〈2〉


 館の中に戻ったリハルは廊下を歩き、地下へ続く扉を開けた。


 ここから先は暗いので灯りが必要だ。


 リハルは左手首に着けている小さな水晶玉が連なるブレスレットにそっと触れた。


 すると、そこから柔らかな光が放たれる。


 灯りの代わりになったブレスレットを照らしながら、リハルは階段を下り始めた。


 緩やかに続く階段を三十段下り終えた先に黒い扉がある。


 リハルは扉を開けて中へ入った。


 室内は所狭しと棚が並び、中央に小さなテーブルがある。


 この部屋は鉱石の保管室だった。


 何代にもわたり、木漏れび館で暮らしてきたメイシズ家の魔女が管理する幾つもの晶石クリスタルが保管されているのだ。


 魔女が自ら集めたものもあれば、対価として受け取ったものもある。


 リハルは迷うことなく目指した棚に向かい、そこに並ぶ小箱を一箱取り出すと、テーブルに移動した。


 小箱の蓋を開けると光が溢れて、リハルが灯り代わりに照らしていたブレスレットの光に反射しながら煌めいた。


 見覚えのある輝き。これは先程ヤムルが対価としてリハルに渡したクリスタルの輝きだ。


 小箱の中には〈春の葉雫石〉がたくさん入っていた。


 ヤムルから貰った一粒を合わせて、リハルはテーブルの上に積まれた空の小箱に二十個の葉雫石を入れた。


 それからまた違う棚へ行き、晶石の入った箱や硝子瓶を見て回る。


 そしてリハルは葉雫石のほかにマラカイトとオニキス、それから茶水晶スモーキークォーツの珠を二十個ずつ箱へ収め、それらを持って鉱石保管室を後にした。


 地下から戻ったリハルは白い扉の作業部屋へ入り、保管室から持ってきた四種類の晶石のうち〈春の葉雫石〉を十個と、マラカイトとオニキスの二十個を、深みのある銀製の器に入れた。


 オニキスの黒色、そして葉雫石とマラカイトの緑系色が、銀の器の中で少しずつその色合いを強めていく気配をリハルは感じていた。


 地下の空間から久しぶりに外へ出たクリスタルたちが、ゆっくりと呼吸をしているように思う瞬間だった。


 この三種の晶石を使って、これから〈肥料石〉を作り、そして残りの葉雫石を十個と、茶水晶の二十個と数種類の薬草を使い〈浄化薬〉を作るのだ。


 肥料石は育生させる植物によって、種類も素材も作る工程も違うのだが、リハルが選んだクリスタルで作る肥料石は、今日この後に予定している作業に欠かせないものだった。


〈春の葉雫石〉は水と陽の力を秘めたクリスタルだ。


 オニキスは魔除けと守護作用の力がある。


 マラカイトは悪意や邪気を跳ね返す力が強い。


 薄茶色をした茶水晶スモーキークォーツは別名〈けむり水晶〉とも呼ばれ、魔除けと浄化力が強く、大地の力を宿す石とも言われている。


 まず三種類のクリスタルで作る肥料石は、魔女の魔力や秘術となる製法。そして仕上げにはメイシズ家の魔女に代々受け継がれている毒蜜液を加えて完成する。


 浄化薬は製法の内容が少し違って、毒蜜液も加えない。


 これらはすべて『蔓黒薔薇』という植物に与えるものだった。


 木漏れび館は正面に蔓黒薔薇のアーチが設けられ、そこから誘引し這わせたり植栽して増やした蔓黒薔薇が、庭や菜園のある敷地周辺を囲っている格子状の柵を覆い、生垣状態となっている。


 元は普通の蔓薔薇だった原種を、大昔にメイシズ家の魔女が、厳選したクリスタルと魔女の魔力を駆使して品種改良したものが『蔓黒薔薇』だ。


 蔓黒薔薇は館の周辺とそれ以外の部分を分ける境界線となっているが、ほかにも大切な働きがある。

 黄昏森には魔女の魔力を欲しがり襲ってくる魔物がいる。

 魔物の襲撃に勝つ自信はあるが、その都度相手にしている暇はない。

 蔓黒薔薇はそれらに対抗するための防犯対策でもあるのだ。


 その働きは魔物でも人間でも、悪意や邪気を持った誰かが、蔓黒薔薇のアーチや垣根に近付くと、容赦なく棘が飛び散り攻撃する。

 抵抗などすれば、花は毒香を放ち、その身には蔓が巻き付き棘が刺さる。

 香りの毒は吸い込むと身体が痺れる程度の作用だが、棘には猛毒があり、メイシズ家の魔女が調合する特別な解毒剤を服用しなければ死に至るというものだ。


 もしもその誰かに僅かでも善の心が芽生え改心した場合、黒薔薇はそれを感知する力があり、蔓を伸ばして館のドアチャイムを鳴らす。こうしてリハルに知らせることで解毒剤が与えられるのだが。


 これまでリハルが『特別な解毒剤』を与えたことは一度もない。棘の毒に苦しんでも、改心した者はいなかった。

 魔物に善意を期待しないほうがいいと祖母も言っていたので。

 残念に思うこともなかった。


 蔓黒薔薇は、身に付ければ護身用の御守りにもなるが、この植物はメイシズ家の魔女専用に改良されたものなので、普通の人間が身に付けても魔除けとしての効果はない。


 そんな蔓黒薔薇のための肥料石と浄化薬を作り、リハルは今日、久しぶりに生垣のお手入れをしようと決めていた。


 ***


 一時間ほどかけて完成した肥料石は翡翠色で、その形は細かく砕かれた欠片の状態となり木製の手桶の中へ入れた。


 春の葉雫石の残りと数種類の薬草、そして二十個の茶水晶で作った浄化薬は乳白色で、すり潰した粉のような状態になり、布袋へ入れた。


 リハルはそれらを持って館の外へ出ると、まず正面で門のように構える蔓黒薔薇のアーチへ向かう。


 木漏れびを通す隙間もないほどに覆われた黒い蔓と葉、そして黒薔薇が咲くアーチの下はとても暗い。


 リハルが腰を屈め、蔓黒薔薇の根元を確かめようと覗き込んだときだった。


 頭上でカサカサ、パタパタパタパタ、と音がした。


 見上げると、黒い葉と葉の間からぶらさがった赤紫の珍しい色をした天鼠コウモリが、金色の眼をリハルに向けていた。



「あら、ポポ。今朝はそこで寝ていたの?」


「最近はこっちだよ。春になってきたから、屋根裏よりもこっちの方が暗くてよく眠れるからね」


 黄昏森に棲む天鼠たちは、昔からメイシズ家の魔女の使い魔だ。


 中でも赤紫色のコウモリは黄昏森に棲む天鼠の長として一族を束ねている。


 ミランダがこの世を去り『メイシズ家の魔女』がリハルになったとき、使い魔である天鼠の長も交代となった。


 ポポの名付け親はリハルである。

 長となった天鼠には代々、主人となったメイシズ家の魔女が名前を与えることが決まりだ。



 ポポは木漏れび館の屋根裏を寝床にしていることが多い。


 ときどき、リハルの髪の中や頭の上などにペタリとくっ付いたまま眠っているときもある。


 髪飾りにしては不気味かもしれないが、居心地がいいのならべつに構わないとリハルは思っている。


 それにしても。屋根裏も充分に暗いと思うのだが。


「朝はまだ寒いでしょう?」


「そうでもないよ。〈春明かり〉が強くなってきてるから」


「ヤムルさんも〈春明かり〉が眩しいって言ってたけど。ポポもそんなに感じるの? 黄昏森は暗闇の多い森なのに」


「暗闇が多いから、余計に感じるんだよ。そんなことより、ねぇ。それ、肥料石か?」


「ええ、そうよ」


「やったぁ! 久しぶりに美味い蜜が味わえるぜ」


 ポポは興奮気味にぶらんぶらんと体を揺らした。


 蔓黒薔薇の花蜜に毒性は無く、肥料石を与えた後の花の蜜は、天鼠たちにとって極上の味になり、栄養価も高くなるらしい。


「ねぇ。今夜、仲間にも蜜を吸わせていい?」


「もちろんよ。たくさん飲んで栄養つけてもらって」


「よっしゃ!それじゃあ俺も生垣の手入れを手伝うよ」


「ありがとう、助かるわ」


 ポポは翼を広げて飛び立ち、くるりと宙返りをした途端、その姿を人間へと変えた。


「何から始める?」


 ポポは黒服で赤紫の髪に金色の目をした子供の姿になって言った。


「そうね、ポポには蔓黒薔薇の囲いの外側へ出て、浄化薬を撒いてもらおうかな。〈魔物の屍〉が残っていると思うから、そういう場所は少し多めに撒いてね」


 リハルはポポに浄化薬の入った布袋を渡した。


 蔓黒薔薇の囲いの外には、毒の棘を受けても解毒剤を与えられずに放っとかれて死んだ魔物怪物の屍が、毒の影響で無惨に乾涸びたまま捨て置かれている。


 冬でも花が咲き続ける強い耐性力を持つ蔓黒薔薇だが、屍に残る邪気などを吸収してしまうと、護りの力が弱まるので、定期的に浄化が必要なのだ。

 蔓黒薔薇専用の浄化薬は、魔物の屍を綺麗に消し去る作用もある。


 こうして、囲いの外側はポポに任せ、リハルはアーチの場所から順に蔓黒薔薇の根元へ肥料石を与えていった。


 この肥料石は土壌に溶けやすく即効性もあるので、効き目がはやく現れる。


 翡翠色の欠片が土の上ですぐに溶けてなくなると、黒薔薇は輝きを増し、それはまるで暗闇に煌めく黒曜石オプシディアンのような美しさだった。


 ポポに外回りの浄化を手伝ってもらったおかげで、作業は早く終わることができた。


 手伝いを終えたポポは、もうひと眠りすると言ってコウモリ姿に戻ると、蔓黒薔薇のアーチの寝床へ潜って行った。


 夕刻になったら一族の仲間を呼んで、今夜は『蔓黒薔薇の蜜パーティ』をやるそうだ。


(賑やかな夜になりそうね)


 リハルも美味しい葡萄酒ワインを用意して、今夜は庭のテラスでポポたちと飲み明かそうかしら、と考える。


 そうと決まれば夕飯の晩酌に、いつもよりちょっと手の込んだおつまみでも作ろう。


 リハルは館にどんな食材があったかしらと思い出してみる。


 そういえば、保冷ができる『魔法器鍋』の中に、鶏もも肉があった。


 まだ昼前なので、今から下準備しても夕刻の調理時間には充分に間に合うだろう。


 あの鶏肉を白ワインと蜂蜜と香辛料の中に漬け込んで三、四時間ほど寝かせ、フライパンでこんがり焼いた『鶏もも肉の蜂蜜ハーブ焼き』を作ろうか。


 それとも春キャベツとセロリと新玉ねぎを使って『鶏もも肉の蒸し料理』にしようか。

 これはローズマリーと塩胡椒、白ワインとリンゴ酢を調味料に加えて作る。

 春野菜の爽やかな香りと、ホクホクした野菜の甘みと、鶏肉の旨みは葡萄酒に合う一品なのだが。

 リハルはハッと気付いて、ガックリと肩を落とす。


 木漏れび館に今、春野菜はない。

 物置に蓄えてある野菜といえば芋類くらいだ。

 館の庭の菜園は、そのほとんどが薬草ハーブで、専用の肥料石を与えて作っている。

 それとは別に少量の葉物野菜を育ててはいるが、やはり木漏れび程度の日光では発育が悪い。


 井戸の湧き清水と野菜用の肥料石を使えば多少は味も良くなるけれど。

 でもやはり畑で育つ食物は、空から照り渡る陽の光を、たっぷりと吸収したものでなければ。

 本物の美味しい野菜にならない。


 リハルは溜息をついた。


(とれたての美味しい春野菜があったら最高なんだけどなぁ)


 ぶつぶつと呟きながら館の中へ戻ろうとしていたときだった。


「おや、リハル。外にいたのね、ちょうど良かったわ」


 聞き覚えのある声にハッとして振り返ると、大きな布袋を背負った背の高い一人の女性が、蔓黒薔薇のアーチをくぐり、こちらに歩いてくる。


「ライラ!」


 リハルは驚きながらその女性の名を呼んだ。


 頭の後ろで高く結った銀色の長い髪を風に靡かせ、リハルに向かって歩くその女性には、灰色の獣耳ケモノミミと、ふさふさした尻尾がある。

 全体的な姿は〈人間〉だが、顔立ちはどこか獣を彷彿とさせる印象があった。


 彼女はライラ・ザイゼントという名で。


『獣人界』で暮らす〈人狼族〉の族長だった。


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