第3話 眷属に
「貴方の決断に、心から感謝します」
俺が眷属になると告げた瞬間、神は穏やかに微笑み、いつの間にか手にしていた盃を左手に掲げていた。真珠のように滑らかな器。その中心に、神は右手の人差し指をそっとかざす。
一滴、赤い液体が指先から垂れ落ちる。それは血にも見えるが、どこか光を含んでいて、まるでこの世界の理を染め上げる“象徴”のようだった。液体は盃の底に落ち、みるみるうちに器を満たしていく。不思議なことに、一杯になるとぴたりと滴が止まった。
「さあ、これを飲み干してください。これで貴方は正式に、私の眷属となるのです」
神から差し出された盃を、恐る恐る両手で受け取る。ほんのわずかに手が震えた。液体は赤いが、血の臭いはしない。どこか無機質で、何も感じさせない静けさがそこにあった。
一気に飲み干すと、それは意外なほど無味無臭だった。ただ、喉を通った瞬間、なにかしら“違うもの”が身体に入り込んできたような違和感があった。
……これで、本当に俺は神の眷属になったのだろうか?
ふと視線を落とすと、いつの間にか盃は手の中から消えていた。だが、身体に目立った変化はない。不思議に思っていると、神が微笑んで口を開いた。
「ええ、ちゃんと眷属になっていますよ。では、眷属になったことで宿った“
神の青い瞳が、一瞬だけ強く輝いた。
そして次の瞬間、彼は面白そうに笑みを深めた。
「……なるほど、これはなかなか興味深い力を手に入れましたね。ただ、いきなり異世界へ送り出すには少々危うい。少しの間、ここで修行をしてもらいましょう」
「修行、ですか?」
思わず聞き返す俺に、神はうん、と頷いた。
「ええ。まずは、手始めに私と戦いましょう。しっかりと意識を保ってくださいね。でないと、貴方は――消滅しますよ」
その言葉にゾクリと背筋が凍る。
次の瞬間、神が右手を軽く振り上げた。
――刹那。
何かが切り裂かれる感触。視界の端に、自分の左腕が“舞っていた”。
斜めに切断された断面から血は出ていない。あるはずの腕がそこにはない。
「うあああああああああッ!!」
喉が裂けるような絶叫が、真っ白な空間に響き渡った。痛み、恐怖、混乱、そして理解不能な現実――すべてが一気に襲いかかってくる。
左肩を押さえたまま崩れ落ち、両膝を地に突き、額を床に擦りつけるようにしてうずくまる。
「落ち着いてください。魂の状態である貴方に、実際の痛みはないはずですよ」
神の声が静かに届く。顔を上げると、あの神秘的な笑顔がこちらを見つめていた。
その微笑に、不思議と恐怖が和らいでいく。
「さあ、深呼吸を」
神が右手で俺の左頬にそっと触れる。
その柔らかな触れ方に、まるで子どもが母親に慰められているような安心感を覚えた。
「落ち着いて。いいですか、貴方の左手は“切り飛ばされてなんかいない”。ちゃんと、そこにあると意識してみてください」
その言葉が、真っ直ぐに胸へ入ってくる。恐怖と混乱で渦巻いていた心が、ゆっくりと澄んでいく。
再び目を向けると、そこには確かに――何事もなかったかのように左腕があった。
「……戻ってる……?」
「不思議そうな顔ですね。ふふ、安心してください。ここは“そういう世界”なのです。肉体ではなく、魂そのものの在り方が現実を決める。だから、意識こそが全てを形づくるのです」
神はそう言って、ふっと一歩引いた。
「では、修行の続きをしましょうか」
その言葉に、思わず身をすくめた。
恐怖、後悔、そして安易な決断への自己嫌悪が、胸の中で渦を巻く。
(……俺、眷属になるなんて、言うんじゃなかったかもしれない……)
そんな後悔が心をよぎる。けれど、それを飲み込んで立ち上がるしかない。この先に何が待っていようとも、自分で選んだ道なのだから。
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