「ぇ、あぁ……はい。来ていただければ……」


 ユノセルさんがお菓子を買いに?


 わざわざここまで?


 思ってもみなかった質問だ。


「───あ、でもここへ来るには契約の鍵が必要でしたね。まだ契約も済んでいないのに、早まった判断でした」


(………真面目だなぁ)


 表情は恐いけど。


「いいえ、お気になさらず。このあと早速、契約を交わすことにしましょう」


 リハルとユノセルは庭を後にした。



♢♢♢


 ユノセルとの契約を交わす前に、ダグラスとの契約を解除しなければならない。


 リハルはまずダグラスを館の一室に入ってもらった。


 そこは天井に小さな丸窓がある小部屋で、明かりはその丸窓からほんの少しだけ降りてくる陽光だけなので、室内はかなり薄暗い。


 家具と呼べるものは部屋の隅に置かれた扉付きの真っ黒なキャビネットと、部屋の真ん中に置かれた白い丸テーブルだけだった。


 丸テーブルの上には水晶石で作られた湯呑みのような形の容器が一つ置かれてあった。


「じぃじ、鍵を腕から外して私に渡してちょうだい」


「おう」


 ダグラスは言われた通りにブレスレットを腕から外してリハルに渡した。


「じぃじ……いえ、ダグラス・マリオール。あなたが名付けて、これまで誰にも教えることのなかったこの【鍵の名】を、私に教えて。そうすることで、あなたとこの鍵と、私の契約が解かれるの」


 契約のとき、銀騎士団長は受け取った鍵に名前を付けるよう魔女から命じられる。それは誰にも教えることなく、持ち主だけが心の中で呼ぶことのできる秘密の名前だ。

 魔女から教えられた幾つかの呪文を唱えるときも、最初に鍵の名を心の中で呼ぶことが必要となる。


 そしてその名を魔女に教えるときは、契約が解かれるときだった。


「鍵の名は〈スノールル〉と名付けた」


「へぇ。なんだか可愛い名前ね」


「俺が生まれた南の故郷で、秋に咲く花の名前だ。王都じゃほとんど見かけないから、珍しい品種だと思うぞ。亡くなった俺の妻が好きだった花でもある。契約を交わしたとき、不思議とあの花が頭に浮かんでな。そのまま付けたんだ」


「うん、そういうものらしいわ。おばあちゃん言ってたもの、それほど考えなくても頭に浮かぶものがある、それが鍵の名前に相応しいのだって。───スノールル」


 リハルは自分の手のひらの上に乗せた鍵に向かってその名を呼んだ。


「スノールル。その名は魔女のものとなり、その力は魔女に還された……」


 リハルの言葉を受けるかのように、ブレスレットが淡い光を放ちながらその色を変えていく。


 最初は菫青石アイオライトの青紫色。

 それがだんだんと濃くなり黒水晶モリオンに。

 そして輝きを放ちながら紫水晶アメジストへ。

 それからゆっくりと瑠璃石ラピスラズリの深青色に変化しながら金色斑点パイライトを浮かべていく。


 そして最後、小さな玉の連なりは無色透明な結晶クリスタルとなった。


 リハルはそれを丸テーブルの上に置いた水晶石の容器の中へ入れる。


 鍵はその中で溶けるようにその姿を消した。


「消えちまったのか?」


 ダグラスが尋ねた。


「消えてないわ。浄化力があるこの容器の中に沈んだだけ」


 リハルは容器を持って黒いキャビネットへ移動し、扉を開けて中へ仕舞った。


「晶石たちにはたくさん働いてもらったから、浄化も永い時間が必要なの。しばらくここで眠らせて、それから地下で保管するのよ」


「ふーん」


「ねぇ、じぃじ。契約したときに教えられた呪文、覚えてる?」


「ああ。………と、あれ? なんだったか………。思い出せねぇぞ?」


「いいのよ、それで。契約が解除されると、あなたから呪文の記憶も消えるようになっているの」


「そうか。これでようやくお役御免か」


「ダグラス、長い間ありがとう。銀騎士団長の任務もご苦労さまでした。おばあちゃんが亡くなってから私、たくさんダグラスに助けてもらったね。本当に感謝してる」


「おいおい……。なんだよ、改まって」


「こんなときだから、ちゃんと言いたいの」


「そんな言い方されたら………寂しくなるだろ。ここへも簡単に来れなくなるし」


「あら、ユノセルさんに連れてきてもらえばいいじゃない」


「まあ、それもそうだな」


「私から会いにも行ってあげるわよ」


 リハルの言葉にダグラスは驚いたように言った。


「来れるのか? 俺の知ってる魔女は人嫌いで有名なのに」


「じぃじは特別よ。それに定期的にギックリ腰の薬も届けた方がよさそうだもの」


「あれは勘弁してくれ」


 ダグラスの苦笑いにつられるようにリハルも笑った。


「どうだ?ユノセルとは仲良くやっていけそうか?」


「あのひと、真面目だね。顔は恐いけど」


「いい奴だろ?」


「そうだね。でもじぃじのこと師匠だなんて。いつから弟子になったの?」


 剣術の達人という異名を持つダグラスだが、これまで弟子などいたことはない。


「まあ、あいつもいろいろあるやつでな。家庭環境とか生い立ちとか。でも俺がここで言うことじゃない。リハル、おまえがいつか聞いてやれ。まずはお互いに、お互いのことを話せるようになることが大切なんだからさ」


「うん、そうだね。……あ、ねえ。おばあちゃんともそういう関係になるまでいろいろあった?」


「そりゃおまえ、いろいろあったさ、ミランダとは。よく喧嘩もしたしな」


「でもすぐに仲直りしてたよね」


「そうだったなぁ。うん、また今度、話してやるよ。酒の肴にな」


「そうね、じゃあとっておきのお酒が手に入ったら、じぃじの家を訪ねるから、聞かせてね」


「ああ。俺の好きなチーズマドレーヌも一緒にな」


「はいはい」


 契約を解除しても、ダグラスのことはこれからも「じぃじ」で、家族のようなひとだ。


(とっておきのお酒はキャロ酒がいいわね)


 いつもここへ来てくれたダグラスに、今度は私から会いに行こう。


 楽しみがひとつ増えたと、リハルは素直に思えた。




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