第8話 就寝


 風呂場で色々あったあと、二人で出てきて着替えた。

 もちろん僕はツバキの着替えを見るわけにはいかない(彼女はいいと言っていたが)ので、別々に着替える。


 ……よく考えると、なんで僕はこんなに我慢をしているのだろうか?

 別に誰に禁止されているわけでもないのに。



 まあそれはおいておくとして、一つ気が付いたことがある。


「着替えがある?」


 着の身着のままで家を出てきた僕は、着替えなんてもちろん持っていない。

 なんなら死ぬ予定だったから、財布や鍵すら持たずに外を出たくらいだ。

 ちなみにスマホは最初から持っていない。



 脱衣所には下着や寝間着など、僕の着替えが用意してあった。

 ありがたくそれに着替えるが、疑問が湧いてくる。


 男物の着替え。

 ツバキのではないだろう。 


「この着替えは誰の? 家族のものとか?」


「いいえ。シキのものよ。お風呂に入る前にコンシェルジュに頼んで持ってきてもらっていたの」


「さすがはコンシェルジュだ」


 なんでもやってくれるんだな。


「あり合わせでごめんなさい。明日もっとちゃんとしたものを買いに行きましょう」


「いや、これで全然問題ないよ」


 下着も寝間着も、僕が今着ているもので全く問題ない。

 というか僕が家で使っていたものよりずっといいものなんだけど……。


「でもパジャマとか、生地とかもっといいのを用意した方がよくないかしら? それに、肌に合うかも確かめないといけないし。サイズも貴方にあったものを――」


「いやいや、生地とか肌なんて気にしたことないよ。サイズだって、長すぎたり短すぎなければそれでいいから。これでちょうといいくらいだよ。一般人の僕としては、寝苦しくなければそれで十分だ」


「シキがそれでいいならいいわ。あ、でも、寝間着はそれでいいかもしれないけど、服は明日ちゃんとしたものを買いにいくからね」


「わかったよ」


 うなづきつつ、服もコンシェルジュに言えば用意してもらえるのだろうかと思う。

 いや、ツバキはそれでは納得しないかもしれない。


 それに、人に服を用意してもらい続けるのもなんだか気が引けるし。


 人に用意してもらうのが嫌ならば、いっそ自分の服を取りに戻るというの手もある。


 家に帰って、服を取ってくる。

 それは選択肢の一つだろう。


 箪笥の中には普段使いしていた服がある。

 さすがにたった1日いないだけで、僕の服を捨てるとはかぎらないだろうし。


 それに、昼の間ならあいつもいない。

 鉢合わせすることはまずないと言っていい。

 大丈夫だろう。

 大丈夫、のはずだ。



 ……戻りたくないな。



「どうしたの? シキ。顔が真っ青よ」


 いつの間にか、ツバキが僕の顔を覗き込んでいた。


「大丈夫? のぼせちゃった?」


「いや、大丈夫だよ。うん。大丈夫だから」


 決してお風呂でのぼせたわけじゃない。

 いや確かにのぼせ上りそうな体験はしていたけどさ。

 でも理由はそれじゃない。

 

 精神的な物というか。

 思い出したくないものを思い出してしまったというだけの話だ。


「ごめんなさい。お風呂場でやりすぎちゃったかしら」


「いや、ツバキのせいじゃないから気にしないで。ほんとに気にしなくていい」


「そう……」


 ツバキは心配そうに眉をひそめた後、ニコリと安心させるように笑いかけた。


「ソファで休みましょうか」


「いや、今日はもう寝るよ。遅い時間だし……」


「え?」


 ツバキは不思議そうに時計を見る。

 

 時間は3時半。

 終電もとっくに終わり、誰もが寝ている時間だろう。


「ああそっか。人間ならもう寝る時間ね」


「人間ならって、吸血鬼は違うの?」


「吸血鬼は夜の存在よ? この時間ならまだまだ起きてるわ。でもそうね。もう寝ましょうか。色々あって、シキも疲れちゃったものね」


「そうさせてもらうよ。どこで寝ればいいかな?」


「寝室があるわ。髪を乾かしたら、一緒にそこで寝ましょう」


「うん。一緒に……」


 って、いやいや。

 おもわず頷いてしまったけど、一緒に寝るって言った?


「え? 一緒に寝るの?」


 てっきり別々の部屋で寝るものだと思っていたけど。



「そうよ。あ、大丈夫。ベッドは広いから、二人で寝ても問題ないわ」


「いやそこを心配しているわけじゃないけど。というか同じベッドなの?」


 一緒に寝ると言っても、それは同じ部屋で寝るというだけで、ベッドは別だと思っていたんだけど。


「同じベッドよ。当たり前じゃない」


「当たり前なんだ……」


 まあ、吸血鬼と眷属の間では当たり前なんだろう。

 たぶん。


「同じベッドで寝るのを恥ずかしがるの? 私たち、もう同じお風呂に入った仲でしょう」


「それはそうだけどさ」


 確かにお風呂に比べたら一段ハードルが下がるような気もする。

 するけど、それは何の抵抗もなく同じベッドに入る理由にはならない。


「それに、私の家にベッドは1つしかないから。反対してもシキはそこで寝るしかないんだけどね」


「いやそれは別に。僕はソファか、なんなら床で寝ても――」


「ダメに決まっているでしょ。シキをそんな粗末なところで寝かせたくない」


「粗末って……。別に粗末じゃないと思うけど。このソファもとんでもなく柔らかくていいものだよ。けっこう寝心地いいと思うんだけど」


「ダメダメ。ダメなの。シキはちゃんとしたベッドで寝なさい」


 はあ、とツバキはため息をつく。


「シキ。一つ質問するわよ。貴方は私のなに?」


「眷属だよ」


 今日ツバキが何度も口にした単語を、彼女に促されて僕は言う。


 その言葉を聞いて満足げに頷くツバキ。


「そうでしょう。あなたは私の眷属なの。ならこれだけは覚えておいて。私の眷属は、私の好きな人を大切にしなくちゃいけないの。私の好きな人っていうのはシキのことね。だからシキは誰よりも自分を大切にする必要があるの」


「は、はあ……」


 言いたいことはなんとなくわかる。

 要は自分を大切にしろと言いたいらしい。



「だからソファじゃなくてちゃんとしたベッドで寝ること。いいかしら?」


「わかったよ」


 まあ僕だって、別にあえてソファで寝たいというわけではないし。


 とはいえ一緒に寝るのか。

 これも緊張するなあ。

 ちゃんと寝られるかな。


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